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新谷歩教授インタビュー Part.1 「アメリカに燃ゆる執念、人事を尽くし教育した医療統計がここに」

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新谷歩教授インタビュー Part.1 「アメリカに燃ゆる執念、人事を尽くし教育した医療統計がここに」

2024.12.17

今回のプロフェッショナル

背景

医学研究に携わる者であれば、一度は耳にしたことがあるはずの名前。

 

大阪公立大学教授 新谷歩先生。

 

「今日から使える医療統計」や「みんなの医療統計 12日間で基礎理論とEZRを完全マスター!」など医療統計学を学び始めた初学者に絶大な人気を誇る書籍の著者である。

その教育は大学や書籍に留まらず、YouTubeではチャンネル登録者数1.55万人と多くの悩める医療職の支えとなってきた。さらに驚くべきはYouTubeを開始した年であり、なんと最初の動画が11年前にアップロードされて以来、これまで283本もの動画を世に生み出し続けている。

その教育の魅力は、一言で言えば「弱者への共感」

医療統計に触れる者は「呪文にしか思えない、これは私が学ぶべきものじゃない」と諦めた者も少なくはないはずだ。しかし、そうしてかつて医療統計を諦めた者であっても「新谷先生の講義なら楽しめる」と、医療統計に再びチャレンジする入り口となっているのである。

新谷先生の語りには、常に「分からない者」への共感がある。

だからこそ、複雑怪奇な統計の世界に飛び込んだ者にとっても「この先生になら着いていきたい」と思わせるだけの吸引力があるのだろう。

かくいう私も新谷先生の書籍やYouTubeで学んだ者の一人である。私が東大SPHに在学していた時などは、「お風呂に入りながら新谷先生の動画を1本見る」ことを日課としていた。特に混合効果モデルの動画がお気に入りだ。

そうして新谷先生の動画に学んだ私は、大学院を卒業して自身も教える側になったときに気付かされた。

いったいどうしてあれほどまでの情熱を教育に注げるのだろうか。

新谷先生がYouTubeに動画を初投稿したのは今から11年前の2013年である。

一方、日本のトップユーチューバーである「はじめしゃちょー」さんの初投稿は2012年。そう、日本の最古参のトップユーチューバー勢とほぼ同時期にYouTubeでの教育活動を始めている

しかも数本の動画を投稿しただけではなく、そこから現在に至るまで投稿し続けている。

恐れ多い表現にはなるが、これは常軌を逸した執念である。

大学の教員は、当然ながら激務だ。研究、教育、そして大学や研究室の運営のための活動、そこにさらにプライベートの子育てが加わればもう空き時間などほぼないに等しいだろう。

そんな過酷な環境下にありながらも、11年もの歳月をかけて医療統計を教育するための動画を世に発信し続けている。しかも無償で。

いったいなぜ、それほどまでの情熱と執念を教育に対して抱くことができるのか。

そこには、普遍化して世に伝えるだけの意義があるはずである。

そんな思いから、新谷歩先生へのインタビューを行わせて頂いた。

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キャリアシリーズ

  • 疫学、その熱狂と魂 - 佐々木敏名誉教授インタビュー
    - Part 1:伝説の疫学講義はこうして生まれた
    - Part 2:地に生きる者たちのための疫学、ヨーロッパから世界をまなざして
    - Part 3:一つの学問が立ち上がり、波紋は広がる その稀有な現象を、栄養疫学という窓から垣間見た

  • 新谷歩教授インタビュー

    - Part 1:アメリカに燃ゆる執念、人事を尽くし教育した医療統計がここに

    - Part 2:アメリカに燃ゆる執念、人事を尽くし教育した医療統計がここに

新谷先生のゼロから極める医療統計シリーズ

2025年4月5日から、全12回に渡る新谷先生の講座が開講されます!

