
キャリア
【キャリア解説】行政とアカデミアを往還し導く公衆衛生看護の答えとは - vol.17
2025.04.24
市町村保健師と大学教員という、官と学の両面からパブリックヘルスに携わってきた私の試行錯誤のキャリアを赤裸々にお伝えいたします。
市町村保健師として現場で働き育まれた“パブリックヘルスマインド”、事業の中で行政(現場保健師)とアカデミアの双方を知っている自分の価値を発見し研究力を実感したことから、「科学的に保健活動を支えたい」と考えアカデミアの世界へ飛び込んだ過程。
公衆衛生学を学ぶ中で感じた公衆衛生学の魅力や怒涛のライフイベント(結婚・妊娠・出産・育児)を必死にこなしながら博士号(医学)を取得した日々。
子ども2人を抱えてワンオペ育児フルタイム勤務をする中で感じた、不安や焦りを解決する武器を手にするべく入会したオンラインスクール。
未熟ながらも現場と研究の経験を繋ぎ、”公衆衛生看護×疫学”の視点でパブリックヘルスの発展に少しでも貢献できればと模索する、そんな道のりをご紹介いたします。
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- この記事のまとめ
- この記事を読むと分かること
- この記事は誰に向けて書いているか
- キャリアシリーズ
- 執筆者の紹介
- 編集者
- 監修者
- 今のキャリアについて
- はじめに
- 道は、歩めばできるもの ―キャリアの原点
- 公衆衛生や疫学の授業との出会い
- 地方の保健師、七転八倒の日々
- 地域で育まれたパブリックヘルスマインド
- 失敗から学んだ連携、そして研究へ
- 越境、アカデミアの道
- 博士課程での日々
- ジレンマの向こう側 — 融合が切り開く領域へ
- ”公衆衛生看護×疫学”という武器を手に入れる
- そのキャリアを目指す人へのメッセージ
- 先人の多様な知識と経験に学び、パブリックヘルスのキャリアパスを築くならmJOHNSNOW!
- 【YouTubeラジオコンテンツ 耳から学ぶシリーズ】
この記事のまとめ
この記事を読むと分かること
保健師の仕事のリアルとその魅力
現場経験と研究との相互作用
公衆衛生看護×疫学という武器について
この記事は誰に向けて書いているか
公衆衛生の現場と研究の双方に興味がある方
保健師からアカデミアへのキャリアに興味にある方
看護学生・看護系大学等への進学を考えている方
キャリアシリーズ
vol.3:越境キャリアのススメ - 障害福祉と公衆衛生の枠を超えて社会を変える
vol.4:遺伝医療の進化とともに - 患者の未来を支えるため学び続ける遺伝カウンセラーの実情
vol.9:行政保健師、40代で大学院へ - 自治体の限界を超えEBPMで切り拓く地域保健の未来
vol.24:介護のお医者さん - ニッチを貫くわたしのキャリア論
vol.25:政策科学修士の地方公務員 - 科学としての学び、母親としての国政参画
執筆者の紹介
氏名:匿名
所属:看護系大学
自己紹介:保健師・修士(看護学)・博士(医学)。大学での学びを経て、公衆衛生の実践家である保健師を志す。修士課程修了後、市町村保健師を経て現職である看護系大学教員(保健師養成課程)となる。教員を続けながら博士課程(公衆衛生学教室)へ社会人入学し疫学研究で博士号を取得。博士課程修了後、保健師の現場を支える看護研究の必要性を感じつつも仕事と育児に追われ焦りを感じていたところ、オンラインスクールmJOHNSNOWの存在を知り参加。現在に至る。地域・研究・教育を往還し、現場経験と研究の両輪でパブリックヘルスへの貢献を目指している。
編集者
氏名:菊池祐介
所属:mMEDICI株式会社
専門性:作業療法学修士。首都大学東京(現東京都立大学)・東京都立大学大学院を卒業後、病院勤務を経て専門学校・私立大学にて作業療法教育、地域共生社会の醸成に向けたリハビリテーション専門職の支援に対する研究に従事。現在は心身の健康とその人らしさの実現に向け、保険内外でのクライアント支援を展開している。作業療法の社会的意義向上を信念に、mMEDICI株式会社に参画。
監修者
氏名:廣瀬直紀
所属:mMEDICI株式会社
専門性:保健学博士・公衆衛生学修士。東京大学・東京大学大学院を卒業後、外資系製薬企業の疫学専門家として薬剤疫学・リアルワールドデータ研究を専門とする。日本・グローバルの双方で活動したのちに、全ての人がアクセス可能な一流の知のプラットフォームを作り、「知に繁栄を、辺野に豊穣を」実現すべく、mMEDICI株式会社を創業。

今のキャリアについて
はじめに
この道を行けばどうなるものか。
正直に白状しますと、私のキャリアに“計画性”などありません。
ただ、「こっちの方がおもしろそうだ」と感じた方へその都度踏み出してきただけです。
「迷わず行けよ、行けばわかるさ」
