
【健康格差を科学する】経済学部卒の官僚が、ハーバードSPHを卒業して社会疫学者になるまで - vol.1
2025.05.21
シリーズ紹介
連載記事「元官僚の医療経済学者、健康格差を科学する」は、“社会が人の健康にどんな影響を与えるのか”をやさしく読み解くシリーズです。
過労死で父を亡くし、東京大学経済学部を卒業後に厚生労働省の官僚となり、そしてハーバードSPHを経て医療経済学・社会疫学の研究者となった著者が、社会疫学という学問を一歩ずつ紐解いていきます。
仕事の合間に。夜勤明けに。育児のスキマに。「健康は、個人の責任ではないかもしれない」と気がつける、そんな学びと出会えるシリーズです。
はじめに
これからmMEDICI Libraryで、複数回にわたって社会と健康に関するコラムの連載を行う佐藤豪竜(さとう こうりゅう)です。
今回は、私が厚生労働省に入省した後、どのようにして社会疫学と出会い、研究者へと転身したのかを書きます。
mMEDICI Library | ひらけ、叡智の扉
叡智の扉を、全ての人が開けるように——。
学びは、限られた豊かな人々だけの特権ではありません。
経済的困難に直面する人、地方で学習資源に恵まれない人、家事や育児・仕事に追われる人。
mMEDICI Libraryではそんな人々にこそ、最高の学びを届けるため、研究・キャリア・学習・受験のあらゆるテーマでパブリックヘルスの叡智を集めました。
隙間時間にスマホひとつで、誰もが「一流の知」に触れることを叶えていきます。
「ここを開けば、誰しもが悩みを解決できる」、そんなメディアを目指します。
- シリーズ紹介
- はじめに
- mMEDICI Library | ひらけ、叡智の扉
- この記事のまとめ
- この記事を読むと分かること
- この記事は誰に向けて書いているか
- 社会疫学シリーズ「元官僚の医療経済学者、健康格差を科学する」
- 執筆者の紹介
- なぜ厚生労働省に入省したのか
- 1歳のときに父親が過労死
- 労働局職員に投げかけられた冷たい言葉
- 大学2年生のときにルールメイカーとなることを決意
- 厚生労働省での激務をこなしながらハーバード受験
- 国民健康保険法等の改正のため「タコ部屋」に
- ハーバードを目指して英語の勉強
- 社会疫学との出会い
- ハーバードSPHへの留学、そしてその後
- ハーバードSPHに無事合格
- 初めての論文執筆
- 帰国後も毎朝5時に起きて論文執筆
- 厚生労働省を退職し、研究者に転身
- 京都大学SPHの助教として研究者人生をスタート
- 医師以外がテニュアを獲得するための戦略
- おわりに
- 参考文献
- 先人の多様な知識と経験に学び、パブリックヘルスのキャリアパスを築くならmJOHNSNOW!