新谷先生のゼロから極める医療統計シリーズ

【講座タイトル】
新谷先生のゼロから極める医療統計シリーズ

【講座概要】
「医療統計、私にもできるかも!」

統計が嫌いな人にこそ届けたい、新谷先生がおくるどこまでも優しく、どこまでも情熱的な医療統計ウェビナー。

初心者向けだからと言って、医療統計の表面だけをなぞって終わりではありません。初心者向けと言いながら、難解な数式ばかりで画面を埋め尽くしたりはしません。

「私には統計は無理だ」と感じる人のために毎月1つの手法を1つの講義でじっくりと解説し、なぜ・いつ・どうやってその手法を使うのかという原理原則から深く理解し、全12回を通して重要な統計手法を丸ごと実践で応用できるレベルまで「極める」ことがこのシリーズの目的です。

「あの日、あのウェビナーにでたおかげで」、そう言ってもらえるウェビナーになるよう腕によりをかけてつくります。

【講座開催概要】
開催期間:2025年4月5日(土)~2026年2月28日(土)
見逃し配信:各講義開催日の2日後から2026年4月2日(木)まで
※単発購入の場合は講義終了から1ヶ月間

【参加費】
一般 :79,800円
学生: 39,900円 (※社会人学生を除く)
※各講義単発購入も可能です
※研究費等でご参加の方を含め、全ての方に受講証を発行いたします
※請求書・領収書は数クリックで発行できます

詳細のご確認とお申込みはこちらから
https://mmedici.co.jp/merasmus/research/connect/statistics

 

語り手

新谷歩先生(大阪公立大学院医学研究科 臨床医科学専攻 教授)

2000年に米国エール大学で生物統計学の博士号を取得後、テネシー州ヴァンダ―ビルト大学で講師准教授を経て、2013年より大阪大学医学部臨床統計疫学寄附講座教授。2016年より現職。ヴァンダービルト在籍中は医師研究者の育成を目的とした臨床研究修士コースで10年以上150人に及ぶ医師サイエンティストの育成に携わる。著書に「今日から使える医療統計(医学書院)」「みんなの医療統計(講談社)」「あなたの臨床研究応援します(羊土社)」がある。日本REDCapコンソーシアム代表。 2022年9月にスタンフォード大学が発表した「世界で最も影響力のある研究者トップ2%」に生涯区分・単年区分両方で選出された。Youtubeでも医療統計に関する動画を多数配信し登録者は1万5千人以上。
https://www.youtube.com/@ayumishintani7044

 

聞き手

廣瀬直紀(mMEDICI株式会社CEO/Principal Epidemiologist)

東大学部時代に生物統計の必修試験を2年連続で落第し、3年目の追試でようやく合格する。学部時代に受けた授業にまったく着いていくことができず、「統計は私なんかがやっちゃいけない天才の学問なんだ」と苦手意識を抱く。しかし、同大学のSPHへ進学したことで統計を学ぶ必要性が生じる。そんな時、新谷先生のYouTubeに出会って「こんな私でも理解できるかもしれない」と一縷の望みが生まれる。上から下まで動画を視聴したが、特に混合効果モデル、多重検定、一般化推定方程式の解説は繰り返し視聴したお気に入り動画である。

   

 

本日はよろしくお願いします。いきなりですが、先生が医療統計をご専門にすると決めたきっかけは何だったのでしょうか?

数学はもともと好きだったのですが、きっかけはアメリカのホームステイで出会ったリンダです。彼女はノースカロライナ州で女性初の生物学の博士号を取得した人だったんです。

そのリンダから「統計をやりなさい」って言われました。その当時の私はMBA留学を考えていたんですが、リンダは「MBAを学ぶ人はあり余っている。それにデータを扱う仕事なら在宅勤務も可能で、女性にとても向いている。どうせやるならトップを目指しさい」と言ってくれて。

これはサプライズでしたね。

その当時、私が暮らしていたような田舎では親戚の男性から「女は勉強してもしょうがない」、「統計なんてやっても何の役にも立たない」って言われていましたから。

このリンダの言葉をきっかけに統計を学ぶことを決意して、アメリカに留学したんです。

田舎のご出身だったんですか?ちょっと意外ですが、もしよければ生まれ育った環境を伺っても良いでしょうか?

