
キャリア
【キャリア解説】ゆるふわセレンディピティと女医の仕事人生 - vol.8
2025.02.22
決して高い志があったわけではない私が、ひょんなことから挑戦することになったアメリカでの研究留学。そこで得た学びや気づきをまとめました。
医局選び、育児、そして海外留学——流れに身を任せるように歩んできた人生の中で、しくじりや挫折も数多く経験しました。そんな私だからこそ伝えられる、人生を乗りこなすための心構えをお話しします。
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学びは、限られた豊かな人々だけの特権ではありません。
経済的困難に直面する人、地方で学習資源に恵まれない人、家事や育児・仕事に追われる人。
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「ここを開けば、誰しもが悩みを解決できる」、そんなメディアを目指します。
この記事のまとめ
この記事を読むと分かること
子育ての真っ最中にも学び続けることは極めて重要であること
40代半ばでも留学を諦める理由は一つもないこと
一見自分が望んだキャリアではなくても、将来にプラスに働く可能性は十分にあること
この記事は誰に向けて書いているか
30代子育てと仕事の両立で心が折れそうな方
若い頃に留学しておけばよかったと後悔されている40代の方
40代女医のしくじり話を聞いて参考にしたいと思っている方
キャリアシリーズ
新谷歩教授インタビュー
- Part 1:アメリカに燃ゆる執念、人事を尽くし教育した医療統計がここに
- Part 2:アメリカに燃ゆる執念、人事を尽くし教育した医療統計がここに
vol.9:行政保健師、40代で大学院へ - 自治体の限界を超えEBPMで切り拓く地域保健の未来
vol.13:10年の臨床経験はナマクラに - そして米国日本人初のライフスタイル医学認定プロへ
vol.17:地域に育てられた保健師 - 行政とアカデミアを往還し導く公衆衛生の答え
執筆者の紹介
氏名:匿名希望
所属:大学病院勤務
自己紹介:内科専門医・医学博士。大学卒業後、国立病院、大学病院などで初期研修を受け、そのまま母校の某医局に入局。途中、外病院や放射線科に出向しつつ基本は大学で臨床業務を行う極めて普通のキャリアを選択し専門医を取得した。しかしある時、公衆衛生学教室との兼任となり、そこで初めてパブリックヘルスの面白さ、重要性に気づく。子供は中学生と小学生の3人、国内旅行にも興味がない生粋の引きこもり。
編集者
氏名:菊池祐介
所属:mMEDICI株式会社
専門性:作業療法学修士。首都大学東京(現東京都立大学)・東京都立大学大学院を卒業後、病院勤務を経て専門学校・私立大学にて作業療法教育、地域共生社会の醸成に向けたリハビリテーション専門職の支援に対する研究に従事。現在は心身の健康とその人らしさの実現に向け、保険内外でのクライアント支援を展開している。作業療法の社会的意義向上を信念に、mMEDICI株式会社に参画。
監修者
氏名:廣瀬直紀
所属:mMEDICI株式会社
専門性:保健学博士・公衆衛生学修士。東京大学・東京大学大学院を卒業後、外資系製薬企業の疫学専門家として薬剤疫学・リアルワールドデータ研究を専門とする。日本・グローバルの双方で活動したのちに、全ての人がアクセス可能な一流の知のプラットフォームを作り、「知に繁栄を、辺野に豊穣を」実現すべく、mMEDICI株式会社を創業。
今のキャリアについて
初めに申し上げますが、私には誇るようなキャリアも専門性も特にありません。
それでも、今だに子育てと仕事の両立に必死な40代後半の一般的な仕事人として、これまでのしくじり人生を恥ずかしながら告白しつつ、保育園の送迎だけでヘトヘトになっていた30代の頃に「もし近くに40代の先輩ワーキングマザーがいたらこう言ってほしかったな」と思い返すことをお話しします。
そして、あまり強い信念はなく、基本的に流されて来たものの、その場その場で自分なりのベストを尽くして働いてきた人間として、格好良く言えば”serendipity”が仕事人生にもたらしたものについて考えてみます。
臨床医としてのスタート地点
そもそも入局先を選択したのも、6年生の時に友人に誘われて冷やかしで参加した医局勧誘会が楽しかったというしょうもない理由です。
3次会のゲイバーでの教授の自由すぎる振る舞いを見て、「団体行動が苦手な私でも、ここなら自由に働かせてもらえるかもしれない」と無駄に感動して入局を決めました。
今思うと何の根拠もありませんでしたが、その直感は決して間違っていませんでした。あの時の自分の英断を褒めてやりたいです。