- 【YouTubeラジオコンテンツ 耳から学ぶシリーズ】
- 社会疫学シリーズ「元官僚の医療経済学者、健康格差を科学する」
この記事のまとめ
この記事を読むと分かること
ハーバードSPHで受けられる教育
激務の中で論文執筆を続ける方法
医師以外でMPHを得た人が大学教員のポストを得るための戦略
この記事は誰に向けて書いているか
文系出身で公衆衛生学を学んだ人のキャリアに関心がある人
ハーバードSPHへの留学に関心がある人
厚生労働省や大学教員の仕事に関心がある人
社会疫学シリーズ「元官僚の医療経済学者、健康格差を科学する」
vol.1 経済学部卒の官僚が、ハーバードSPHを卒業して社会疫学者になるまで(本記事)
vol.2 エリートほど長生きする?! 教育こそ最高の予防医療である
vol.3:お金で健康は買えるのか? 格差社会の健康科学
執筆者の紹介
氏名:佐藤豪竜(https://x.com/koryu0610)
所属:慶應義塾大学総合政策学部 専任講師
自己紹介:経済学博士、公衆衛生学修士。専門は社会疫学、医療経済学。東京大学経済学部を卒業後、厚生労働省に入省。保険局、老健局、総理大臣官邸等で12年間社会保障政策の企画立案に携わる。ハーバード大学公衆衛生大学院に留学後、京都大学を経て、現職。1986年生まれ、北海道札幌市出身。

なぜ厚生労働省に入省したのか
1歳のときに父親が過労死
私は、1986年に北海道札幌市で生まれました。
父は一級建築士だったのですが、私が1歳の時に単身赴任先の東京で亡くなりました。
北海道内や東京、埼玉の現場を転々としながら、まったく知らない下請け業者を監督する業務をほぼ一人で行うなかで、精神的・肉体的な疲労が蓄積していったようです。
多い時には、月150時間を超える残業を行っており、私が生まれた日も、父は仕事で母を見舞うことができませんでした。
父は気管支喘息の持病があったのですが、長時間労働と劣悪な環境の宿舎で病状を悪化させ、1987年7月9日に致命的な発作を起こしました。
午後5時30分頃、かかりつけの病院の受付にたどり着いたものの、その場で「サ、サ…」と言うなり倒れこみ、心不全で死亡しました。

注:私と父(当時30歳)の数少ない写真
労働局職員に投げかけられた冷たい言葉
父が亡くなったのは業務上の災害であるとして、母は遺族補償年金の支給を求めたのですが、中央労働基準監督署長はこれを認めませんでした。
父に喘息の持病があったため、業務と死亡の因果関係を立証することが困難であったことに加え、当時「過労死」という言葉が出てきたばかりで、長時間労働の問題に対する社会の認知度が低い状況でした。
このため、母は監督署の決定を不服として裁判を起こしたのですが、争いは長きにわたることになりました。
ようやく東京地裁で判決が下りたのは、父が亡くなってから15年後の2002年でした。
裁判の中で、会社が父の勤務報告を改ざんし、実態よりも短い残業時間を監督署に報告していたことが明らかになりました。このことが決め手となって監督署の遺族補償年金不支給の決定は取り消され、母の勝訴となりました。
しかし、国は控訴の構えを見せます。
そこで、当時高校1年生になっていた私は、母と弁護士とともに九段下にある東京労働局を陳情のために訪れました。
弁護士の先生は、窓口で対応した労働局の職員に対して、母が長期間の裁判でいかに疲弊しているか、地裁で認定された内容に争いの余地がないかを訴え、控訴をしないように求めてくれました。
しかし、その職員が言ったのは「私に出来ることは何もないので、お引き取りください。」という事務的で冷たい一言でした。
結局国は控訴し、東京高裁で判決が確定したときには、私は18歳になっていました。
父が亡くなってから17年です。自分自身役人を経験したので、今でこそ労働局の窓口の職員が何もできないという組織の論理は理解しています。
しかし、それでもなお、労働局の職員は、窓口に来た相手の事情や心情をおもんぱかって、もう少し別の言葉がけができたのではないかと思います。
この職員から受けた言葉は、20年以上経った今でも、怒りの感情を伴って私の中に残り続けています。

注:労働省(現:厚生労働省)の前で過労死の撲滅を訴える母
大学2年生のときにルールメイカーとなることを決意