ええ、私は兵庫県の片田舎に生まれました。高校には朝6時に起きて自転車で5キロ離れたとこにある駅まで向い、さらにそこから1時間電車にのって通っていました。

親は大変愛情深く「子供にはなんでもさせてあげよう」と考えてくれるような人たちだったんですが、経済的にそれほど恵まれていたわけではありませんでした。

父は郵便局員、母は自宅で簡易郵便局をしており、祖父母と3人の子供に食べさせるために毎日内職をしてました。

毎日私が小学校から帰ると、母がネームを付けたシャツが山のように積んであって、それを一つ上の姉一緒に1時間くらいかけて畳むんです。

たしか、そのシャツ1枚で2、3円くらいの稼ぎで。同じように祖父は大きな機械を使って皮の手袋の型抜きをしていて、それなんて1枚10銭くらいにしかならないんです。

だから、「お金がないな」っていうのはあって。

いまだに覚えてるんですけど、ティッシュを学校に持っていきますよね?

同級生はその当時使われ始めたポケットティッシュで、柄も可愛いのを使ってるんですけど、うちは買えなかったから硬い紙でできた質の悪いティッシュを毎日5枚だけ親から渡されるんです。

「1日5枚までだからね」って言われて、数えて使ってましたね。

こういう環境で育ったから、「とにかく豊かになりたい」という気持ちが強かった。

私は数学が得意だったので奈良女子大の理学部数学科に進学したのですが、卒後は「豊かになりたい」という夢を叶えるために企業にいきました。アメリカかぶれだったのもあって、海外の企業にいきたかったんですよね。

なんと!実は企業経験もおありだったのですね

そうなんです。

ありがたいことに入社して3か月でテキサス州オースティンにあった本社に6か月送ってもらって。

そこで働いてるマリアとの出会いが強烈でした。

私より一つか二つ上の若いベトナム人の女性エンジニアなのですが、その人に会うために日本からおじさんが沢山きて、彼女にペコペコしてるんです。

日本ではそんな光景は見たことがなかったから。

その時の私はまだ若手で、仕事も全く分からないし、何を学べば良いのかも分からなかったんですが、「専門性さえ身につければ、日本のサラリーマンが海を超えてまで会いにくるんだ」って感動して。

それがきっかけでイェール大学に留学されたんでしょうか?

留学までには紆余曲折がありまして。

まず、勤めていた企業からいきなり「日本に帰ってこい」って言われて、しかも東京から名古屋に転勤まで命じられてしまって。自分の意思なんて関係なく歯車みたいに使われていて、「もう無理」って思って帰国後しばらくしてから退職したんです。

それで、いろんなことがぐちゃぐちゃになってしまったから、一度リセットしようと思って田舎に帰ったんです。

そうして地元で学校の先生なんかもやったりしたんですが、ある時ふと「自分が死ぬ時に”この人生で良かったな”」って思いたいって気づいて。

そこでアメリカのMPHに留学することを決めました。

でも、合格するまでは親には何にも言わなかったんですよね。

当時はオンラインで資料を見たりなんてできないから、アメリカの大学にハガキを送って受験資料を取り寄せて、読んでいて分からないことがあれば国際電話をかけたりして。

奈良女の学務課に行って英語で卒業証明書を出してくれって頼んだら、前例がないのでありませんといわれたり。じゃあ私が英訳するので、これを機に作ってくれと直談判したり。

なんとか、願書をそろえたら、最後は公証人の人に1万円払ってハンコまで押してもらって、そうやってようやく出願するんです。

親はそんな様子を見ていたので「何かやってるな」っていうのは知ってたみたいですけど、特に何も言わずに放っておいてくれたんですよね。

合格してから始めて伝えたんですが、その時は選択肢が2つあったんです。

一つはスカラシップ付きの大学で、もう一つはイェール大学です。

その時の私は貯金が150万円くらいしかなかったから、親には「こっちの大学ならアルバイトしながら学費を大学が払ってくれる」って伝えたんですが、そしたら「その大学は日本でみんな知ってる?イェールは知られてるよね?じゃあイエールにいきなさい」って言ってくれたんです。

