
キャリア
疫学、その熱狂と魂 - 佐々木敏名誉教授インタビュー Part.1 「伝説の疫学講義はこうして生まれた」
2024.11.14
今回のプロフェッショナル
背景
講義室は、異様な熱気に包まれていた。
とある国立大学で開催されていた毎週の講義は立ち見が出るほどの人気ぶりで、生徒の中には30分も前から教室に来て席を取る者もいる。
いざ授業が始まれば、教室中が講師の発する熱気に飲み込まれた。椅子に座って耳を傾ける座学であるはずなのに、気づけば生徒の血はたぎり、胸が高鳴る。
講師が質問を投げれば、生徒も我先に答えんとばかりにあちこちで手を挙げる。90分の講義時間は一瞬のうちに過ぎ、生徒の殆どが一度も時計を見ることなく夢中になっていた。講義というよりも、まさにハリウッド映画を観ているかのうような興奮である。
日本全国の大学院で、毎年立ち見がでるような講義が果たしてどれだけあるだろうか。
それが、日本を代表する疫学者、佐々木敏先生の講義である。
佐々木先生が教える疫学は、疫学という一つの学問を超え出て「君たちはどう生きるのか」という根源的な問いを聴くものに突きつけていた。
たとえばコホート研究、たとえばケースコントロール研究、そうした単なる知識の解説も、佐々木先生の研究者としての卓越した眼差しと実践に裏付けられた息遣いをもって語られることで、途端に躍動する。
その生き様は、疫学者としての一つの到達点にあり、「いったいどのようにしてその境地へと至ったのか」を世に知らしめることには意義がある。そう考え、佐々木先生にインタビューを行わせて頂いた。
記事は全3回を予定しており、それらを通して「いかにして一人の人間が卓越した研究者になったのか」という個別具体を描き、そして普遍していく。
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キャリアシリーズ
疫学、その熱狂と魂 - 佐々木敏名誉教授インタビュー
- Part 1:伝説の疫学講義はこうして生まれた
- Part 2:地に生きる者たちのための疫学、ヨーロッパから世界をまなざして
- Part 3:一つの学問が立ち上がり、波紋は広がる その稀有な現象を、栄養疫学という窓から垣間見た新谷歩教授インタビュー
- Part 1:アメリカに燃ゆる執念、人事を尽くし教育した医療統計がここに
- Part 2:アメリカに燃ゆる執念、人事を尽くし教育した医療統計がここに
語り手
佐々木敏先生(東京大学大学院医学系研究科 社会予防疫学分野 名誉教授)
日本の栄養疫学の第一人者であり、Evidence Based Nutrition(科学的根拠に基づく栄養学)を日本で提唱し、牽引し続けている。日本人が健康を維持するために摂取すべき栄養素とのその量を示したガイドライン「日本人の食事摂取基準」の策定の中心的役割を長年担い、さらにWHOの栄養ガイダンス専門家会議のメンバーを務めるなど国際的な学術活動も行う。東大SPHで担当した「疫学研究と実践」の講義は毎年立ち見がでるほどであり、卒業生の多くが「最も印象に残った授業」として感銘を持って語ることも多い。著書に『わかりやすいEBNと栄養疫学』『佐々木敏の栄養データはこう読む!』『佐々木敏のデータ栄養学のすすめ』『行動栄養学とはなにか?』ほか。語り手の書籍一覧



聞き手
廣瀬直紀(mMEDICI株式会社CEO/Principal Epidemiologist)
東大入学後に燃え尽き、放蕩生活を送る。授業では出席をとった瞬間に退出し、図書館で本を読んでさぼるような日々であり、3年間の留年を経験する。そんな中で「暇だったから」という理由で偶然参加した佐々木敏先生の授業に感銘を受け、疫学という学問を知る。学部卒業時に佐々木先生より頂戴した『わかりやすいEBNと栄養疫学』を読み耽り(今も本棚に大切に並べている)、その後東大SPHに進学。卒後は自身も疫学専門家となり、「私が佐々木先生や他のSPHの先生方の熱に触れて人生を変えてもらったように、一流の熱に触れるチャンスを学びにアクセスできない全ての人に届けたい」という想いからmMEDICI株式会社を創業する。
毎年立ち見となっていた大学の講義、あれだけの熱をどうやって授業に込めていたんでしょうか?