高校卒業後、私は東京大学に進学しました。もともと文科Ⅰ類(法学部)が第一志望だったのですが、苦手だった数学でコケて前期試験で不合格となりました。
しかし、後期試験でたまたま小論文が上手く書けて、運よく文科Ⅱ類(経済学部)に滑り込むことができました。
将来の就職を考えた時、私は仕事を通じて「過労死のない社会」を作りたいと思っていました。
法学部に受かっていたならば、父の裁判で弁護士の先生にお世話になっていたこともあり、迷わず法曹の道を目指していただろうと思います。
しかし、文科Ⅱ類から経済学部に進む人間が「過労死のない社会」を作るためにはどうしたらよいか大いに悩みました。
悩み抜いた結果、厚生労働省に就職することでルールメイカーとなり、法律を変えられる立場になることを目指すことにしました。大学2年生のときでした。
厚生労働省での激務をこなしながらハーバード受験
国民健康保険法等の改正のため「タコ部屋」に
国家公務員Ⅰ種試験(現:総合職試験)に無事に合格し、2009年から厚生労働省で働くことになりました。高校生の時には、親の仇のような役所で自分が働くことになろうとは思ってもいませんでした。
厚生労働省は「強制労働省」と揶揄されるほど霞が関の中でもブラックな働き方が常態化しており、私もご多分に漏れず、終電を逃してしょっちゅうタクシー帰りをしていました。それでも、厚生労働省の上司や同僚はみな志が高く、やりがいを感じながら激務をこなしていました。
東日本大震災後の雇用対策や社会保障・税一体改革など、さまざまな重要政策の一端を担わせていただいたのですが、特に印象に残っているのが国民健康保険法等の改正作業です。
当時、国民健康保険の保険者は市町村だったのですが、財政格差が広がってきたため、保険者を都道府県とすることで財政を安定化させるという大きな法改正でした。
法改正の作業が行われるとき、役所では「タコ部屋」という一角が部内に設けられます。そこには6~8人の若手官僚が集められ、一日中前例を調べたり条文を書いたりする作業が行われます。
タコ部屋の一員となった私は、約4か月間、土日や年末年始もなく、ひたすら条文を書き続けました(唯一、大晦日と元日だけは休みました)。年齢が近いメンバーと寝食をともにしながら法律案という一つのものを作り上げる作業は、学生時代の文化祭の準備にどこか似ていて、大変な中でも、役人人生で最も思い出深い仕事の一つになりました。
ハーバードを目指して英語の勉強
法改正の担当となり、職業人生で最も忙しかった時期に、人事院の海外派遣制度で国費留学をさせてもらえることが決まりました。ただし、政府の推薦枠のようなものがあるわけではなく、他の受験生と同様に大学院に出願し、合格を勝ち取らねば留学することはできません。
私はひそかに、ハーバード大学を狙っていました。なぜなら、大学3年生のときにハーバード大学のキャンパスを訪れ、その雰囲気がすっかり気に入ってしまったからです。
ハーバード大学がある米国ボストンは、函館市と同じくらいの緯度に位置します。寒冷で自然豊かな落ち着いた雰囲気は、故郷の北海道にどこか似ており、「いつかこの場所で勉強したい!」と心に決めていました。
ハーバードの公共政策大学院や公衆衛生大学院に受かるためには、TOEFLは100点が必要とされています(実際にはそれ以下でも受かっている人を知っていますが、何か別の光るものがなければ、合格は厳しいでしょう)。
厚生労働省に入省してから英語を使う機会はなく、久しぶりにTOEFLを受けたところ77点でした。人事院の制度で留学するには最低81点が必要で、それにも届いていないレベルでした。
そこから、「タコ部屋」に泊まり込みながら、英語の猛勉強が始まりました。少しでもスキマ時間を見つけては、英単語を一つでも多く覚えるよう努力しました。ここまで真面目に勉強をしたのは、人生で初めてでした。ハーバードへの憧れが、強い動機付けになっていたのだろうと思います。
法案を国会に提出して業務が少し落ち着いたときに、睡眠時間を削りながら平日5時間、休日10時間の勉強を3か月程続けたところ、TOEFLで103点を取ることができました。

注:「タコ部屋」に設置された簡易ベッド。誰も掃除していないので、寝ると痒くなる。枕は、コピー用紙の包装紙をドンキのビニール袋に詰めて作ったお手製。
社会疫学との出会い
