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【熱狂せよ、パブリックヘルス】RWDのおかげで親に仕送りできるようになりました - vol.1

【熱狂せよ、パブリックヘルス】RWDのおかげで親に仕送りできるようになりました - vol.1

2025.12.09

看護師として「無能であることの葛藤」を抱え、先輩にいじめられて「いきたくない」と布団の中で震えていた日々。

「強く生きるためには専門性が必要だ」と悟った著者は、東京大学大学院(東大SPH)へ進学し、リアルワールドデータ(RWD)研究の専門性を身に付け、大手外資系製薬企業のRWD研究の専門家にまで上り詰めます。

様々な葛藤に苦しんだ著者が、どのような道を歩んできたのかー

専門性を身につけて人生を変えたいと思っている方のヒントになれば幸いです。

熱狂せよ、パブリックヘルス

本シリーズは、パブリックヘルスの領域で活躍するプロフェッショナルが初学者に向けて自らの専門性を語る自伝シリーズです。その専門性に出会った原点や、挫折の先に見つけた希望、そして今も燃やし続けている信念について、熱量を込めて語り尽くします。

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この記事のまとめ

この記事を読むと分かること

  • 専門性を身に着けるための考え方

  • 仕事を自ら創る方法

  • 専門家として認められる方法

この記事は誰に向けて書いているか

  • 専門性を身に着け人生を変えたいと思っている方

  • 自分の頑張りが評価されていないと感じている方

  • 企業であらたな事業を推進していきたいと考えている方

執筆者の紹介

氏名:廣瀬直紀
所属:mMEDICI株式会社
専門性:保健学博士・公衆衛生学修士。東京大学・東京大学大学院を卒業後、外資系製薬企業の疫学専門家として薬剤疫学・リアルワールドデータ研究を専門とする。日本・グローバルの双方で活動したのちに、全ての人がアクセス可能な一流の知のプラットフォームを作り、「知に繁栄を、辺野に豊穣を」実現すべく、mMEDICI株式会社を創業。

著書:
企業研究者の教科書 キャリアを飛躍させる33の戦略(講談社)
・超実型 リアルワールドデータビジネスの教科書(金芳堂.2026年3月頃発売予定)

廣瀬直紀
廣瀬直紀著.企業研究者の教科書

自らの専門性を確信した瞬間

卒業直前、内心ブルブル震えながら教授に「アカデミアではなく企業に行きます」と伝えた。縁を切られると思っていた。

しかし、教授は言った。

「リアルワールドデータの知見は企業には全く伝わっていない。だから君が企業に行って頑張ってほしい。」

その言葉を聞いた瞬間、「企業でリアルワールドデータ研究を盛り上げることが、自分の役目だ」と確信した。

1."企業におけるRWD研究の専門家

私の名前は廣瀬直紀。

mMEDICI株式会社を創業し、代表取締役として働いてきた。研究者としての専門はリアルワールドデータ(RWD)研究であり、企業で疫学専門家として活動していることから、特に"企業におけるRWDビジネス・RWD研究"が専門と自認している。

RWDビジネスならば、企業でRWDビジネスを立ち上げるにはどうすればよいか、採用、教育、マーケティング、営業はどうあるべきか、そんなことをコンサルタントとして支援する。

例えばRWD研究ならば、リサーチクエスチョンの策定から研究計画書の執筆、解析、そして論文化までを一貫して支援する。

なぜあえて"企業における"と付けるのかと疑問に思う方もいるかもしれない。一口にRWDと言っても、その実践はアカデミアと企業では大きく異なる。

企業は企業のダイナミクスの中でRWDのビジネスや研究が進む。だからこその"企業における"という表現であり、それがこの記事の主題でもある。

2.葛藤を抱えていた看護師時代

私は地方の医療機関で看護師として働いていた。驚くほど仕事ができず、二年目になっても先輩から「廣瀬より、この前入ってきた一年目の方がずっと使えるわ」と言われるくらいであった。