同時に、直感通り極めて大らかに、自由に、温かく育ててくださった当時のボスには、感謝しかありません。
こうして医師としての人生を歩み始めました。
研修医の時も若手レジデントの時代も、患者さんには本当に助けられました。
急変した患者さんの家族にいきなり頬を殴られるというトラブルも経験しましたが、それでも臨床が嫌になることはありませんでした。
学生時代から、恥ずかしいくらい絵に描いたような”意識低い系”だったので、研修医になったばかりの私が両手に持っていたものは「患者さんのために何かしたい」という未熟で甘酸っぱい気持ちだけでした。
患者さんは、そんな研修医に半分呆れていたと思いますが、それでも毎日ベッドサイドに張り付いている私に、様々な思いを打ち明けてくれたものです。
ある80代の女性患者さんは、戦前の女学校を出られ、教師として定年まで勤め上げた仕事人としての大先輩でした。転院前最後に病室へ伺った私に、静かな声で「職責を全うしなさい」とお別れの言葉をくださいました。
その言葉が私の医者人生の原点です。
そうは言っても当時、知識も研究に対する熱意も何もない、それでも何とかなると考えていた若いだけの私は、救いようがないほど愚かで、傲慢ですらあったと思います。
結婚・出産後の働き方と挫折
30代で結婚出産し、育休後は外来業務専任として職場復帰し、病棟の主治医も当直も全て免除という非常にありがたい条件のもとで恐る恐るワーキングマザーとしてのキャリアをスタートさせました。
しかし、それは同時に「”病棟医や当直医に申し訳ない”というワーキングマザーにありがちな罪悪感に苛まれながら働く」という精神的に辛い時期の始まりでもありました(厄介なことに、今でもその罪悪感は消えることがありません)。
30代の頃は夫の仕事も多忙を極めていたため、家事・育児はほぼワンオペ状態が続いていました。
相変わらず論文にも研究にも全く興味がなく、毎日を綱渡りのように非常に狭い視野の中で業務をこなすという日々でした。しかし、このようなスタンスでは臨床医としていずれ壁にぶつかることは必然です。
こうやって、少し行き詰まると安易に先輩に正答を求める使えない中堅臨床医が誕生しました。
医療者として基本的かつ必須である学ぶ姿勢の欠如、学生時代から30代までのこの姿勢が、恥ずかしながら私の仕事人生で最も大きなしくじりポイントです。
不意に訪れた二つの転機
キャリアに変化が訪れたのは3人目の子供の保育園時代です。
突然ボス(ゲイバーのボスではなく後任の新ボス)に呼び出され、公衆衛生学教室への出向を打診されました。詳細は省きますが、全くの寝耳に水状態であり、何が何だか分からぬまま臨床系の医局と公衆衛生学教室の兼任となりました。
国試以来全く縁のなかった公衆衛生学の教科書を慌てて購入し、必死で勉強して、パブリックヘルスも疫学も統計学も「こんなに面白くて不可欠な概念なのに、私はどうやってこれらを無視して今まで臨床をしてきたのだろう」と不思議に思い始めた頃、再びキャリアに転機が訪れました。
サラリーマンの夫が、突然「留学しないの?」と言い出したのです。
もともと独身時代、当時のボス(新ボス)が留学しないかと提案してくださっていたにも関わらず、結婚直前だったことを理由にお断りしていました。
それを彼は気にしていたのかいないのか、「もう留学は諦めたのか」と不思議そうに問いました。
自慢ではありませんが、私は職場と自宅とスタバの往復で我が人生を終えても悔いなし、と胸を張れる程の重度の引きこもりです。しかも、すでに40代で留学のタイミングは完全に逃したと思っていたため、3人の子供を抱えて今から留学するという発想は全くありませんでした。
しかし、夫から「チャンスがある限り、絶対留学にチャレンジした方がいい。1年間休職して俺が主夫になるから」と、どこぞの回し者かと訝しむほどの熱心さで留学を勧められ続け、ついには言いくるめられました。
そして、ある日とうとう教授の部屋に突撃し「留学したいです!」と打ち明けるに至りました。
私:「留学したいです!」
新ボス:「どこに?」
私:「うーん(突撃したくせに考えていない)…そうですね、ハワイとかどうでしょう?」
新ボス:「ハワイ?!何言ってるんだよ、俺が行きてーよ!」
…というやり取りの後、無事にアメリカ本土への1年間の留学が決まりました。
留学先は、新ボスがかつて学ばれたラボでした。
もう1人のボスである公衆衛生学教室の教授も、嫌な顔ひとつせず、快く留学を許可してくださいました。
やれやれと安堵したのも束の間、ビザを取得した直後にCOVID-19の世界的アウトブレイクが発生して、留学は無期限延期となってしまいました。
留学には本当に縁がなかったんだなと一旦は完全に諦めましたが、夫の執念によりアウトブレイクから2年後、何とか渡米を果たしました。