かのアントニオ猪木イズムを拝借するなら、私のキャリアはまさにその繰り返し。
かくして保健師として地域に育てられた私は、気付けば大学教員として未来の保健師たちと共に学び合う日々を送っています。
無計画・無責任・無展望――私のキャリアを表すならこんな三拍子かもしれません。
ただ振り返ってみれば、踏み出したその一歩が道を創り、踏み出すその足がまだ見ぬ自分を形作ってきたように思います。
このn=1の経験が、今まさに 「この道を行くとどうなるのか…」と立ち止まる誰かの背中をそっと(あるいは強引に)押すことができれば幸いです。
道は、歩めばできるもの ―キャリアの原点
大学受験を控えていた頃、当時の世間は空前の健康情報番組ブームでした。
「トマトで血液サラサラ!」「納豆で健康!」と聞けば翌日にはスーパーの棚からそれらが消える…。
「みんながそんなに躍起になる“健康”って何?」
「なぜこんなに人を突き動かす力があるの?」
その疑問が私の進路をあっけなく決めました。
「“健康”を学べる大学なら、謎も解けて進路も決まって一石二鳥!」
「看護学部だと”健康”を包括的に学べるっぽい」
浅はかな進路選択でした。
「とりあえずここを目指すか」とその先のことは完全に未来の自分に丸投げ。 学びをどう活かすかは後から考えよう!というスタンスで無責任極まりない選択でしたが、これが私のキャリアの原点となりました。
公衆衛生や疫学の授業との出会い
大学の講義では健康の多様な概念を知りました。
講義の中でも特に腑に落ちたのは、「健康は目的ではなく手段であり資本である」 という考え方でした。
なるほど、皆それぞれの人生の”大切な何か”を成すために健康を求めていたのか。
健康そのものが人を突き動かすのではなく、その人の“大切な何か”に繋がる価値に共鳴して行動するのね。 そう考えるとあの健康ブームも合点がいきました。
そして、公衆衛生や疫学の授業との出会いが私の興味をさらに深めました。
“集団の健康”という概念や国や地域によって異なる健康、そして疫学の父ジョン・スノウのエピソードや日本の脚気論争。
“病気の原因を突き止め社会の仕組みを変えることで人々の健康を守る”
それは、まるで推理小説のような面白さがあり、真実に迫りゆくスリル感にワクワクしました。
そんな私に職業選択の決定打を与えたのは、学部3年次にあった地域看護学実習です。
病院とは違う赤ちゃんからお年寄りまで多様な人生が息づく暮らしの場。 医療職に限らず、事務職・企業・ボランティアなど様々な人々と手を取り合い、一つの目的に向かう仕事でした。
フィールドワーカーでありながら"公衆衛生という社会を変える視点を持つ実践家=保健師"
これだ!と思いました。
丸投げしていた職業選択問題はここで回収されました。
その後「もっと保健師活動を知りたい」と考えた私は、ストレートで修士課程に進学しました。
研究でフィールド調査に出た際、後に現場で幾度となく聞くこととなる 「(実際に事業に)来ている人はいいの、来ない人が問題なの。」 という言葉に初めて遭遇しました。
公衆衛生における対象者は地域住民全体。 それは一体誰のこと? 自分が出会えていない人も、もちろん地域住民であり支援を享受すべき対象者なのです。
この気づきは後の保健師活動の基盤となりました。
実のところを言いますと、当初は広域行政に携わることを夢見て、保健所保健師を目指していました。 ところがフィールド調査をしていたある日、私の進路を変える光景を目にします。
油性マジックで手書きされた「おっぱいの旗」を振りかざし、乳がん検診の先導をする町の保健師さん。
その姿はさながらドラクロワの『民衆を導く自由の女神』のようでした。

ですがその奇抜さ以上に私が惹かれたのは、「何としてでも住民に検診を受けてもらう」というあの保健師のたくましさ。
「しょうがないなぁ」と苦笑しながらも列に並ぶ住民さんたち。その光景は小さな町ですぐさま噂になり、笑いながら検診会場を訪れる人たちがみられるようになりました。
ただ待つのではなく、どうすれば人が動くのかを考え工夫し実行する。 その地域のために現場で汗をかき全力で動く。 ――私、こっちだな。そう直感的にそう悟りました。
地方の保健師、七転八倒の日々
地域で育まれたパブリックヘルスマインド
こうして私は市町村保健師の道を選びました。
働き始めて感じたことは、「保健師は公務員であり全体の奉仕者」であるということ。 そして「役所が全部やるのではなく、住民自らが地域を作る」という“自治”の精神でした。
とはいえ、現場は精神論だけでは回りません。 何かしらの生きにくさを抱えた人々が、その生きにくさを助長するような環境で暮らす。そんなケースに次々と向き合う日々。
問題が顕在化してから対処するいわゆる“モグラ叩き”ではなく、そもそも問題が生じない・深刻化しないよう、地域社会に働きかける必要があるのでは?