そして、800万円を親から借りました。

親が爪の先に火を灯すようにして貯めたお金だったんで、本当に申し訳なく、ありがたく感じました。

当時は田舎では結婚式に何百万円もかけていた時代だったので「このお金を借りる代わりに、結婚式では何の支援もいらない。私は結婚式よりもディグリーを買うんだ」なんて言ったりして笑い。

アメリカの留学生活は本当に厳しかったんですが、それでも何とかサバイブできたのは「親が貸してくれたお金を絶対に無駄にしてなるものか」という執念があったからですね。

イェールのMPHに進学し、その後博士課程に進学されていますが、最初からそのつもりだったんでしょうか?

いえ、MPHの2年間で帰国する予定でした。

でも色々と状況が変わって。まず、私は卒後はそのままアメリカの製薬企業で働きたかったのですが、アメリカの製薬企業は外国人はマスターでは採用しないんですよね。

製薬にH1ビザ(アメリカでの就労に必要なビザ)のスポンサーになってもらうためにはPhDをとらないといけなくって。

それに、当時は日本で女性が社会で活躍するにはまだまだ厳しい時代で、女性は男性の3倍働かないとなんて平気で言われていたころです。

女性としてやっていくためには、博士はとっておいた方が良いだろう、「出過ぎたくぎは打たれない」と思って博士課程に進むことに決めました。

そのためプラス4年残ることにしました。

でも銀行口座に2万円しかなくって、なのにアメリカの本ってハードカバーで1冊200ドルくらいするんです。買えないので本はコピーして使ってましたね。

まさにBread or Bookという生活です。

とても過酷な生活だったんですね

そうですね、最初は「こんな自分にやり切れるんだろうか」って不安もありました。でも、MPHの1年目で寮に入るのですが、そこにご夫妻で留学している韓国人の先輩がいらっしゃって、「私って大丈夫でしょうか?卒業できるんでしょうか?」って聞いて。

そしたら先輩、「できるでしょうかじゃないよね?やるかやらないかでしょ。できるよね?」ってきっぱりと言い切ってくださって。

これが腑に落ちたんですよね、「諦めなければやり遂げられるんだ」って。

アメリカの大学院は2年生から働けるようになるので、それからはRAもやったしTAもやったし、退役軍人病院でインターンをしたりもしました。

退役軍人病院では指導教官が私のことを気に入ってくれて、通年で働かせてくれるようになりました。前立腺がんのケースコントロール研究でデータマネージャーとして働いたりもしましたね。

ちなみにMPH時代は時給12ドルくらいで、それが卒業してMPHホルダーになった後は20ドルまで上がりました。当時は1ドル100円前後だった時代ですが。

イェールのPhD卒後はそのままヴァンダービルト大学で働かれていますよね?日本人がアメリカの大学で職を得るのはとても大変だと聞いています

そうなんです。

ちなみに卒後はかねてからの希望通り現地で製薬企業に就職するつもりでした。ブリストルマイヤーズスクイブから内定も頂いていたのですが、当時婚約中だった夫がテネシー州のヴァンダービルド大学に就職することになったんです。

それで泣くなく製薬企業の内定を断り、テネシー州に移りました。

そのために留学したようなものだったので、本当に苦しい決断でした。

アカデミアは競争が激しいので無理だと最初はあきらめていたのですが、残念ながらテネシー州には医療統計の専門性を活かせるバイオ系の会社がなく、私も夫と同じヴァンダービルド大学で働くべく、アシスタントプロフェッサーのポジションに応募してみたんです。