性格がキツイ先輩からはいじめられもしており、勤務のたびに「お前、私のこと嫌いなんだろ? はっきり言えよ!」とかなりの暴言を吐かれていたこともある。こう書くと「かわいそうに」と思うかもしれないが、私自身が「あれくらいの扱いをされてもしょうがなかったよな」と思うほど仕事ができなかったのである。

看護師として働く私には、葛藤があった。

一つ目の葛藤は、無能であることの葛藤であった。

「ケアを自分の生きる道にしたい」と思い、東大時代にわざわざ文学部から医学部健康総合科学科に転学までしたものの、いざ看護師になると無能の極みだったのである。

大学生までは学力が高ければチヤホヤされる。例に漏れず東大生としてチヤホヤされていた私が、社会に出て仕事を始めてみると、二年目になってもまともな日勤業務すらできない無能だったのである。人生で初めての挫折であった。


二つ目の葛藤は、プライドの葛藤であった。

私が看護師をやっている頃、東大の同期たちは日本を代表する企業や国家機関に就職し、華々しく活躍していた。起業してメディアに出演する同期、小説家としてデビューする同期、誰もが名を知る大手企業で凛々しく働く同期。

しかし私は、川と田んぼに囲まれた田舎の病院で働く無能な看護師である。

こうして葛藤を抱え、二年目には「もう辞めたい」と思うようになった。

点滴を詰めるために朝7時には病棟に着いていなければならない。前々日にシフトを確認するが、私をいじめていた先輩とシフトがかぶっている日は恐ろしくて仕方がなかった。夜の2時、3時になっても恐怖で眠ることができず、「いきたくない、いきたくない」と布団の中で震えていた。

このような状況にあってもなお、「看護が私の生きる道」と言えれば良かったのだが、私にはその強さがなかった。

看護は素晴らしい仕事であり、自分が逃げたからこそ看護師として働く方々のことを深く尊敬しているのだが、自分が看護師を続けるという道を選ぶことはできなかった。

3.強く生きるためには専門性が必要だ

東大SPHへ

私が「企業のRWD」という専門性を選ぶ上では、二つの段階があった。

一つ目は大学院、そう、東大SPHへの進学である。

あれは私が病棟で夜勤をしていた時だった。数十人にもなる患者さんのオムツを交換し、休憩に入った時、深夜1時の病棟にはナースコールだけがプルルルルルと鳴り響いていた。どうせ興奮して寝付けはしないが、身体だけは休めなければと簡易ベッドに横になる。

ぼーっとスマホを開きGoogleでネットを開こうとすると、自然とトップページのニュースが目に入った。そこには、私の高校と大学の同期の名前があったのだ。

◯◯◯◯氏、日本最年少で◯◯市の副市長に就任

「なん…だと……」

嘘だろ、やめてくれ。否定し難い事実を目前にし、心臓はドクドクと高鳴っている。私は田舎の病院の無能な看護師、一方のこいつは日本最年少で副市長なのだ。

なぁ、俺たち高校の時は学内順位で競い合ったじゃないか。東大だって一緒に行ったよな?なのに、どうして、どうしてこんなに差がついちまったんだよ。

自分のアイデンティティ、つまり「エリート」というものが崩れ去った瞬間だった。

何者でもない自分が、そこにいた。
そして、気づいたのだ。

「強く生きるためには専門性が必要だ」と。

そして、看護師を辞め東大SPHへと進学することを決意した。

そこからは必死だった。母校の学科の上にある大学院だったので、試験問題は学部時代から見知った内容だったが、「落ちたら人生が終わる」という気持ちで必死に勉強した。ありがたいことに合格をいただけ、病院には別れを告げた。

大学院への進学。いよいよ新たな人生が始まるのだ。

余談だが、私は大学院へ進学するためにポジティブな理由などいらないと思っている。私などは「お局にいじめられるのが辛い、もっと評価されたい、お金が欲しい」という邪念100%で進学している。

東大SPHでの日々

大学院では、生活費を稼ぐためのバイトの時間以外は全てを勉強と研究に費やした。その中で選んだ研究室が、RWDを専門とする研究室だったのである。

なぜRWDだったのか?