その時、上の子供は中学生、下の2人は小学校の中・高学年になっていました。
ひたすら楽しいアメリカ生活
私の留学先はアメリカでも有数の研究機関で、ラボ間のコラボレーションが活発に行われていました。しかも、会う人みな超親切かつ超優秀という理想的な環境でした。
私の研究テーマは、留学2週間後のカンファレンスで、ある分野の世界的権威であるボス(ラスボス)の提案によりすんなり決まりました。
(通常、少なくとも幾つかの研究テーマを念頭に置いていたり、あなたのラボでこれがやりたいです!という熱いプレゼンを経て渡米したりするものなのかもしれませんが…。)
アメリカに辿り着くだけですでに息切れしていた私にラスボスから与えられたテーマは、「ある疾患における画像所見の比較検討」というものでした。
もともと画像診断が好きで放射線科のローテートをした経験があったものの、ラボの性格上画像の研究ができるとは期待していませんでした。順調にテーマが決まった安堵も大きく、私は喜んで研究を始めました。
想定していたより臨床寄りのテーマとなったこともあり、臨床の大御所の先生方にも大変お世話になりました。
皆んな超フレンドリーとはいえ、そこはやはり生き馬の目を抜くような研究ガチ勢の戦の場です。「1年でトップジャーナルに数本の筆頭を書いて当たり前だろ you?」という雰囲気の中、私はその辺りを全く気にせず研究を続けました。
1年で1本書けたらOK、あとは家族と一緒にアメリカ生活を楽しむだけ楽しんで帰ろう、という明確な目標があったので大変気が楽でした。
ラスボスも放置がデフォルトでした。しかし、何か困ったことがあり先生の部屋に伺うと 「Hey, what’s up?」と気さくに体をこちらに向けて十分な時間を取ってくださる素敵な方だったので、仕事へのプレッシャーもストレスも全くありませんでした。
そのような気楽な留学生活は、当初の目標通り、筆頭1本+αの結果で幕を下ろしました。
アメリカでの仕事で最も思い出深い出来事は、シカゴで行われたある国際学会に家族旅行を兼ねて参加したこと、そして各ラボ合同カンファレンスでのプレゼンテーションです。
ラスボスからプレゼンをするよう指示があり、「内輪のラボミーティングのようなものだろう」と油断しきってキャンパス外の会場に向かったところ、立派な会場に100人以上の参加者がずらりと並んでいました。さすがにステージに立った瞬間、背中に嫌な汗が流れました。
じたばたしても仕方ないので、プレゼン前の挨拶で
「I’m a coffee addict and a music lover, and my heroes when I was a child were Madonna and Michael Jackson.」
と、たどたどしい英語で言ってみたら爆笑を取れました。
「音楽は子供の頃と同じように、いつまでも私を救ってくれるんだな、ありがとうマイケル。」と心の中でマイケルにそっとお礼を言いました。
その後の懇親会で、あるPIから、「私もマイケルが大好きだったの!」と嬉しそうに話しかけられたのも良い思い出です。
アメリカ留学から得た学び
留学中、もちろん研究もさせてもらったのですが、何よりも一人の人間として、大変貴重な体験をさせて頂きました。
多くの留学記同様、普通にやってもトラブルの連続なのに、コロナ禍で一度留学が頓挫した後、全く英語の勉強をしていない状態でバタバタ渡米というとんでもない暴挙を犯していたこともあり、毎日ひたすら生活のトラブルシューティングに追われていた気がします。
mMEDICI Library内の留学記はこちら
英語の勉強を疎かにしていたことは、私の二つ目のしくじりポイントです。
留学中は、インフレと円安の打撃をまともに受け、極貧生活を送りました。渡米2週間後にダウンタウンの交差点で車をぶつけられ自走不能になったり、娘の病気に医療保険が使えず、総合病院のソーシャルワーカーさんに勧められるがままMedicaid(アメリカの生活保護医療版みたいなもの)を申請したり(もちろん却下)等、大小様々なトラブルがありました。
それでも私はアメリカが大好きになりました。
ひとえに、休職してアメリカでの家事や送迎を一手に引き受けてくれた夫、最初は「日本に帰りたい」と泣きながらも見事にアメリカに順応してくれた子供達、そして右も左もわからない我々に労力を惜しまず手を差し伸べ続けてくれた在米日本人の方々のおかげです。
加えて、一般的な留学時期であろう30代ではなく、子供達がある程度大きくなった40代半ばで留学して良かったと心から思いました。
ほとんど英語が話せない状態、つまり丸腰に近い状態で子供達を現地校に叩き込むことは冒険以外の何物でもありませんでした。
