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疫学、その熱狂と魂 - 佐々木敏名誉教授インタビュー Part.3 「一つの学問が立ち上がり、波紋は広がる その稀有な現象を、栄養疫学という窓から垣間見た」

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疫学、その熱狂と魂 - 佐々木敏名誉教授インタビュー Part.3 「一つの学問が立ち上がり、波紋は広がる その稀有な現象を、栄養疫学という窓から垣間見た」

2025.01.12

今回のプロフェッショナル

背景

講義室は、異様な熱気に包まれていた。

とある国立大学で開催されていた毎週の講義は立ち見が出るほどの人気ぶりで、生徒の中には30分も前から教室に来て席を取る者もいる。

いざ授業が始まれば、教室中が講師の発する熱気に飲み込まれた。椅子に座って耳を傾ける座学であるはずなのに、気づけば生徒の血はたぎり、胸が高鳴る。

講師が質問を投げれば、生徒も我先に答えんとばかりにあちこちで手を挙げる。90分の講義時間は一瞬のうちに過ぎ、生徒の殆どが一度も時計を見ることなく夢中になっていた。講義というよりも、まさにハリウッド映画を観ているかのうような興奮である。

日本全国の大学院で、毎年立ち見がでるような講義が果たしてどれだけあるだろうか。

それが、日本を代表する疫学者、佐々木敏先生の講義である。

佐々木先生が教える疫学は、疫学という一つの学問を超え出て「君たちはどう生きるのか」という根源的な問いを聴くものに突きつけていた。

たとえばコホート研究、たとえばケースコントロール研究、そうした単なる知識の解説も、佐々木先生の研究者としての卓越した眼差しと実践に裏付けられた息遣いをもって語られることで、途端に躍動する。

その生き様は、疫学者としての一つの到達点にあり、「いったいどのようにしてその境地へと至ったのか」を世に知らしめることには意義がある。そう考え、佐々木先生にインタビューを行わせて頂いた。

記事は全3回を予定しており、それらを通して「いかにして一人の人間が卓越した研究者になったのか」という個別具体を描き、そして普遍していく

vol.3となる今回は、佐々木先生の日本時代に着目し、栄養疫学というケースを例に、「一つの学問が立ち上がり、日本中へと波紋が広がっていく様」を垣間見てゆく。

それは、稀有は旅であった。

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キャリアシリーズ

  • 疫学、その熱狂と魂 - 佐々木敏名誉教授インタビュー
    - Part 1:伝説の疫学講義はこうして生まれた
    - Part 2:地に生きる者たちのための疫学、ヨーロッパから世界をまなざして
    - Part 3:一つの学問が立ち上がり、波紋は広がる その稀有な現象を、栄養疫学という窓から垣間見た

  • 新谷歩教授インタビュー

    - Part 1:アメリカに燃ゆる執念、人事を尽くし教育した医療統計がここに

    - Part 2:アメリカに燃ゆる執念、人事を尽くし教育した医療統計がここに

 

語り手

佐々木敏先生(東京大学大学院医学系研究科 社会予防疫学分野 名誉教授)

日本の栄養疫学の第一人者であり、Evidence Based Nutrition(科学的根拠に基づく栄養学)を日本で提唱し、牽引し続けている。日本人が健康を維持するために摂取すべき栄養素とのその量を示したガイドライン「日本人の食事摂取基準」の策定の中心的役割を長年担い、さらにWHOの栄養ガイダンス専門家会議のメンバーを務めるなど国際的な学術活動も行う。東大SPHで担当した「疫学研究と実践」の講義は毎年立ち見がでるほどであり、卒業生の多くが「最も印象に残った授業」として感銘を持って語ることも多い。著書に『わかりやすいEBNと栄養疫学』『佐々木敏の栄養データはこう読む!』『佐々木敏のデータ栄養学のすすめ』『行動栄養学とはなにか?』ほか。

語り手の書籍一覧

佐々木敏のデータ栄養学のすすめ

行動栄養学とはなにか?