しかし市町村の保健事業は当時ですでに100以上。 日々の業務に追われ計画的な取り組みができないことも多かったです。 理想は遠く保健師だけで出来ることには明確な限界がありました。
「保健師は何でも屋だなぁ」 地域のありとあらゆる健康問題に首を突っ込んでいると、専門性への疑問が頭をもたげることもありました。
その総合力と柔軟性こそが期待されるものなのだと理解はしていましたが、“何でも屋”を自称するにはやるせない思いがありました。
スペシャリストに密かな憧れもあったのです。
しかし、スペシャリストと対比して“多様な視点を持つ『ジェネラリスト』も専門性”ということを知る機会があり憂いが晴れました。
保健師は、健康の多様性を捉え予防を軸に保健・医療・福祉を俯瞰するジェネラリストなのだと、そこで納得することができました。
「保健師は顔(の広さ)」「とにかく現場(地域)に行くんだよ」
先輩方からの教えに従い小さな町で働いていた私の業務は、ひたすら現場に行くことでした。
訪問に次ぐ訪問、地区の老人会に顔を出した後は子育て支援センターにお伺いへ・・・
効率的とは言えませんが、それでも足を運ぶことに意味があると信じていました。
現場に行くことは、住民の声や暮らしを知り、関係者と顔の見える繋がりを作る上で必要不可欠です。
しかし、ただ現場に行くだけが保健師ではありません。
地域という舞台において、住民はその一人一人が人生の主役です。
保健師は、その主役が輝けるように引き立てる黒子のような存在――泥臭く、目立たずとも寄り添いながら伴走する――そんな役割を担っているのだと次第に実感するようになりました。
ですが、ただの黒子ではありません。
公衆衛生や疫学に出会った学生時代、まるで推理小説のようだと心躍ったそれは、現場でより奥深いミステリーとなっていました。
住民の声や暮らしの中に隠れたヒントを探り出し、健康問題の背後に潜む社会的要因を解き明かす。
まるで地域の名探偵です。
黒子として住民に寄り添い探偵のように問題を探り、強みや魅力をも引き出しながら地域の未来を見据える。
保健師はとても面白い仕事です。
こうして地域に出続ける中で、ある気づきが生まれました。
多問題を抱え支援が必要なケースの多くは、個人の問題に見えていたものが、実は社会環境と深く結びついているということでした。
例えば、家賃が安いというような特定のエリアに集中していることが多いことなどです。
この感覚は、後に知る“健康の社会的決定要因(SDH)”に繋がるものでした。
個別支援の積み重ねの先に、地域全体の構造を見据える“パブリックヘルスマインド”がこの日々の中で、確かに育まれていたのだなと実感しました。
失敗から学んだ連携、そして研究へ
保健師1年目の時に、私は盛大なやらかしをしてしまいました。
それは、母子保健事業で協力先の学校への打診を忘れてしまい、担当事業が頓挫しかけたことです。
「1年目にして大事な事業を潰してしまった...」
この失態はまるで保健師としての存在価値を失うようで、血の気が引きました。
そんな時、庁内で子ども関係部署の合同会議があり、思い切ってこの事態を相談してみたのです。 すると意外な反応が返ってきました。
「では、出張開催にしたみたらどうか」と、教育委員会の担当課が代替案を即座に出してくれたのです。 さらに、子育て支援の担当課も次々と案を出してくださいました。