講師が熱を込めようとしても、多くの場合は空回りになることが多いよね。
熱量を伝えるために大切なことは、まず一つは伝える側が熱を持つこと、そしてそれを伝える力があるということ、その2点なんです。
僕の場合、一つ目は「自分も熱のこもった講義を受けて、人生が良い方向に変わったという経験がある」ということが大きいかな。そんな経験があるからこそ「同じ経験を次の人にもしてほしい」って思ってる。僕がそんな経験をした機会は人生の要所要所であるんだけど、大きいのは医学部時代の実習だね。
国立循環器病センターに行って、そこで先生から予防医学の大切さを教わったんだけど、そこで初めて「予防とは何か」という実践的研究に触れることができたんだ。たとえば目の前で「お酒を控えると血圧がどうなるか」っていう介入研究をやってたんだよね。高血圧の男性を無作為に飲酒・節酒群に割り付けて、途中でチェンジするクロスオーバー試験で。
この研究を見た時、ぼく最初は「こんなふざけたことしてるのか」って思ったんです。だって、当時僕の頭の中にあった”医学研究”って、高価な機械をつかって、特別な実験場所で、目に見えないようなものを計る、そんな特別なものだったから。
だから、「のんべぇのおっちゃんたちに”お酒飲まないでね”って言う」なんてのが研究になるなんてとても思わなかった。
でもこれは僕が見えてなかったんだよね。
まず、「高血圧の人を減少させる」っていうことが社会に対してもたらすインパクトを聞いてびっくりした。
そして、実際に研究に触れる中で”飲酒量の影響”を正しく測定することがどれだけ難しいかを知った。だって、お酒を控えたらつまみの量も減るじゃない?そしてつまみって塩辛いものが多いじゃない?だからお酒を減らして血圧が下がっても、もしかしたらそれは減酒の影響じゃなくって、ただ塩辛いつまみを控えたからかもしれない。
だから飲酒の影響を正しく測定するには食塩摂取量をコントロールする必要があって。
だからといって、食塩摂取量や食べものを指示すればそれで飲酒量が変わってしまう恐れがある。だから食べ物の指示をしてはならない。
けれど、少なくとも食塩摂取量を知らなくてはならない。
「じゃあどうすればいいんだ」という話になって、それで24時間蓄尿ってのを行うことになって。そこまで聞いて初めて「飲酒の調査なのに、おしっこを集めてるワケ」がわかった。
「お酒を控える」っていう単純なことが、ここまで科学になるのかって驚きましたよ。
緻密に研究をデザインして、参加者への介入は「お酒を控えてもらう」だけなので無理な負担は強いない、それでいて綺麗な科学的な結果を出して、そしてその結果は社会を良くするために直接的に応用もできる。
そんな研究を目の当たりにして思ったんだよね、「疫学すごい」って。こうして僕の中に疫学という学問への熱が生まれて行った。
その熱を伝える力は、どのように磨かれていったのでしょうか?
これは色んな経験のおかげなんだけど、まずは世界を放浪したことかな。
京大の工学部にいたときに、長期休みになるたびに世界中を旅してたのよ。
一番最初の旅は2年生の時のインド・ネパールだった、それぞれ1ヶ月。
その翌年はギリシャを中心にして、アテネからトルコ、ブルガリア、ユーゴスラヴィア、イタリアと反時計回りに回って、またアテネに戻って。
僕が旅をしていた当時はスマホなんてないからさ、旅の情報を集めるには「自分が行きたい街からきた旅行者」と交流するしかなかったの。だから人と積極的に交流する必要があるんだけど、でも海外には危険な人物もいるからさ。そうして人を求めながら移動する中で、コミュニケーション能力や人を見極める力ってのが磨かれていったんだよね。
※この世界放浪の話は別の記事でたっぷり紹介します
あとは塾講師の経験だね。
放浪の旅から帰って、そこで健康科学をしたいと思って医学部に入り直したんだよ。
工学部の時は「とにかく肉体労働を経験しよう」って思って、自分は将来はオフィスワークをする人間になるだろうって言う予感があったから、それとは真逆の経験を積んでおきたくてね。だから引越し屋さんや、深夜のデパートの内装設営、旅館の厨房のお弁当詰め、大工さんの手伝いとか、郵便屋さんとかね。引越し屋さんをすることでそれぞれのお家の事情に触れたり、郵便なら「どう回るのが効率的か」なんて考えてたね。
そうして工学部の時は肉体労働の経験をしたから、医学部では「人と接することが磨かれる経験をしたい」って思った。
生きるためにお金も必要だったしね、それで塾講師になることにして。でも実は僕は教えることが抜群に上手だったみたいで。塾講師ってさ、人気がある講師は優先して担当したい授業を選ばせてもらえるのよ、その人に辞められちゃうと困るから。