 

 

聞き手

廣瀬直紀(mMEDICI株式会社CEO/Principal Epidemiologist)

東大入学後に燃え尽き、放蕩生活を送る。授業では出席をとった瞬間に退出し、図書館で本を読んでさぼるような日々であり、3年間の留年を経験する。そんな中で「暇だったから」という理由で偶然参加した佐々木敏先生の授業に感銘を受け、疫学という学問を知る。学部卒業時に佐々木先生より頂戴した『わかりやすいEBNと栄養疫学』を読み耽り(今も本棚に大切に並べている)、その後東大SPHに進学。卒後は自身も疫学専門家となり、「私が佐々木先生や他のSPHの先生方の熱に触れて人生を変えてもらったように、一流の熱に触れるチャンスを学びにアクセスできない全ての人に届けたい」という想いからmMEDICI株式会社を創業する。

   

 

今回は先生が日本に帰国し、栄養疫学という学問を確立させるまでのお話を伺わせてください

僕が栄養疫学を確立するためにしてきたことは3つあるんだけど、それぞれ話していくね。

まず最初は「データを作る」こと。

その頃のヨーロッパでは、言語や社会システムが少しずつ異なる国が、それぞれ栄養疫学を立ち上げていくことが流行っていた時代だったんだ。

そうすると各国で少しずつ異なるフォーマットのデータが得られるから、じゃあそれをどう統合して一つのデータベースにしていくか、というのがヨーロッパがやっていたこと。

一方、日本にはそもそも栄養疫学で使えるデータが存在しなかった。

ああ、日本は20年、30年も遅れているんだ、なんとかしないとって思ったよ。

その頃の日本にはね、食事を食べているということをデータ化するサイエンスが存在しなかった

ある一人の人が肉類を1日平均で何グラム食べているか、そして集団の平均のたんぱく質摂取量がどれくらいか、これを調べることそのものが科学で、疫学はそのデータを使わせてもらう立場だ。

でも、そもそものデータ測定が科学になっていなければ疫学は成立できない

それは実地疫学の中でデータ測定に向き合い続けていらっしゃった先生だからこそのお言葉ですよね

そうだね。

そんな状況だったから、まずやるべきは一つだけ、つまり食事を測定するための調査法を作ることだ。

その当時の栄養学のデータ測定の方法は、24時間思い出し法や秤量法が基本だったんだけど、これは理論的にも技術的にも難しい。僕一人ではこの方法で食事摂取のデータベースを構築することは短期間では難しいと思い、別の方法を考えることにした。

それが食物摂取頻度調査票(FFQ)だった。

FFQを使えば、何を食べているかという食物のデータベースはできる。これに食品成分表を掛け合わせれば、次は栄養素のデータベースができる、そうすれば疫学ができる。

僕はヨーロッパにいた時にFFQを勉強していたんだけど、いざこれを日本で使おうとして2つの壁にぶつかったんだ。

一つ目は、FFQに掲載される食品のリストは民族ごとにオリジナルなものを作らなければならないということ。

だって民族によって日々食べている食品って全然違うでしょ?だからヨーロッパの調査票をもってきて言語だけ入れ替えて日本で使います、ってのは栄養学じゃできないんだ。

そして二つ目の壁は調味料。

FFQってのはFood Frequencyでしょ?

つまり、食品をどれくらいの頻度で食べているかということでできているリスト。でも、日本人の食生活を見ると、病気の元になるものって食塩・脂。

これって食品そのものに入っているものではなく、調理過程で入る調味料だ。

だからこの2つはFFQでは測定できない。

FFQってのは「ハンバーガー」など食品で構成されるアメリカの食生活には向いてるけど、Cookをする、つまり食材を買ってきて各人が調理して、食卓で味を整えるような食生活には不向きだよね。

だから、醤油をかけるとか、炒め物にどれくらい脂を使うかとか、それをどうすれば数値化して定量的に栄養計算に反映できるかを考えないといけない。

そこで思い至ったのが食事歴法という調査法で、これは食品ではなく食事習慣を定量化するための調査法。

これをFFQに組み込めばいい。

そして、コードを書いてプログラミングすれば、これまで手作業でやっていたものを自動化できる。僕は工学部出身だったから、プログラミングも自分でできたし。そして栄養疫学を勉強していたから、集めたデータを研究に使うために構造化することもできる。

つまり、全部自分でできる。

こうして栄養学のデータベースを作り始めたんだけど、FFQに食事歴法を組み合わせると物凄く複雑な質問紙とプログラムになってね。

だから現実に使ってもらえるか分からなかったけれど、若気の至りで理想系を作りたかったんだよね。

質問が400個で、20ページ、回答に45分もかかる。

そして集めた質問紙を手で入力して、プログラムで計算させる。

でもプログラムが複雑すぎたから、当時の僕のパソコンでは一晩で10数人分しか計算できなくてさ。でも「これで良い」って思って、だってCPUの計算速度は倍々で成長していくはずだから、3年もあればすぐに動くようになるって見越していたよ。

そうして作った質問紙がDHQ(Self-Administered Diet History Questionnaire)

それも工学部出身の佐々木先生だからこその選球眼ですね。そこから一気に栄養学のデータベースを構築されたんでしょうか?