しかし、ヴァンダービルド大学からはすぐにお断りの手紙が来ました。

「あーあ」って思って、でも夫の仕事で移住することは決まっていたからテネシー州まで家を探しにいったんです。その時に、「直接いってみよう」と思い立って、ウォークインでレジュメを片手に握りしめてヴァンダービルド大学を訪れたんです。

ヴァンダービルド大学は今でこそ医療統計で有名になっていますが、その時は4人しかいないような小さな組織だったんです。

だから当時のラボも、トイレを回収して無理やり作ったようなラボで、誰も見つけられないような辺鄙なところにあって、うだるような夏の暑さの中で「どこーっ」って必死に探し回って。

そうしてやっと見つけたのが、そのラボで働いていた台湾人のYu Shyr先生です。

Shyr先生は私のアプライしたレジュメを以前に見てくださっていて「君のことは知ってる」って。

それで「どんなポジションでもいいから、RAでもいいから雇ってくれ」と直談判したら「じゃあ紹介してあげよう」と言って、その当時にできたばかりだったヘルスサービスリサーチセンターを紹介してくださいました。

そしたら即アシスタントプロフェッサーとして採用してくださり。

そこから働き始めることになります。

そこでの仕事はとても楽しかったですね。

「Ayumi Ayumi、これ解析してくれないか?」ってみんな頼ってくれて、家族の一員のように仕事をしていました。

どのような研究をされていたんですか?

例えば、ヴァンダービルド大にはICUにおけるせん妄の研究で世界一著名なWes Ely先生がいるんですが、私も一緒に研究させてもらっていました。

今でこそICUにおけるせん妄についてのエビデンスは蓄積されていますが、その当時は全然で。彼が「鎮静剤の使い過ぎが害になり、せん妄がおこるんじゃないか」って国際学会で発表したら笑われたそうです。

イタリア人の医師から「ICUの鎮静剤は、ピザの上のチーズだ」って言われたんですって。これ「多ければ多いほど良い」ってことです。

そんな中で彼は臨床研究でエビデンスを出し、今やICUのせん妄は世界のガイドラインにも載るようになりました。

まさに臨床研究で、世界が変わる現場をこの目で見ることができたのです。幸運なことにWesと一緒に論文を書かせてもらって。

アメリカが強いのは、臨床研究のロールモデルが沢山いることです。彼らの姿を見て、後進が育つ。

Wesは若い時にいきなりNew England Journal of Medicine(世界4大医学誌の一つ)に掲載したんですが、それは彼のボスがそういったレールを敷いてくれていたからなんです。

ボスが研究費として大きなお金をとってきて、研究を立ち上げて、そしてそのプロマネを彼に任せながら、彼に筆頭著者として論文を書かせてあげる。彼は敷かれたレールに乗って臨床研究のノウハウを学ぶ。

その研究を彼が成し遂げた後に、ボスは彼に「君はこれで成功体験を積んだ。だからそろそろ君は君自身の帽子を被らないといけない、君の帽子(生涯をかけて取り組む研究テーマ)は何だ?」と聞いたそうです。

それで、彼は「ICUでは退院ができても、脳の機能がおかしくなってしまう患者さんがいる」という問題意識からせん妄を一生のテーマにすることを決めました。

アメリカが素晴らしいのは、こうやって力のあるメンターのもとでどんどん若い人たちが育っていくことですね。私もそんな教育を日本で広めたいと思っています。

先生がお持ちの教育への執念、熱はどこから生まれたんでしょうか?

ヴァンダービルド大にいって、2年目にMaster of Science in Clinical Investigationという臨床研究修士コースで「教えてみないか?」と打診されました。

英語で教えるなんて絶対に無理だと思って、最初は断ろうと思ったんですが、私は昔から教えるのが好きで、家庭教師をしていたときも生徒さんからのウケが良かったり、教員免許ももってましたし。

