
キャリア
【キャリア解説】ある総合内科医の15年 (前編)学びを求めて飛び込んだ、建築途中の病院へ - vol.30-1
2025.08.07
本記事は、地方病院での初期研修から始まり、総合内科医として臨床・教育・研究を三位一体で取り組んできた私の挑戦と軌跡を描きます。
試練と挫折、師との出逢い、環境への適応、そして情熱を見つけるまでのプロセスを前編・後編の2回構成でリアルに紹介いたします。
キャリアを切り拓こうとする医療従事者、キャリアへの悩みを抱える方々に道なき道を進む勇気と具体的なヒントをお届けいたします。
前編となる今回は、知への渇きと憧れを抱いて師に出逢い、新しい環境に飛び込んで臨床の現場で自らを磨き続けた日々を紹介します。個別のエピソードを通じて、「ロールモデルをどう目指すか」を一般化してお伝えしたいと思います。
(後編はこちら)
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この記事のまとめ
この記事を読むと分かること
臨床・教育・研究を横断的に統合したキャリアの築き方
挫折や壁を乗り越え、自らロールモデルへと成長するための具体的なアプローチ
自分の情熱や強みを見つけ、それらを掛け合わせて新しい価値を生み出すヒント
この記事は誰に向けて書いているか
臨床・教育・研究のバランスに悩む医療従事者
将来のキャリアに迷い、多様な進路に関心がある方
日本で総合内科やホスピタリストとしての道を考えている方
キャリアシリーズ
新谷歩教授インタビュー
- Part 1:アメリカに燃ゆる執念、人事を尽くし教育した医療統計がここに
- Part 2:アメリカに燃ゆる執念、人事を尽くし教育した医療統計がここに
医療職の非臨床キャリア戦略論シリーズ
vol.2:産業医が書く実践と研究の往復書簡 - 資本主義の次なるモデルを目指して
vol.13:10年の臨床経験はナマクラに - そして米国日本人初のライフスタイル医学認定プロへ
vol.27:MPHホルダーの内科医 - 専門性の掛け算で、"一億人に一人"の人材へ
vol.30-2:ある総合内科医の15年 (後編) - 臨床・教育・研究をつなぎ、ロールモデルを築くまで
執筆者の紹介
氏名:濱田 治(Osamu Hamada)
所属:愛仁会井上病院 総合内科/京都大学 大学院医学研究科 医療経済学分野
自己紹介:鳥取大学卒業。東京ベイ・浦安市川医療センターで総合内科後期研修を修了。練馬光が丘病院、愛仁会高槻病院を経て、2024年4月より現職。京都大学大学院医療経済学分野の研究員として、臨床・教育の現場で生じた疑問や、日本におけるホスピタリスト・診療看護師の有用性に関する研究に取り組む。総合内科専門医。ECFMG Certificate取得。米国内科学会上級委員(FACP)、同日本支部理事。雑誌『Hospitalist』編集委員。
編集者
氏名:菊池祐介
所属:mMEDICI株式会社
専門性:作業療法学修士。首都大学東京(現東京都立大学)・東京都立大学大学院を卒業後、病院勤務を経て専門学校・私立大学にて作業療法教育、地域共生社会の醸成に向けたリハビリテーション専門職の支援に対する研究に従事。現在は心身の健康とその人らしさの実現に向け、保険内外でのクライアント支援を展開している。作業療法の社会的意義向上を信念に、mMEDICI株式会社に参画。
監修者
氏名:廣瀬直紀
所属:mMEDICI株式会社
専門性:保健学博士・公衆衛生学修士。東京大学・東京大学大学院を卒業後、外資系製薬企業の疫学専門家として薬剤疫学・リアルワールドデータ研究を専門とする。日本・グローバルの双方で活動したのちに、全ての人がアクセス可能な一流の知のプラットフォームを作り、「知に繁栄を、辺野に豊穣を」実現すべく、mMEDICI株式会社を創業。

今のキャリアについて