現在の私の専門である社会疫学との出会いは、極めて不純なものでした。
私は「とにかくハーバードに行きたい!」という思いから、公共政策大学院をメインの出願先としつつ、保険をかける意味で、厚生労働省の業務とも関係がありそうなハーバード大学公衆衛生大学院(SPH)にも出願することにしました。
とはいえ、当時はSPHがどのようなことを学ぶ場所なのかということすら分かっていませんでした。しかも、経済学部出身のため、医学や保健学の知識はまったく持っていません。ハーバードSPHの出願では学科も決めなければならないため、ホームページを眺めながら、どの学科にするかを考えていました。
すると、Social and Behavioral Sciencesという学科に目が留まりました。「何だ、公衆衛生なのに『社会』を冠した学科があるのか?」と気になって調べてみると、イチロー・カワチ先生という日本人が(当時)学科長をしていることを知りました。
さらに、カワチ先生が『命の格差は止められるか』という日本語の新書を出していることが分かり、すぐに買って読みました。本を読み進めるうちに「これが自分のやりたい学問だ!」とピンときました。
「過労死のない社会」を作りたいと思っていた私にとって、社会が人の健康に与える影響を明らかにする「社会疫学」は、まさに自分の関心のど真ん中だったのです。しかも、計量分析が中心であるため、経済学との親和性が非常に高い分野でした。
ハーバードSPHへの留学、そしてその後
ハーバードSPHに無事合格
出願の過程で自分の問題意識にフィットした「社会疫学」という学問に出会った私は、志望理由のエッセイをスムーズに書くことができました。そして、2016年3月4日にハーバードSPHから合格通知を受け取りました。
なお、ハーバード大学の公共政策大学院の方は、予期せぬオンライン面接のオファーがあり、準備不足でまったく上手く話せなかったので、見事に撃沈しました(笑)。
そこから1年半のMaster of Public Health (MPH) のコースは、毎日のように大量の宿題が課され、役所とは違った質の忙しさがありましたが、とても充実していました。
カワチ先生の「社会と健康」の授業は、ハーバードSPHの一番大きな講堂で立ち見が出るほどの人気で、私がこれまで受けてきた大学の授業のなかで、一番面白いものでした。
また、RAND医療保険実験という非常に有名なランダム化比較試験を行った医療経済学者であるジョセフ・ニューハウス先生の授業も特に印象に残ったものの一つです。
シラバスは160ページ以上、授業スライドは2400ページ以上あり、毎週10本程度の論文を読んでニューハウス先生にリアクションペーパーを出さなければならないという、とてもハードな授業でした。生徒は40人くらいでしたが、その一人一人に、ニューハウス先生が毎回コメントを返してくれることに感動しました。
カワチ先生やニューハウス先生のような世界的に著名な研究者が、ここまで教育にも力を入れていることに衝撃を受けました。私も現在は大学教員をしていますが、自分の研究だけではなく、教育にもコミットしたいと思うのは、このハーバードでの経験が原点となっています。

注:念願のハーバードSPHに合格
初めての論文執筆
ハーバードSPHのMPHコースは1年半で、役所からの派遣は2年間だったので、残りの半年はカワチ先生の研究室に在籍しながら論文執筆に取り組みました。
しかし、英語で論文を書くのは初めてのことで、何をどのように書けばよいかが分かりません。そこで、日本から取り寄せて読んだのが、康永秀生先生の『必ずアクセプトされる医学英語論文 完全攻略50の鉄則』でした。
この本は、英語論文のIntroduction, Methods, Results, Discussionの書き方に加えて、査読にどのように対応すればよいかということまで丁寧に解説してくれていました。私にとってのバイブルであり、医学英語論文の執筆に関しては、まずはこれ一冊で十分だと感じています。
ようやく書き上げた論文の原稿をカワチ先生に送ったところ、1週間も経たないうちに真っ赤に修正やコメントが入ったものが返ってきました。自分の元の文章はほとんど残っていません。