それこそ企業を退職して田舎にかえっていた時は高校で数学なんかを教えていましたし。

断る前に「そうだ、教えるのすきだったわ」って思い出して。

私が教えていたのはフェローシップで大学に戻ってきた医師たちです。つまり、研修を終えて、専門医をとるために大学に戻ってきた人たちですね。

そこで私は毎日3時間を20日間続けるプログラムで統計を教える担当になって、それがすごく面白かったんです。

彼らは統計の教育はまったく受けていないので、全然分からない中で無我夢中に勉強してるんですよ。そもそも研究のことすら分からないし、統計となるとめっそうもないという具合です。

でも、その人たちに「この統計手法は、こんなものだよ」というコンセプトを教えて、そうやって意味を掴むとパーって花開いていくんです。

つまり、フィジシャンがフィジシャンサイエンティストに変わっていく、それがこの上な喜びでした。

20日間のコースワークが終わると、ガラッと様変わりするんですよね。そうしてトータル2年間のプログラムが終わった時にはもうがんがん研究するようになっていて。

医師って、ハードディスクとしては大きなものをもっているけれど、サイエンティストのようなクリエイティブな考え方があまり鍛えられにくいのかなって思います。

現場にでるとガイドライン通りにやることが優先されて、新しいことにチャレンジするのが難しくなる。

だから卒業して数年経つと頭じゃなくて筋肉が優先して動くようになるって、知り合いの救急の先生が言ってました。

でも、フィジシャンサイエンティストになると硬直化していた頭も動き出すんです。そして、その人たちがまた別の人たちを育てて、そうして教育が水の輪っかのように広がっていく

教育ってすごいなぁって思いますよ。

その当時から、「わかりやすく、楽しい」教育を実践されていたんでしょうか?

フェローをしている医師たちは、生活があるからみんなバイトしてるんですよ。当直をして、そのまま徹夜で学びにくる。それを「I'm moonlighting」なんて言ったりするんですが。

そうすると、例えばSASのプログラミングなんかを画面で見せるだけだとみんなすぐに寝始めます。数式も同じですね。

だから、まずSPSSを使うようにしました。それなら画面をポチポチしながら自分で手を動かしてデータをいじれるから、みんな眠らずに耐えてくれました。それでも寝る人がいるから、時には教壇から飴を投げて配ったりして笑。

説明の仕方をこう変えてみよう。

理論じゃなくってまず実例から入ろう、そうやって講義を磨いていきました。

昨日は伝わらなかったことが、今日はうまくいったと、ティーチングにどんどんのめりこんでいったんです。

そうして試行錯誤しているうちに、カーン(Khan)アカデミーが出てきたんです(全世界で利用されている無料の教育サービス)。それをみて「じゃあ私も作ろう」ってことで2013年くらいから動画を作り始めました。

そこで思い切ったんですが、授業では授業をやらないようにしたんです。

どういうことかと言うと、まず授業は全て動画にしてしまって事前に見ておいてもらう。そして授業はクイズと宿題、つまり自分で手を動かすような時間にしました。

アメリカはTeaching Evaluationって言って、毎回の授業後に学生が講師を評価する制度がありますが、そのスタイルに切り替えるとなんと満点をとれるようになりました。

そうしているうちにWes Elyが私に言ってくれたんです。

「歩の授業を受けると、僕のところに修行に来た若手医師達がday and night changeする」って。

研究のことなんて何も分からなかった医師が、医療統計を学んで、ロジックがわかるようになり、データの活用方法を学び、そして研究費を獲得し、論文を出版していく。

この体験はいまだに思い出しても震えがとまりません

アメリカでは、アカデミアのポジションをとるのは本当に大変なんです。フェローがアシスタントプロフェッサーになるためには、自力でKグラントと呼ばれる研究費を獲得することが必須です。

私が最も感動していたのは、フェローの人たちがこのKグラントをとる瞬間です。

それができるように教育するのが私たちの役目でしたから、その瞬間をみるのが本当に嬉しくって。

私は医師ではないので人の命は助けられないけれど、でも人の命を助けられる人たちを助けるってことが好きで、その人たちを応援するのが自分の使命だと感じています。

こうやってアメリカでやっていたのと同じことを、日本でもやっていきたいと思って教育活動をしています。

YouTubeもその頃から始めたのでしょうか?