理由は簡単だ。もっとも論文数を稼ぐことができ、そして最もお金を稼げそうな専門性だったからだ。

専門家になるためには実績が必要であり、研究者における実績とは論文数だ。だから修士の二年間で人生を変え、専門家キャリアにコースインするためには一つでも多くの論文を書かなければならなかった。

結果的には修士の二年間で五本の英語論文の筆頭著者として執筆することになる。「この一本を書き上げれば俺の年収は150万円上がるぞ」という、やはりここでも邪念100%で研究していた。

老人ホームでの夜勤バイトが終わればそのまま研究室に行き、徹夜で研究した。ちょっとしたご褒美として、老人ホームがある駅から東大までの途中にある上野駅で降り、アメ横で1杯500円のマーラータンを食べるのが楽しみだった。

毎日24時頃まで研究室に通った。土日も、クリスマスも、大晦日も、台風の日も通った。

そうして卒業の時、ここでも幸運なことに大手の外資製薬に疫学専門家として拾って頂けたのである。

外資製薬企業の疫学専門家へ

なぜ外資製薬を選んだかといえば、理由はシンプルで「いちばん高い年収を提示してくれたから」だ。

結果的に製薬やコンサル、スタートアップなど五社で内定を頂くことになったのだが(一社も落ちなかったのがささやかな自慢である)、面接の時から臆面もなく「いちばん高い年収を提示してくれた会社に入りたいと思います」と言っていた。


そしてもう一つ理由がある。それは「研究者としての自分の能力の低さを思い知ったから」である。

「修士で五本も論文書けば十分だろ?」と思うかもしれないが、幸か不幸か研究室にいる同期・先輩たちは化け物ばかりだったのである。

一本目の論文からトップジャーナルに掲載させる消化器外科医、毎月一本ずつ論文を投稿している集中治療医など、常識では信じられないようなプロダクティビティを持つ研究者がゴロゴロいた。

それ以上に、私には「研究したいと思えるリサーチクエスチョン」がなかった。社会から逃げて生きてきた自分には、解き明かしたい社会の謎など思いつけなかったのである。だから企業を選んだ。企業ならば自分のリサーチクエスチョンではなく、企業のリサーチクエスチョンで勝負することができるからだ。

さて、まもなく卒業だ。恩師である教授にキャリアを伝えなければならない。

私は怖かった。「アカデミアに残るのが当たり前」、そう教授が考えていると思ったからだ。「企業にいくなんて、指導を無駄にするのか」と叱責される覚悟だった。

しかし、教授の反応は全く違っていた。

「リアルワールドデータの知見は企業には全く伝わっていない、だから君が企業にいって頑張ってほしい」と言われたのである。いつの時も師とは偉大なものである。

その言葉を聞いた瞬間、「企業でリアルワールドデータ研究を盛り上げることが、自分の役目だ」と確信した。

4.企業でRWD研究を

そうして外資製薬の疫学専門家として働き始めることになる。本社が関西にあったため、はるばる引越して心機一転である。

しかしやはり、専門家への道は簡単ではなかった。

最初に述べたように、同じRWD研究でも、企業のそれとアカデミアのそれは全くダイナミクスが違うからだ。

たとえば研究計画書。アカデミアの場合は論文のMethod部分がそれに該当し、長くても2ページである。一方の企業では時に100ページを超えるものを書かねばならない。

研究をスタートする前にも承認、論文を投稿する前にも承認、とにかく承認、承認、承認であり、自分一人では自由に動くことができない。

プロジェクトメンバーでRWD研究の専門家は私だけであり、それ以外はプロマネやデータマネジメント、薬事など全く異なる専門性を持つメンバーである。そこにRWD研究の共通言語は存在しない。