私自身も大学院生の論文指導をするようになって分かるのですが、初めて論文を書く人の文章は、パラグラフライティングが出来ておらず、非常に読みにくいものです。そのような文章を添削するというのは骨の折れる仕事なのですが、カワチ先生は丁寧に、しかも驚くべき早さで返してくれたのでした。改めて、一流の研究者の仕事ぶりに感銘を受けました。
帰国後も毎朝5時に起きて論文執筆
初めて書いた英語論文は、厳しい査読を経て、無事にSocial Science & Medicineに掲載されました。その後、何本も論文を書いていますが、この初めて論文が掲載されたときの喜びを上回るものはいまだにありません。
こうして研究の面白さに目覚めた私は、厚生労働省に戻った後も論文執筆を続けました。継続のマインドセットを植え付けてくれたのは、ポール・J・シルヴィアの『できる研究者の論文生産術』という本でした。厚生労働省に戻ると激務が待っています。
しかし、同書の中で「書く時間がとれない」というのは言い訳で、「書く時間は、その都度『見つける』のではなく、あらかじめ『割りふって』おこう」と書かれていました。
これを実践するため、私は毎朝5時に起きる生活を始めました。最寄駅から日比谷線に乗り込むと、六本木に向かいます。当時、六本木ヒルズの49階に朝7時からオープンするライブラリーがあり、月額1万円ほどで利用することができました。
私は、オープンと同時にそのライブラリーに入り、出勤前の7時から9時までの2時間で論文を執筆しました。こうすることで、毎月平日2時間✕20日=40時間以上の論文執筆時間が確保されることになります。
私の場合は、60~80時間ほどで論文を1本書けるので、2~3か月に1本のペースでコンスタントに論文が書けるようになりました(この記事を書くなかで、ライブラリーが2024年に閉館したことを知り、とても寂しい気持ちになりました)。
厚生労働省を退職し、研究者に転身
京都大学SPHの助教として研究者人生をスタート
こうして研究にのめり込む一方で、役所では、自分の希望とは異なる部署に立て続けに配属されました。帰国後配属されたのは、G20大阪サミットを担当する部署です。
私は、厚生労働省の窓口として、他省庁や各国の代表団とさまざまな調整を行っていました。特に重要なのは、来日する各国の大臣の車やホテルを手配し、会議や視察までの動線をスムーズにつなぐことです。
このような段取りを組む仕事を、霞が関では「ロジ」(logisticsの略)と呼びます。なにぶん20か国の代表団が来日するため、私は日々大量のロジをさばいていました。
次に、総理大臣官邸に出向し、政治家の秘書官をしました。ここでもメインの仕事はロジで、お仕えした政治家が国内外の視察をするため、各省庁の担当者と旅程の調整を行いました。
私は「仕事の9割は段取りで決まる」と考えており、ロジの重要性は十分に理解しています。しかし、もう少しSPHへの留学で得られた専門性を活かした仕事がしたいと思うようになりました。ただ、役所の人事はパズルのように決まるので、常に自分の希望が通るとは限りません。
そうした折、東大から京大に近藤尚己先生が教授として栄転されることになり、社会疫学分野で新たな教員ポストの公募が出ることを知りました。
「人生の限られた時間をもっと研究に充てたい」と考えた私は、この公募に応募し、無事に助教として採用されることになりました。2021年3月、私は12年間勤めた厚生労働省を退職しました。
医師以外がテニュアを獲得するための戦略
私は博士号を持たずにアカデミアの世界に飛び込みました。しかし、大学のルールで5年の任期付きです(再任は1回可能)。
大学で研究活動を続けていくためには、まず博士号を取り、テニュア(終身在職権)を取らなければなりません。東大や京大のSPHの教授陣を見ると、生物統計の教授以外はみな医師です。海外のSPHのようにもう少し多様性があっても良いように思うのですが、日本では医学部の中にSPHがある以上、医師の力が強くなるのは致し方ないのかもしれません。
この状況を見て、医師ではない私が、SPHでテニュアを獲得するのは相当大変だと感じました。そこで、公衆衛生学以外の専門性を身に付けるため、博士課程は早稲田大学の経済学大学院に進むことにしました。
この戦略は当たりでした。
京大で3年目に入ったとき、慶應義塾大学総合政策学部で経済学を教えられる教員のテニュア付きの公募が出ていることを知りました。ちょうど年度末には早稲田で博士号が取れる見込みだったため、この公募に応募しました。