いや、データを集めて研究する前にやらないといけないことがあるよね?

そう、Validationだ。

集まったデータのどこが正しく、どこが正しくなく、そしてどんな集団に使えて、どんな集団に使えないのか、それを明らかにしないとデータとして使いものにならない。

だから地域の健康教室の運営の方と知り合いになり、そこでValidationをやらせてもらった。本当に大変だったけれど、これで「DHQはまぁ妥当だよね」ってことがわかって。

その後、さまざまな指標を物差しにしてDHQの妥当性を色んな角度で測っていって、どんどん妥当性を確立していった。

それでいよいよデータベースの確立に向かわれたんですか?

いや、当時のDHQは回答に45分もかかってしまったから使い勝手が悪かったんだ。それでは疫学として成り立たない

だからDHQの簡易版を作ることにした、それが今使われているBDHQ

20ページから3ページに減って、回答時間も15分だけ。それで沢山の人が使えるようになって、そしてセンター試験の採点みたいにOCRで読み取れるようにして、プログラムがあるから自動で計算まで完了できる。

BDHQはね、ライセンスをあえて取得しないようにして、だから色んな人たちが自由に使える。ただ、プログラム自体は非公開にして、親プログラムを持っておいてそのコピーだけを配るようにしたんだ。そうすればこちらが精度を管理できるから。

色んな先生たちから「BDHQを使えば論文になる」と言ってもらえるようになって、「日本は進んだ」って思うことができた。

これは、BDHQは妥当性が証明されている質問紙だからだ。

妥当性がとれていないものを使えば、崩れる砂の上に城を建てることになる。それは疫学ではない。だからこそ、二次データや既存の質問紙を使う人は注意しなくてはならない。

それでいよいよ一気に栄養学のデータベースが確立されたというわけですね。

いや、ここで終わりじゃなかった。

妥当性が証明できたら、次はBDHQが「どの集団に使えて、どの集団には使えないか」ということを明らかにしないと

食べ物には流行り廃りがあるし、地域によっても食習慣が違うから、だから特定の食品リストしか持たない質問紙が、食習慣が異なりうる他の集団に使えるかどうかってのは不明だ。

だからそれを確かめないといけない。

これは厳密には科学ではないかもしれないけれど、例えばレストランにいってお客さんに「何食べた?」とか聞いたり、出張に行った際はその地の食習慣をヒアリングしたり。

そうしてその地域、時代でBDHQが使えるかどうかっている参考材料にしたりね。

その結果、BDHQに追加された食品の一つがゴーヤーだね。これは緑の葉野菜の項目に入ってるんだけど、ゴーヤーは葉野菜じゃないよね?

でも、成分的に見れば葉野菜に近いし、調理の仕方もゴーヤーチャンプルーのように野菜炒めで葉野菜みたいに使うことが殆どだ。だからゴーヤーを葉野菜に入れても回答者の頭脳負担にはならない。

質問紙に答える際の頭脳負担ってとても大切で、これが大きすぎると正しく、最後まで回答してもらえないから。

調理方法や食品として分類が異なるものを同じ項目に入れてしまうと、人はうまく答えられなくなっちゃうんだよね。

ゴーヤーと葉野菜は「食品としては違うけど、一緒の項目にしても良いもの」だけど、反対に「食品としては類似だけど、一緒の項目にしちゃいけないもの」もある。例えば牛乳だね。

BDHQでは低脂肪乳と普通乳は分けていて、脂質含有量やエネルギーが大きく違うから一緒にはできない。飲む人からすると同じ白い飲み物だけど、いざ「どちらを飲んでる?」って聞けば殆どの人は答えられるから、これは「一緒の項目にしちゃいけないもの」だ。

こうしてできあがったのがBDHQで、これが「栄養学のデータを作る」っていう僕がやった3つの仕事の一つだね。

データ無くして疫学なし、でもGarbageなデータを作っても、間違った疫学にしかならない。

私は「誰かが作ったデータを使って当たり前」だと思っていたので、データを作る人がここまで奥深い思考と実践を重ねていたとは想像もできませんでした

そうだね、今はデータが増えてきて、データを作ることよりもデータを解析できる人を探す方が大変になっているもんね。

僕がやった仕事の二つ目は、食事摂取基準の確立だ。

僕が日本に帰ってきた当時、栄養学は大きく二つのグループが行なっていた。

一つは農学。農学の先生は基礎研究をメインにしていて、動物実験などでとてもレベルの高い研究をしていた。ただ、農学だからメインは食物に対する学問で、「それを人が食べること」に着目した学問はあまり取り組まれていなかった