キャリアの原点 - 知への渇きと憧れから始まった挑戦
私の医師としての出発点は、初期研修医が1学年に1〜3人しかいない、地方の公立病院でした。同期たちがそれぞれ専門科の道へと進む中、私は進路を絞り込めず、自分だけが取り残されているような感覚にさいなまれていました。
そんな時、離島研修で出逢った自治医科大学出身の先生の姿に衝撃を受けました。
複数の疾患を抱える高齢患者さんを前に、横断的な視点で診療する姿に憧れを抱いたのです。「総合内科や総合診療の分野なら、自分も医師として価値を生み出せるかもしれない」と、次第に意識が変わっていきました。
大枚をはたいて医学情報検索ツールUpToDate®(世界190カ国以上で使用)と個人契約を結び、独学を始めました。すると、自分の行っている医療と標準医療との間に大きなギャップがあることに気づかされました。
たとえば、低Na血症の鑑別には尿中Naの測定が必要とされているにもかかわらず、私の初期研修先ではその検査は外注で、結果が返ってくるまでに数日を要していました。そうした経験を通して、標準的医療に近づきたいという知への渇望が募っていきました。
ある日、眼底鏡診察に興味を持ち、「眼底鏡 おすすめ」と検索していたところ、米国臨床留学を経験し、日本の感染症診療と教育の第一人者である青木眞先生のブログに辿り着きました。
そこには、「米国臨床留学帰国組の先生たちが立ち上げる新しい研修プログラム(東京ベイ・浦安市川医療センター)がHPでアナウンスされていますね」という記事がありました。

「これだ!」と直感し、すぐに見学を申し込みました。
このプログラムの責任者は、私と同じ島根県出身で、自治医科大学卒業後、島根での地域医療に従事し、さらに米国で集中治療・感染症・内科の専門医資格を取得された藤谷茂樹先生でした。
病院見学と同時に採用面接も行われ、無事合格。こうして私は、関東での総合内科後期研修に飛び込むことになりました。
試練と成長 - 後期研修 全国を巡る日々
「日本で北米式臨床研修が受けられる」と飛び込んだ後期研修先は、なんと病院がまだ建築中でした(笑)。初期研修先の指導医からは、「建築中のプログラムに応募するなんてクレイジーだな」と呆れられたほどです。
そんな後期研修の初日、5人のキラキラと輝く同期たちとの出逢いがありました。初日のプログラムは、英国人医師による問診・診察の講義。同期たちは流暢に英語で軽やかに会話を交わしていました。
一方の私は、英国人医師に “Where is the bathroom(トイレどこ)?” と聞かれたものの、案内にまごつく始末。シンプルでも伝わる英語で対応する同期の姿を横目に、「とんでもない場違いな場所に来てしまったのでは……」という不安に襲われました。
それでも、その不安は春特有のやわらかくあたたかい空気に滲んで、くすぐったいような期待が心を刺激していたのを今でも覚えています。
病院が完成するまでの1年間、私たちは全国各地を数か月ごとに渡り歩きながら研修を続けるという日々を過ごすことになりました。
私の卒後3年目の研修スケジュール
4〜5月:聖マリアンナ医科大学横浜西部病院 救命救急センター(神奈川)
6〜7月:横須賀うわまち病院(現在は横須賀市立総合医療センター)救急科(神奈川)
8〜9月:市立恵那病院 内科(岐阜)
10〜12月:横須賀うわまち病院 総合内科(神奈川)
1〜3月:水戸協同病院 総合診療科(茨城)
横須賀に通年で貸与された官舎を拠点に、季節の衣類を詰めた衣装ケース1つ、ノートパソコン、最低限の教科書、診察着、聴診器を車に積み込み、引っ越す生活を送りました。
最初の研修地、聖マリアンナ医科大学救命救急センター。
初日の朝、指導医から「初期研修医に腰椎穿刺を教えてあげて」と指示を受けました。私は初期研修中に一度も腰椎穿刺を経験しておらず、「2年間何をしていたの?」と厳しい一言を浴びました。