その時は色んな試行錯誤をしながら、一生懸命に授業してたよ。だって生きてくためにはクビになるわけにはいかないし、何より自分を信じてくれる生徒たちを失望させるわけにはいかないから。
学部時代に先生の講義資料の調整を手伝わせて頂いたのですが、図表一つ、色一つとっても緻密に設計されており驚きました
あの授業の資料はね、2007年に東大に着任したときに作って、実はそれから17年間ほとんど変えることなく使い続けてきたんだよ。
僕の講義資料ってぜんぶ平成丸文字を使っていて、なぜかと言うと後ろからでも見えるし、そして見ていて疲れないから。他の大学の先生に「ふざけた文字を使って」なんて言われたこともあるし、学会に提出したら勝手に字体を変えられちゃったこともあるんだけどね笑。
僕は講義資料や本を作るときには、”美しさ”にこだわってる。表面的な美しさではなく、内面から滲み出る美しさ、全体の美しさに。だから色調も、字体も、図表もどこまでもこだわるんだ。
講義は教員の義務としてやってるわけだけど、でもそれ以上に僕の講義にせっかくきてくれる人がいるなら90分間を思い切り楽しんでもらいたい。
だからとにかく全力でやるんだけど、そうすると最初の年の方はもう講義後は動けなくなっちゃうんだよ、研究室まで帰れないの。
疲れすぎてさ、そのまま講義台のところで座り込んでしまって。それを生徒が心配してくれたりしてさ笑。
立ち見になってきたのはいつごろからだったのでしょうか?
5年目くらいだったかな。
僕の講義は東大SPHの必修講義で、看護系の研究科の人は対象じゃなかったの。でも「すごい講義がある」って院生さんが噂してくれて、それで看護の院生さんたちも「受けたいです」って言ってくれるようになって。
そしたらその噂を聞いた看護の教授たちが「そんなにすごい講義なのか」って品定めで僕の講義を受けにきてくれたんだよね。それで結果的に看護の方でも推薦してくれて、そこからどーっと人が増えたかな。
そうして受けてくれる人が増えていって、嬉しかったのは僕が講義するだけじゃなくって、僕と院生さんとのやりとりも講義になっていったことだね。
僕が話して、学生がそれを見て、その時に学生さんの顔を見ていると質疑応答で「こんなこと聞いてくれるかな」ってのが分かってくるのよ。
それに対して僕が返して、そしてまた別の誰かが質疑応答で発表して。SPHは専門職大学院だから、30を過ぎた社会人の人とかも沢山いるんだけど、そういう人たちも競って手を上げて質問しようとしてくれたのは嬉しかったな。
先生の授業は、ただ知識を伝播するだけではなく、疫学という学問を通して「君たちはどう生きるんだ、僕はこう生きた」という生き様を問われるような場でした
そう言ってもらえるのは嬉しいな。
僕の疫学はさ、つまみ食いで覚えて行った野良の疫学なんだよ。
みんなみたいに修士で体系的に教わったわけじゃなくって、博士でいったルーベン大学で必要に応じて独学で学んでいった疫学。
博士ではシステマティックレビューにも取り組んだから全世界の論文を読んでさ、例えば当時は鉄のカーテンの向こう側だったロシアの論文を取り寄せたりして(※この話は後の記事でじっくりご紹介します)。
そうしてまずいろんな疫学研究をフェアに読む技術を身につけて行った。
それに加えて実践だね。
僕はルーベンを卒業して日本に帰ってきて、その時は研究費もなかったからまずは小さな疫学研究をして。そのあとは就職して大きな疫学研究に携わるようになって。
そのどちらでも求められたのが「目の前のデータを集めること」で、だから僕にとっての疫学は座学で学ぶ理論よりも、「現場でどう生き抜くか」っていう現場技術としての疫学が先だったんだよね。
こういうドロドロした疫学が僕にとっての疫学だった。
そうして現場で疫学を実践しながら、それと同時に僕の頭の中にはこれまで様々な学問に触れることで蓄積されて行った理論があった(※この話は後の記事でじっくりご紹介します)。
だから、「表の裏には必ず理論がある」ってことは学んでいたんだ。
現場の疫学実践としてコホート研究、ケースコントロール研究、介入研究とか、色んなタイプの研究の実践に触れさせてもらって、「現場をどう進めるか」っていう年次計画も立てるし、研究デザインや解析の方法論もやってるし。そうやって現場の疫学と理論の疫学を往復する中で僕にとっての疫学像ができあがっていった。
これを伝えてるのが僕の講義。
だから、僕は必ず自分の講義では、理論と、論文と、そして自分の実体験っていう3点セットで必ず伝えるようにしてたでしょ?