もし、博士号も公衆衛生学や医学で取っていたら、応募できない公募です。公募は順調に進み、無事に2024年4月から採用されることになりました。
公衆衛生学や医学の分野において、医師は最強の資格です(特に日本の場合)。私のように医師資格を持たずに疫学研究を続けようとする場合、何か別の専門性を掛け合わせることで、キャリアの間口を広げ、唯一無二の人材になるという戦略が必要になってきます。
おわりに
私は、35歳のときにようやく研究という自分の「好きなこと」を見つけることができました。毎朝5時に起きて論文を書くというのは、すごい努力だと思われるかもしれませんが、私自身は、まったく努力だと感じていません。ただただ「好きなこと」をやっているだけなのです(一方、好きでもない大学受験やTOEFLの勉強は、完全に「努力」で辛いものでした)。
厚生労働省を退職したので、直接法律を変えることはできなくなってしまいましたが、これからは研究を通じて、少しでも「過労死のない社会」を作ることに貢献できたらと考えています。
また、カワチ先生や近藤先生に社会疫学の面白さを教えてもらったように、これから連載するコラムで、私も社会疫学の魅力を伝えていきます。
参考文献
イチロー・カワチ(2013)『命の格差は止められるか ハーバード日本人教授の、世界が注目する授業』小学館101新書
康永 秀生(2021)『必ずアクセプトされる医学英語論文 改訂版 完全攻略50の鉄則』金原出版
ポール・J・シルヴィア(2015)『できる研究者の論文生産術 どうすれば「たくさん」書けるのか』講談社
先人の多様な知識と経験に学び、パブリックヘルスのキャリアパスを築くならmJOHNSNOW!

この記事を読み、「パブリックヘルスとキャリアの選択肢を広げたい」「MPHの専門性はどのような仕事で発揮できるの?」と思われた方もいらっしゃるでしょう。
そんな方には弊社が運営するオンラインスクールmJOHNSNOWがお勧めです。
mJOHNSNOWはスペシャリストが運営する臨床研究・パブリックヘルスに特化した日本最大規模の入会審査制オンラインスクールです。運営・フェローの専門は疫学、生物統計学、リアルワールドデータ、臨床、企業など多岐に渡り、東大、京大、ハーバード、ジョンズホプキンス、LSHTMなど世界のトップスクールの卒業生も集まっています。
本日解説したキャリアに加えて、みなさんの専門性を伸ばすためのコンテンツが目白押しです!
・スペシャリスト監修の臨床研究・パブリックヘルスの講義が毎月7つ以上開催
・過去の講義が全てオンデマンド動画化されたレポジトリー
・スクール内のスペシャリストに学術・キャリアの相談ができるチャットコンサル
・フェローが自由に設立して学べるピアグループ(ex. RWDピア)
・24時間利用可能なオンライン自習室「パブリックヘルスを、生き様に」をミッションに、『初心者が、自立して臨床研究・パブリックヘルスの実践者になる』ことを目指して学んでいます。初心者の方も大勢所属しており、次のような手厚いサポートがあるので安心してご参加ください!
・オンデマンド動画があるから納得するまで何回でも、いつでも学び直せる
・チャットコンサルで質問すれば24時間以内にスペシャリストから複数の回答が
・初心者専用の「優しいピアグループ」で助け合い、スペシャリストが”講義の解説”講義を毎月開催【YouTubeラジオコンテンツ 耳から学ぶシリーズ】

YouTubeラジオコンテンツ「耳から学ぶシリーズ」は、仕事や育児で忙しい人が10分のスキマ時間に“ながら聞き”で学べる音声コンテンツです。
すべてのコンテンツを疫学専門家が監修し、完全無料で毎日投稿していきますので、ぜひチャンネル登録してお待ちください。
シリーズ一覧
社会疫学シリーズ「元官僚の医療経済学者、健康格差を科学する」
vol.1:経済学部卒の官僚が、ハーバードSPHを卒業して社会疫学者になるまで(本記事)
vol.2:エリートほど長生きする?! 教育こそ最高の予防医療である
vol.3:お金で健康は買えるのか? 格差社会の健康科学
©mMEDICI Inc. ALL RIGHTS RESERVED.



