二つ目は栄養士。実は日本は世界で最初に栄養士の制度を作った国らしい。そして現在でも管理栄養士のライセンス保有者は世界有数に多い。だから実践家としての栄養士を育成する大学はとても多いんだけど、一方で研究を中心とする大学で栄養士を育成している大学はとても少ない

ヨーロッパでは栄養学に取り組む人たちは研究所の中にいる人たちがメインだったから、日本とヨーロッパのギャップに驚いたよ。

そんな中で、僕が医学生だった頃はちょうどEvidence Based Medicineがバズった頃で、医師たちが臨床業務の中で論文を積極的に読むようになったんだよね。

EBMってのは治療の標準化と早期利用のために生み出された概念で、だったら栄養学にもそのまま使えるじゃない?

それで最初はすごく軽い気持ちで「Evidence Based Nutrition(EBN)」って言ってみたんだよね。

栄養は、人間が食べるものなんだから科学するのは当たり前だし、そして人間が食べるものだからラットじゃなくて人間で研究しないといけない

この先、僕たちが曝露する情報はどんどん増えて、そして研究者は複雑なものが好きだから栄養学にもどんどん参入してくるだろうと思った。そんな時にEBNというものが確立されていなければ世の中が大変な混乱に陥るんじゃないかって考えたよ。

それで『EBN入門』って本を2000年に書いたんだ。「人間を対象にした栄養学が必要で、これこそが栄養学の入り口と出口であって、そのための技術が疫学である」って書いてね。

先生にとって、疫学は目的ではなく世を良くするための手段であるということが明確に感じられ、感動します

ありがとう。

そうしてEBNの必要性を唱えていたら、厚労省が栄養所要量のガイドラインを改定する、そのためのポストを作るからそこに異動しなさいって辞令がきてさ。その当時の僕は国立がん研究センターにいたんだけど、いきなりその事務局のトップとして赴任することになって。

世界に目を向けると栄養所要量ってのはもう古くて、Dietary Reference Intakes(DRIs)、つまり食事摂取基準に置き換わっていたんだよね。

1990年にイギリスが世界で初めてDRIに近いコンセプトを打ち出して、次にアメリカ・カナダが1994年に合同でガイドラインを出した。

これが何千ページにも及ぶ報告書で、Dietary Guidelineの世界を一新したんだ。そして、この報告書が栄養疫学の考えで書かれていた

一方、僕が栄養所要量のガイドライン改定を命じられたのが2002年で、これは2005年度から使う予定だった。もしこの時までに世界に追いついて食事摂取基準を生み出せず、旧態依然とした栄養所要量に基づいたガイドラインを出せば、次の改定がある2009年までこれが使われることになってしまう。

すると日本の栄養学はとんでもない時代錯誤に陥り、それによって栄養行政や栄養情報は致命的な失敗を犯してしまうだろうと考えた。

一方で、ガイドラインは現場で使うためのものだから、あまりにも大きな変更があれば現場が困る。だから「どっちを選ぶ?」って考えた、マイナーチェンジかドラスティックチェンジか。

もちろんやるべきは後者だ。ただし、世界の流れに乗っていて、向こう15年は使えるものだ。

だから大急ぎでアメリカとカナダが作ったDRIsを読み、日本の文化、疾病構造、体格、食習慣などを加味しながら日本向けのDRIsへと補正していった。

ガイドラインを作るには膨大な数の論文を読み込まなければならないんだよ。

だから、EBMがわかってる人じゃないとその労働の価値がわからないよね。今でこそ「システマティックレビュー」の重要性は言うまでもなく理解されているけれど、当時はEBNなんて全く根付いてなかったから、まずシステマティックレビューの必要性を理解してもらうところから始めないといけなかったんだよね。

ガイドライン作成に参加した僕より先輩の先生方に「網羅的にレビューをお願いします」って言っても、「どうして私の論文を入れないんだ、なぜ他人の論文を読まないといけないんだ」って怒られることもあったね。

そんな経験をしたから「世の中を変えるって大変なんだ」って実感した

30の参考文献がつくなら、その裏には1,000本の論文があってしかるべき。だからガイドラインを作るのは本当に大変なんだけど、若手の研究者たちがいっぱい文献を読み込んでくれて、それでなんとか2005年版として日本初の食事摂取基準を作り上げることができたんだ。

食事摂取基準の確立が先生のお仕事の2つ目の柱ですね。3つ目は何だったのでしょうか?