必死に現地の学校生活に順応し、たくさんの友人を作り、アメリカ人の考え方に触れ、友人の厳しい家庭環境を目の当たりにし、middle schoolの校内に漂うweedの匂いを知り、英語での勉強に食らいついたというサバイバル経験は、三人の子ども達にとってかけがえのないものになったと思います。
帰国後の着地点と、理想的なvanishing point
帰国後、私は40代後半にしてやっと臨床医としてのスタート地点に立てたのではないかという心境です。
本来なら研修医や若手レジデントの間(もっと言えば学生時代)に身につけておくべきだった、誠実に医学を学び続ける姿勢やクリニカル・クエスチョンを立て論文を批判的に読み、あらゆるエビデンスを吟味した上で目の前の患者さんにとって最善の医療を選択するという臨床医には必須の技術を、遅まきながら少しは身につけられたのだと感じています。
やっと、点や平面という限られた視点ではなく、何次元かの複数の軸を持って疾病を俯瞰できるようになりました。また、英語に対する苦手意識も随分薄れてきました。
これらの産物は、私の手を引っ張りパブリックヘルスの世界へ連れて行き、留学までさせてくださった新ボスと、私がアメリカに連れて行ったようで実はアメリカに連れて行ってくれた夫が、思いもよらない道を私の目の前に提示してくれたおかげです。
以前、康永先生がmERASMUSのご講義で、「serendipityは実は偶然ではなく必然の産物であり、prepared mindがあってこそ活きるものだ」という趣旨のお話をされていました。
残念ながら、私に立派なprepared mindはありませんでした。
それでも、このような主体性のない人生の選択をしたことについて、一切後悔はありません。
他者から提示された選択肢は、自分の可能性を時に想像を遥かに超えるスケールで大きく広げ、人生に豊かな恩恵をもたらしてくれました。
何も考えず、両手を空にしてなんとなく迷い込んでみた路地裏に予想外の幸福のギフトが落ちていたことは、私にとっての”ゆるふわセレンディピティ”であったと思います。
もし自分の意図していなかった道を選択する場合、それが仮に不本意な道であったとしても、まずは先入観なしに飛び込んでみるのも悪くないのではと思います。
また、私は誰か必要としてくれる人がいる限りは現役で働き続けたいという希望があります。
子育てでどんなに回り道をして緩徐な歩みだとしても、一般的に女性の方が健康で長生きする傾向があることですし、仕事人として人生後半で巻き返して、職責を全うし、どんなに小さくても次世代のために役立つような仕事ができたら本望です。
あとは家族との時間を最優先にして、自分の好きなことをやり尽くしてから、ひっそり死んで行けばいいじゃんと半分開き直っています。
そのキャリアを目指す人へのメッセージ
30代小さなお子さんの子育て中、最優先事項は家族だけど働くことも同じくらい大好きで、だからこそバランスを取ることに苦しんでいる方へ。
毎日大変だと思います。それでも、1日5分でもいいから論文を読み続けてほしい、学び続けてほしい、そして研究について考え続けることを恐れないでほしいと思います。
他の方から見たら、「そんなの当たり前だろ」と思われるようなことさえ、私は幼児子育て真っ只中の30代の頃には日々の生活に追われ、全くできませんでした。
しかし、保育園から帰ってきてもまだ元気に暴れ回る子供達のお世話でクタクタになっている夜、もしくは子ども達の温もりに満ちた布団からなんとか這い出た早朝、力を振り絞って積み上げるこの小さな積み重ねが、40代で必ず効いてくるはずです。
目の前の患者さんを、より深く多角的な視点から治療できる医師に近づけるはずです。
小さな積み重ねを怠らなかった人には、大きな伸び代があります。そこを疎かにすると、私のように視野が狭く、拡張性のない臨床医になってしまいます。
そして、チャンスはいつ訪れるのか本当に分かりません。タイミングを逃すことのないよう、英語の勉強も可能な限り貪欲に継続してほしいと思います。
最後に何よりも、どこかの大学の教授やPIを狙うという特殊(?)な目標でない限り、仕事は待ってくれますが、子供達は待ってくれません。
残念ながら、彼らはあっという間に成長してしまいます。子ども達が巣立った後に後悔しないよう、お子さんと一緒にいられる僅かな時間を可能な限り大切にしてほしい、と老婆心ながら切に願っています。
日々の育児・家事・仕事に奮闘する全ての方が素晴らしい道を歩まれることを心より祈っています。
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