怒涛の勢いで企画が再構築されていき、結果的により充実した新しい形での事業として生まれ変わりました。
その時1年目の私は、失敗を通じて個々の専門性を繋ぎ合わせる、連携協働の絶大な力を実感しました。
それと同時に、ただ一緒にやれば良いわけではないことも知りました。
とある研修会で講師の方が保健・医療・福祉を三色丼に喩えてくださり、 「1つの丼に3種全部を詰め込むことが最善なのだろうか、3種の丼を同じお盆に乗せる方が良い場合もあるのではないか?」 と安易な統合・連携への警鐘を鳴らし連携の難しさを教えてくださいました。
適切な距離感や役割分担を考えなければ、かえって機能しなくなることもあります。
混ぜるな危険されどつなぐは妙。 連携協働の力を学んだからこそ、その在り方を慎重に考える必要がありました。
その後私は、大学と町の連携協定による新規事業の副担当になりました。
新米が何故?と不思議な思いはありましたが、実際に携わってみると、私は行政とアカデミアの“言語の違い”を通訳するために呼ばれたのかもしれないと役割を見出せました。
当初は拗れていた話も、両者によく聞いてみれば「倫理審査の書類ください」の一言で道が開けることなど、すれ違いの度に間に入ることで事業を前に進めることが出来ました。
それと同時に、行政とアカデミアの両者を知っているということには価値があるのだな、とも思いました。
この事業は、歯周疾患健診とボランティアの育成が含まれている初めての試みであり、沢山の苦労もありました。 しかし、住民・町・大学、地域歯科医師会といった多様なバックグラウンドを持つ関係者と力を合わせともに事業を形にしていくプロセスは、大きな充実感をもたらしてくれました。
まさに住民とともにつくる自治、地域に学び地域に育てられた経験でした。
同時に研究の力も実感し始めました。
大学の持っていた研究成果を事業展開に活かし、そのノウハウをも享受することで、新規事業であっても何とか軌道に乗せることができました。
また事業のデータをExcelでポチポチ整理するだけでも、活動に根拠が生まれるということを体感しました。それらの経験から、“やってみた”ではなく科学的に保健活動を支えたいと思うようになってきました。
そんな折、上司がふと漏らした言葉がありました。
「臨床の先生と私たちの考える公衆衛生は、少し違う気がする」
理解が違うとはどういう意味か当時は疑問でしたが、今なら何となくわかります。
その方は、医療と地域を分断された世界と捉えており、その橋渡しが公衆衛生であると考えていたように思います。
しかし住民にとっては、医療も保健も地域資源のひとつ、暮らしの一部に過ぎません。 保健師が地域を診る時に、それは分断された世界ではなく同じフィールドです。
どこからどういう立場で見ているのか?視点の重要性を考えさせられました。
この頃の私は、再び研究に興味が向くようになっていました。
現場の『なぜ?』を解き明かし、より良い連携を作り、保健師活動を科学的に支えたい。 そのためには研究や教育の力が必要ではないか?
その思いは日に日に強くなっていきました。
越境、アカデミアの道
そんな思いを抱える中、大学時代の恩師から「教員をやってみないか」と声を掛けていただきました。
地域での経験はかけがえのないものでしたが、研究や教育を通じて現場を支える道―これもまた面白そうだ!