そうですね。

動画スタイルで授業を始めて、Teaching Evaluationで満点をもらって、それで「動画ってすごいんだな」と気づきました。

で、せっかく作った動画なんだから、もっと活用しないともったいないなって気持ちになったんです。

それで周りの知人に相談したんですが、そうすると「知財がーとか、弁護士に相談すべきだー」とかめんどうなことを山ほど言われてしまって。

それである時腹が立ってしまって、その勢いで夜中に全部の動画をYouTubeにアップしました笑。

その動画でお金をとるわけでもないし、怒られたら怒られたでその時に考えればいいやって思って。

これはアメリカで学んだ経験ですけど、「まずとりあえずやってみる」って大切ですよね。

日本では石橋をたたいて叩き壊す人が多い印象ですが、あまり考えすぎるとやりたい事もやれませんから。

とりあえずやってみて、ダメならダメで怒られたら「すいません」って謝まって、その時に軌道修正すればいいんです。

 

終わりに

今回は、新谷先生のアメリカ時代のお話を伺いました。

次回からはいよいよ日本編、アメリカで実践されていた教育をいかにして日本に根付かせていったのか、そんなお話をお届けいたします。

新谷歩先生インタビュー|ゼロから極める医療統計

新谷歩先生に、現在開催中の「ゼロから極める医療統計講座」に込めた想いや、医療統計の魅力について語っていただきました。
初心者にもわかりやすく「どこまでもやさしく」「どこまでも情熱的に」伝える姿勢の根底にある想いとは?研究者として、教育者としての言葉が詰まったインタビューです。
ぜひご覧ください

詳細のご確認とお申込みはこちらから
https://mmedici.co.jp/merasmus/research/connect/statistics

【全12回セミナースケジュール】
※開催時間は全て13:00~15:30

特別回
『ゼロから極めるロジスティック回帰講座』(パッケージ購入者へのオンデマンド動画特典)

4月5日(土)
『傾向スコアを極める - 交絡を乗り越える手段、しかし過信してはならない』

4月27日(日)
『記述統計を極める - データセットを作り、記述するという最も大切な統計の基礎』

5月31日(土)
『P値と信頼区間を極める - 有意差に惑わされず、はびこる誤解を断ち切る』

6月28日(土)
『統計検定の選び方を極める - この目的ならこの検定、理により武器を正しく選ぶ』

7月26日(土)
『線形回帰と非線形回帰を極める - 連続値アウトカムを正しく調理する』

8月30日(土)
『疫学指標を極める - いつ、なぜ、どの指標を使うべきかをクリアに』

9月27日(土)
『交絡を極める - もうその交絡選択、やめませんか?』

10月25日(土)
『生存時間解析を極める - ハザードって何なんだ?速度をアウトカムにする』

11月29日(土)
『欠損を極める - 欠損は除外すべからず、空白を正しく補完せよ』

12月27日(土)
『繰り返しデータの解析を極める - 繰り返し測定されたデータの複雑性を紐解いていく』

2026年1月31日(土)
『予測モデルを極める - ただ作るのではなく、真に実用的なモデルを目指して』

2026年2月28日(土)
『メタアナリシスを極める - 複数の研究を統合し、さらなる強度の結果を得るために』

キャリアシリーズ

  • 疫学、その熱狂と魂 - 佐々木敏名誉教授インタビュー
    - Part 1:伝説の疫学講義はこうして生まれた
    - Part 2:地に生きる者たちのための疫学、ヨーロッパから世界をまなざして
    - Part 3:一つの学問が立ち上がり、波紋は広がる その稀有な現象を、栄養疫学という窓から垣間見た

  • 新谷歩教授インタビュー

    - Part 1:アメリカに燃ゆる執念、人事を尽くし教育した医療統計がここに

    - Part 2:アメリカに燃ゆる執念、人事を尽くし教育した医療統計がここに

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