何より、私が製薬企業に入社した当初は疫学専門家という職種は極めて珍しく、大手外資製薬に1社あたり一人か二人いるのみであった。

社内でも「RWD研究ってなに? なぜやらないといけないの?」という状態であり、おまけに前任者がいないため、入社直後から私が全面に立ってRWD研究を推進していかなければならなかった。

これは転職した2社目でも同じであり、私が一人目のRWD研究の専門家に等しかった。このような状態で入社するとどうなるか。「RWD研究の専門家として入社しているが、RWD研究の仕事がない」という状況に遭遇するのである。

"RWD研究"という手法そのものが社内で認知されていないのだから、当然と言えば当然である。私はこの経験を通して、「仕事は与えられるものではなく、自ら創るもの」であるという確信を得た。

RWD研究の仕事を作るため、駆けずり回った。


まずは認知してもらうこと。社内のあちこちの会議に出席し、出社してはオフィスを回って挨拶し、キーパーソンだと思う人は積極的に飲みに誘わせていただいた。

そして少しずつ「廣瀬って人間がいて、RWD研究なるものをやってるらしい」と覚えていただき、その上で「あなたの困りごと、RWD研究で解決できるかもしれません」と提案していった。

そんな中で少しずつ「こんな問題がある時は、廣瀬さんに聞けば良い」と認知され、研究の相談が増えていった。

グローバルとの関わり

このような「RWD研究を始める前の学び」もあれば、「RWD研究を始めた後の学び」もある。

それがグローバルとの関わりである。1社目では直属の上司がグローバルの疫学専門家であり、2社目では私自身がグローバル所属となった。

私にとって人生で初めてのグローバル研究者との関わりだったが、驚いたことがある。彼らはなんというか、「腹でサイエンスをやっている」という感覚があるのだ。

私が「頭で」やるのに対し、「腹で」。

企業で研究をしていると、会社の利益、臨床のご意見番の医師との関係、規制当局との向き合い方など、サイエンス以外にも様々に勘案せねばならない事情が生じる。

そんな時に「様々なステークホルダーの意見の中で落とし所を見つけて研究を前に進める」というのが企業研究者の醍醐味なのだが、それは時に「サイエンスを捨て、諸事情に忖度する」という姿勢に繋がりうる。

そんな場面でもグローバルの研究者は、「え、サイエンスやるに決まってるっしょ? 何か?」と涼しい顔で辣腕を振るってサイエンスを貫き通していくのである。

ゆえに研究計画書や論文などへのレビューも容赦がない。

40ページの研究計画書に対して200個近いコメントがつくなど当たり前だ。何時間もかけてようやく全て叩き返すも、再び200個のコメントが返ってくる。それを何回か繰り返すとワードの処理能力を超え、ファイルを開くとフリーズするのである。

修行であった。

修行であったが、心地良くもあった。

駆け出しの疫学専門家である私に「これ教えてください」と頼ってくれる仲間がいる。自由に意見でき、パフォームすればするほど評価される。そんな外資の風土は私の肌に合っていた。

ありがたいことに一年目から優秀者のみに与えられるボーナスを頂戴し、結果的に五年というサラリーマン期間の全ての年で優秀者ボーナスを頂戴し、二回の昇進、そして看護師の時から比べて1,500万円もの年収アップを実現することができた。