それに加えて、このタイミングでこんなチャンスは二度と無いかもしれない。
そう思い、すぐに応募書類の準備に取り掛かりました。
心配で恩師に書類を添削していただきましたが、後から思えば応募前に教授に話を通しておくことや、書類を第三者(可能なら、人事を担当したことのある教員)に見てもらうことは重要なポイントでした。
面接は準備する間もなくぶっつけ本番でした。 母校の先生方の専門は把握していたので、面接官にウケが良さそうな分野の活動エピソードを話しました。
結果として私はアカデミアの世界へ飛び込むことができました。
ただ、公衆衛生看護学の教員業界は思った以上に“売り手市場”です。
何故なら、保健師の多くが行政所属であり、その安定を捨ててまで任期付き教員になろうと思う人などSSRな存在だからです。
地方の大学では今も血眼になって教員を探しているところがあるでしょう。(看護系大学教員になるためには、一般的に修士号と論文が最低1本以上あると良いですが業績をさほど問わない大学もあります。)
また教員となってから感じたギャップとして、想像以上に教育活動の比重が大きいというものがありました。
保健師養成課程の教員でもあるので、教育業務に割く時間は多いです。 ただしこの辺りも大学のカラーがあるので、なりたい教員像に合わせた選択をした方がいいと思います。
大学で研究や教育をする中で、現場での保健活動の意味が明確になっていきました。
社会疫学との出会いが現場での感覚と繋がり、保健師の支援の核心は“健康の社会的決定要因による健康格差”にあるのでは、というところに着地したのです。
こうした背景から博士課程への進学は必然でした。
保健師活動を研究で支えるには、疫学的素養は不可欠。
そして、教員として生きていくためには、博士号が必要だったからです。
ただ現場へ戻っていく同僚を何人も見送ったために、なかなか腹をくくれずにいました。
では何故進学に踏み切ったかというと、そんな中途半端な私を見かねて周囲から静かなるプレッシャーが高まったということと、上司(恩師)の紹介で他大学公衆衛生学教室の抄読会に参加するようになっていたことが大きな要因でした。
公衆衛生学教室の指導教官に進学意向を伝えると、抄読会への継続参加が功を奏したのか、すんなりと許可をいただけました。
「看護の世界で生きていくのに医学博士で良いのか?」と確認もありましたが、「疫学研究をしっかりやりたい」という思いを伝え、それならばと理解を得ました。
公衆衛生学は実に多様なバックグラウンドを持つ人たちが学びに来ていました。この学際的な結びつきこそが公衆衛生の魅力なのだと思います。
公衆衛生は憲法25条にも謳われる国家・行政の責務であり、同時に保健・医療だけでなく福祉・社会学・法学・政策学、都市工学など多岐に関わっています。
「健康づくりはまちづくり」と言われますが、このフレーズは公衆衛生の学際的な特性を象徴しているように感じ、こうした環境で学べることに感謝しました。
博士課程での日々
博士課程では、歯科保健に関する研究を行いました。
大学と町の連携協定事業の際に、住民さんと一緒に歯磨きの啓発活動をしていたからです。
ほらエビデンスに基づいた活動だったんだぞ!と言いたかったのです。
しかし研究活動の過酷さに食いしばり過ぎたのか、この研究遂行中に顎関節症になり隣の附属病院送りとなりました。
文献レビューをしながら、「あー本当に、咀嚼力が低下すると最初に野菜が食べられなくなるんだな…」 と実感とともに理解したことは、不幸中の幸いだったかもしれません。
ある時指導教官に、「データヘルス計画はどこも似たようなものばかり。聞けば皆、業者に委託しているという。地域診断は保健師の専売特許だったんじゃないの?貴方たちはその専門性を手放して良いの?」と言われショックを受けました。
確かに、保健師は地域を診る力を持っていたはずですが、現場は多忙を極めており分析の負担が大きいことも事実です。
結果的に外部に委託され、地域診断は“行政の作業”として形骸化してしまうかもしれない。
現場の多忙さも理解できる一方で、アカデミアの立場からはその専門性喪失の可能性に危機感を覚えました。
きっと絶対手放してはいけない部分と、うまく協働してより良い地域診断にしていける部分とがあるはず。
このギャップを埋めることが自分の役割かもしれない。
''保健師が地域診断を手放さないように、研究面から支えたい''そう思うようになっていきました。
しかし博士課程の学びは決して平坦なものではありませんでした。
そもそも私にはレベルが高過ぎる...いや素晴らしすぎる環境であるからこそ、場違い感を強く感じておりました。
常に爪先立ちで、足は攣りそうで息継ぎもろくにできず、ずっと溺れかけ状態でもがく劣等生でした。
「あなたは批判的吟味はするけどそれだけだよね。博士は新たな知見を創出できる人材だよ。」
バッサリと言われたこともありました。
私は新しい何かを生み出せているのだろうか?そんな不安を抱えながらも、優秀な同期や教室員の皆様のおかげで、なんとか歩むことができていました。
ところが博士課程も折り返しという頃、結婚・妊娠・出産・育児という怒涛のライフイベントが押し寄せました。