教育だね。

2005年に食事摂取基準を公開することができて、その辺りで東大から「日本になかった世界基準の公衆衛生の大学院を作るから、きませんか?」って誘ってもらったんだよね。

実は、その時は公衆衛生は僕の頭の中心ではなかったんだ。頭の中には栄養学があって、僕の興味は人間栄養学をどう立ち上げるかという方に向かっていたから。

公衆衛生にはすでにすばらしい先生が沢山いて、十分な人間プールがあったんだよね。でも人間栄養学にはそれがなくって、「だったら僕がやるのはこれしかない」って思ってた。

日本は管理栄養士って資格が確立されて、世界的には教育に大成功していて、大学もとても多く、そんな世界トップクラスの成功例の国なのに学術だけが弱いってのは致命的だよね。

だから、僕は管理栄養士を養成する大学に勤めている先生方の学問レベルを上げることが非常に重要だって思って、その人たちと一緒に仕事をしたかったんだ。

だからその人たちに連絡をとって、共同研究を立ち上げたりして。

でもね、残念なことにその共同研究は大きく広がらなかったんだ。

そこには僕が思い至らなかった理由があった。管理栄養士を養成する大学では教育の負担がとても多くを占めていて、研究に割ける時間や労力が少なかった。

そうして解決策がないまま、僕は栄養とは直接は関係がない東大の教員になった。「これで僕は栄養と離れてしまうのか」ってちょっとだけ後悔はあったよ。栄養に携わっている人たちと日々接する職場じゃないからね。

そう思っていたら、お茶の水女子大の院生さんが5名くらいで「栄養疫学を教えてください」って僕のところにきてくれたんだ。

それでオープンな勉強会をすることになって、年4回で10時から17時まで、これを10年以上やり続けてきた。

ありがたいことに、こうして一度は離れたはずの栄養の大学の人たちや大学院生と交流して、教育のチャンスをもらえている。そして、この勉強会で勉強した人たちはいま第一線で研究や仕事をしてくれている。これはうれしいね。

僕の人生で取り組んできた3つの柱は栄養学のデータの確立、食事摂取基準の確立、そして栄養疫学の教育の確立だけれど、3つ目はまだ完結していない。

僕もまだまだ頑張らないといけないし、そして僕のあとを継ぐ人たちの力で完結させてほしいって思うよ。

 

終わりに

今回は、佐々木先生の日本時代のお話を伺いました。

次回はいよいよ最終回、未来に向けて「栄養疫学はどうあるべきか、疫学者はどう生きるべきか」という未来への展望、願いを語って頂きます。

そしてなんと、ウェビナー事業mERASMUSでは2025年2月から、オンラインスクールmJOHNSNOWでは2025年4月から、佐々木敏先生の医学研究デザイン講座を展開します。

タイトルは「ゼロから極める医学研究デザインシリーズ- 教養としての疫学、その魂と熱狂」、単なる知識としての疫学を超え、社会をどう視て、どう生きていけば良いか、そんな胸震える熱狂的体験をお届けします。

【開催概要】

​開催期間:2025年2月23日(土)~2026年1月24日(土)
見逃し配信:2026年2月まで(開催終了した講義も全て視聴可能)​
価格:一般 50,000円     
   学生 25,000円(社会人学生を除く)
受講証発行:有
※研究費等でご参加の方を含め、全ての方に受講証を発行いたします。また、請求書・領収書は数クリックで発行できます。

詳細のご確認やお申し込みは以下のリンクをご確認ください。 https://mmedici.co.jp/merasmus/research/connect/epidemiology

キャリアシリーズ

  • 疫学、その熱狂と魂 - 佐々木敏名誉教授インタビュー
    - Part 1:伝説の疫学講義はこうして生まれた
    - Part 2:地に生きる者たちのための疫学、ヨーロッパから世界をまなざして
    - Part 3:一つの学問が立ち上がり、波紋は広がる その稀有な現象を、栄養疫学という窓から垣間見た

  • 新谷歩教授インタビュー

    - Part 1:アメリカに燃ゆる執念、人事を尽くし教育した医療統計がここに

    - Part 2:アメリカに燃ゆる執念、人事を尽くし教育した医療統計がここに

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