そうして生きていくうちに、ふと気づいた。

自分自身が、質の高いRWD研究を企業から社会に送り出すことに使命感を持つようになったことに。

mMEDICI株式会社を創業

その想いをさらに実現するために、独立してmMEDICI株式会社を創業した。
どこかの企業に所属している限り、主戦場はその企業の中に限られてしまう。

私は恩師の言葉を思い返していた。

「リアルワールドデータの知見は企業には全く伝わっていない、だから君が企業にいって頑張ってほしい」。

その言葉を本当に実現するならば、一社だけではなく全ての企業に対してRWDビジネスやRWD研究の支援ができる立場に立たねばならない。

しかし、当時はRWD黎明期でありそのような専門性に特化した会社は存在しなかった。そもそもRWD研究の専門家自体が企業というマーケットに数えるほどしかいない。

だから、自分で会社を創ることにしたのだ。


とはいえ、こう書くと「決意の人」のように見えてしまうかもしれないのだが、実態はそうではない。

独立は、とても怖かった。

私は経済的に困難を抱える親の生活も支援していたので、もし独立して失敗すれば親にお金を送れなくなる。それに、製薬にこのままいればぐんぐん出世し、2,000万円、2,500万円という、十分過ぎるほどの年収も見えていた。

独立が頭にちらついてからも、独立を決心してからも、上司との会議では「今日こそ言おう、いや今日はまだその時ではない」と何度も先送りしてきた。

そうして半年ほど迷い続け、ふとした拍子で上司にようやく独立を宣言し、今に至る。

ありがたいことに独立直後から様々な企業様からRWDビジネスやRWD研究のご支援を頂戴しており、多少はお役に立てているのかもしれない。

製薬時代も含めれば、これまで100回以上のRWD研修を開催し、50本以上のRWD研究に携わり、RWDビジネスにおいてもコンサル、商社、ヘルステック、スタートアップなど様々な企業様からご相談をいただけている。

RWDビジネスをテーマにした書籍まで出版することができた(2026年3月頃発売予定)。

超実践型リアルワールドデータビジネスの教科書(2026年3月ごろ発売予定)

そうして独立から1.5年が経った今、この記事を書いている。

もし「RWDで困っていて」という企業さんがいれば、いつでも気軽にXからでも、mMEDICIのお問い合わせページからでもご連絡をいただきたい。

「どうしたら良いか分からない」という五里霧中の状況であっても、30分も面談していただければ、明快かつ実現可能な形で「こうしましょう」という提案ができる自信がある。

5.専門家である前に、"信頼される人間"であれ

私は「企業のRWDの専門家」となりまだ7年程度と日が浅いもので、専門家としてはまだまだ学びを積み重ねていかねばならない。

そんな中でも、「大手企業2社で前任者不在の状況でRWD部門に参画した」「RWDビジネスやRWD研究のコンサルをしてきた」という、今の日本においては希少性のある活動をしているため、その活動を通して自然と養われてきた考えを書いてみる(信念っていうのもちょっとこそばゆい)。

専門性の前にまず人間性

専門性は社会の中でこそ発揮されるものである。

つまり、専門性を発揮するためには、まずその土台となる社会によって受容されなければならない。その時、受容されるのは専門性ではなく人間性である。

なぜなら、専門家-非専門家の間にはナレッジギャップが存在し、非専門家サイドからは「良い専門家」を選ぶことができない。

では、どんな専門家に相談することになるのか。

それは、"いつも温かく迎え入れてくれて、今すぐできるような明確な助言をわかりやすく教えてくれる人"である。ここでは専門性の多寡ではなく、人間性をもって判断されるのである。

専門性が発揮できる環境をつくることも専門家の責務

専門性は社会の中でこそ発揮されるものであるから、その専門性を取り巻く社会的状況によってどれほどの強度で専門性を発揮できるかは変わる。

「上司が評価してくれない」、「なんでもっと早く私に相談しなかったんだ」、「専門と関係ない雑用ばかりやらされる」

これらは全て、"専門性が発揮される環境をつくれていない専門家自身の責任"である。


企業において、RWD研究が正しく行われているケースはまだまだ少数派である。

企業は予算も人手もあり、形としてはRWD研究を推進することができる。しかし、それが魂の宿った妥当なRWD研究となるかはまた別の話だ。

そして、誤ったエビデンスは誤った意思決定を導き、患者さんを害することになりかねない。

だからこそ、企業で適切なRWD研究の進め方がもっともっと知られていくように、微力ながら活動していきたいと思っている。

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