先送りにしてきたツケがここで一斉取り立てに襲い掛かり、通学すらままならない状況になりました。
産前はギリギリまで粘り、出産1週間前にやっと論文1本がアクセプトされました。
通院していた産婦人科の先生には「私も赤ちゃんおぶって研究室行ったもんだわ!」 と言われ、産後も子供をおぶって研究室へ行き(一時保育も勿論利用)博論審査に挑みました。
あまりの慌ただしさに記憶があやふやなまま博士号を取得しました。というか、してしました。
博士課程を修了したものの、「私は博士の資格があるんだろうか?」 という不安がつきまといました。
そんな状態で看護の世界に戻ってみると、「はて、看護研究とは?」 と自分の立ち位置が分からなくなってしまいました。
完全に研究迷子です。
そうこうしているうちに第2子を出産。 半年で研究へ復帰したものの、夫の単身赴任という鬼畜の所業により、子ども2人を抱えてワンオペ育児フルタイム勤務がスタートしました。
研究のエフォートがどんどん削られていき、「このままキャリアが終わってしまうのではないか?」という焦りだけが募っていきました。
ジレンマの向こう側 — 融合が切り開く領域へ
己の歩んだ道を振り返ってみると、どうやら私は「公衆衛生看護とは」という問いに自分なりの答えを持ち始めているようでした。
それは、“地域をプラットフォームに、科学的視点と協働によって人々の生活と健康の背景や文脈を読み解き、より良い未来を共創するプロセス”というものです。
健康とは何か
地域で学んだ健康格差の現実
連携協働の力
研究の必要性
それらを踏まえ、住民一人一人の人生と社会全体に目を向け、科学的根拠に基づき住民と共に未来を創る。
その実践が公衆衛生看護であると私は考えます。
しかし理想の追求にはそれに見合う武器が必要です。
手ぶらでラスボスに挑む勇者はいません。
これからの闘いに備え私は新たな武器を手に入れる決意をしたのです。
”公衆衛生看護×疫学”という武器を手に入れる
子育てで多忙でもありましたが私の理想を追求するべく、隙間時間をやりくりしながらオンラインスクールで学ぶことにしました。
それがmJOHNSNOWです。
看護研究の世界で闘っていくには、疫学をベースに自分の看護研究のスタイルを確立させなければなりません。
目指すは、“公衆衛生看護×疫学”という武器を手に入れること。
保健師の学問領域である公衆衛生看護は、個別ケアと社会の健康づくりを両立させるというユニークな特徴を持っています。
そして疫学は、多様な関係者との連携協働を推進するための強力なツールとなり得ます。
保健師にとってパブリックヘルスマインドを持つということは、どんな活動をする時にも基本です。
住民とともに考え支援するスタンスを持っているか?
実施している事業・施策の効果を検証しているか?
目の前の個人だけでなく、健康格差の問題にアプローチできているか?
これらの問いに答えるべく“公衆衛生看護×疫学”の視点を持って、健康なまちづくりに貢献する保健師活動を探求し、地域に貢献していきたい。
それが私の目指す未来です。
そのキャリアを目指す人へのメッセージ
無計画・無責任・無展望に見えた私のキャリアですが、振り返ればそれは好奇心・適応力・自己成長の道だったのかもしれません。
保健師から研究者へ。
それは、現場の『なぜ?』や地域で深まるミステリーを科学で解き明かす挑戦です。
日々の実践で抱く疑問や課題をより良くしたいという想い。それらは研究の原動力となります。
現場を知る人材だからこそ見える景色があり、できる研究があります。
この記事を読んでくださった方々と、いずれ共に支えあい学びあう関係になれたら嬉しく思います。
先人の多様な知識と経験に学び、パブリックヘルスのキャリアパスを築くならmJOHNSNOW!

この記事を読み、「パブリックヘルスとキャリアの選択肢を広げたい」「MPHの専門性はどのような仕事で発揮できるの?」「全世界の業界専門職の方と繋がりたい」と思われた方もいらっしゃるでしょう。
そんな方には弊社が運営するオンラインスクールmJOHNSNOWがお勧めです。
mJOHNSNOWはスペシャリストが運営する臨床研究・パブリックヘルスに特化した日本最大規模の入会審査制オンラインスクールです。運営・フェローの専門は疫学、生物統計学、リアルワールドデータ、臨床、企業など多岐に渡り、東大、京大、ハーバード、ジョンズホプキンス、LSHTMなど世界のトップスクールの卒業生も集まっています。
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・初心者専用の「優しいピアグループ」で助け合い、スペシャリストが”講義の解説”講義を毎月開催【YouTubeラジオコンテンツ 耳から学ぶシリーズ】

YouTubeラジオコンテンツ「耳から学ぶシリーズ」は、仕事や育児で忙しい人が10分のスキマ時間に“ながら聞き”で学べる音声コンテンツです。
すべてのコンテンツを疫学専門家が監修し、完全無料で毎日投稿していきますので、ぜひチャンネル登録してお待ちください。
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