聞く人からしたら、やっぱり実体験の話って面白いじゃない?
でも東大の学生はそれだけ話しても「一つのケースの話ね」って思って心を閉ざしちゃう。だからまずは理論、つまりケース無限大の基礎から話して、そこに第三者の論文で客観性を持たせて、最後に「僕はここでコケたんだよ」っていう経験を伝える。
SPHは実務者のための大学院だから、現場の役に立つような講義がしたかった。東大で学ぶからにはしっかりと理論を身につけた人になって欲しかったけど、でも実践も伝えたい。講義室ではもちろん実践はできないから、だったら「僕の経験談を伝えてこれを実践に変えちゃおう」って思ったわけ。
講義だけでなく先生の書籍からも疫学者としての矜持を感じるのですが、どのようにして書籍を執筆されていったのですか?
初心者向けの疫学の書籍は『わかりやすいEBNと栄養疫学』だけど、あの本を作った時代は栄養学に疫学的発想を取り入れるってことはほとんどやられてなかったんだよ。
栄養学は身体のなかの代謝の学問か、食品の中の物質の学問と考えられていたから。だから、人間がものを食べるっていう行動を扱う栄養学は日本には存在していなくって、それを学ぶために読むべき本もなかった。
でも僕はベルギーで栄養疫学を学んでいて、その当時は栄養疫学ができ上がっていった黄金時代だったわけ。そういう時代を作った先生たちから習ったから、本を書くのはそんなに苦労しなかったね。
『わかりやすいEBNと栄養疫学』は、栄養疫学だけではなく疫学を学ぶすべての人が読むべき書籍だと思っています
栄養疫学がどんな疫学かと言うと、まず変数がとっても多い。そして、測定誤差がとても大きい。だから栄養疫学は疫学においては手強い相手であって、それでいて魅力的。栄養で疫学ができれば、他の分野でも疫学ができるって思ってるよ。
今はビッグデータが流行ってるから、ビッグデータを扱うための疫学が人気だよね?
でも、ビッグデータを正しく扱うためにはそのデータが生まれる現場を知らないといけない。だから僕は、「データを見て、その人たちの顔が浮かんできたら本当の疫学者になった証拠だな」って思ってるよ。
いま旅の本を作ってるんだけどさ、あれは半分は実際に自分がした旅のことを書いていて、そしてもう半分は論文を紹介してる。
でもそれって僕にとっては両方で旅していて、リアルな旅と、論文を通したバーチャルな旅と。
自分の研究室の中で論文に触れて、時空を超えて旅をする。僕は論文を読むと、その論文で書かれた食事を食べている人たちの顔が浮かんできて、「こんな食事してて大丈夫なの?」って突っ込んだりすることもあってさ笑。
そう言う時に「ああ、自分は栄養疫学者なんだなぁ」って思うんだよね。
終わりに
今回は大学時代に佐々木先生が行っていた伝説の講義に焦点をあててインタビューを実施しました。次回以降の記事では佐々木先生のルーベン大学留学時代、そして研究者時代に焦点を当てていきます。
そしてなんと、ウェビナー事業mERASMUSでは2025年2月から、オンラインスクールmJOHNSNOWでは2025年4月から、佐々木敏先生の医学研究デザイン講座を展開します。

タイトルは「ゼロから極める医学研究デザインシリーズ - 教養としての疫学、その魂と熱狂」、単なる知識としての疫学を超え、社会をどう視て、どう生きていけば良いか、そんな胸震える熱狂的体験をお届けします。
【開催概要】
開催期間:2025年2月23日(土)~2026年1月24日(土)
見逃し配信:2026年2月まで(開催終了した講義も全て視聴可能)
価格:一般 50,000円
学生 25,000円(社会人学生を除く)
受講証発行:有
※研究費等でご参加の方を含め、全ての方に受講証を発行いたします。また、請求書・領収書は数クリックで発行できます。詳細のご確認やお申し込みは以下のリンクをご確認ください。 https://mmedici.co.jp/merasmus/research/connect/epidemiology
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