敗血症性ショックに対する初期対応、心停止に対する開胸心マッサージ――。目の前で繰り広げられる救命の現場に圧倒され、ただ立ち尽くすこともありました。
卒後4年目の上級医から「救急外来で手を止めるな!」「こんな指示で集中治療患者を救えると思ってるの?」と叱責を受け、紙カルテを目の前で破かれたこともありました(笑)。
極めつけは、チームの指導医からの一言。「先生、総合内科はやめた方がいいと思う。領域を絞った方がいいと思うよ」――その時の私は、上級医たちから見て、とんでもないポンコツだったのだと思います。しかし、この試練の時が、後の糧になりました。
救命救急センターでの研修で、わずかながら自信を得た私は、6月から横須賀うわまち病院の救急科での研修に臨みました。
当時、医師臨床研修マッチングで全国倍率1位を誇る都内の病院出身の同期――まさに"プログラム提供側が想定する理想像"とも言えるエースが、同じ病院の総合内科で研修していました。
彼は卒後3年目にして、ICUでECMO(体外型膜型人工肺)、人工呼吸器管理中の重症患者2人を受け持ち、一般病棟でも10人以上の患者さんを診ていました。その姿に、私は強い憧れと同時に、「いつか追いつきたい、追い越したい」というライバル心を抱きました。
そこには、自分がまだ “標準” に届いていないという劣等感、そして「絶対に見返してやる」という情熱がありました。
一方で、全国を巡る研修生活のなかで、さまざまな知識や経験に触れられることに喜びを感じ、自分が進んでいる道が間違っていないという確信も生まれていました。
そんな中、自分自身に課したルールが一つありました。――「全国どこでも、最初の1週間で人の名前を覚え、環境に溶け込むこと」
このルールは、どんな環境にも適応する力を養う訓練となり、後の私の臨床・教育・研究の土台となっていきます。色々な環境で自分を相対化し、適応し続けることの大切さを学びました。
世の中や、世の中の仕組みはそう簡単には変わりませんが、自分だけはすぐに変わることができます。物事の受け止め方、困難なことへの姿勢、その問題への向き合い方は、自分自身でいかようにも変えられる。そう実感する日々でした。
たとえば海外旅行に出たとき、「日本の道路はこんなに綺麗だったんだ」「日本の接客はこんなに丁寧だったんだ」と気づくことがあります。一方で、「日本人は気を遣いすぎているかもしれない」と思うこともあります。
自分の立ち位置を外から見つめることで、自分の価値観やこだわりの根っこに気付ける。この時期の経験から学んだのは、環境のせいにせず、自分を相対化し、変化に適応し続けることの大切さでした。
東京ベイ・浦安市川医療センター - 大量の知への暴露
東京ベイ・浦安市川医療センターでは、米国臨床留学を経験した医師が各科合わせて約10人在籍し、北米式の臨床研修が実践されていました。
米国のホスピタリスト診療モデルを採用しており、総合内科に内科系入院患者が集約され、専門医のサポートのもとチーム診療が行われていました。
年間約4,500人の入院患者を6チームで担当し、1チームあたり700〜800人の患者さんを受け持ちました。入院当番日には救急部門から平均7〜8人の入院依頼があり、当直中はPHSに一晩で200〜300件のコールが鳴り響く日もありました。
毎日、圧倒的な量の知識が降り注ぎ、思考力と脊髄反射の両方が鍛えられる日々でした。
優秀で魅力的な同期、先輩、後輩、そして指導医や多職種との出逢いにも恵まれ、臨床にのめり込む日々を送りました。
また、米国では不可欠の存在である診療看護師(NP)が雇用されており、チームに自然に組み込まれていました。NPと共に診療を行うことで、これまで届かなかった領域にまで患者ケアが広がる感覚を得ることができました。
この恵まれた環境で少しずつ成長し、卒後5年目には初代チーフレジデントに任命されました。
総合内科のレジデント全体を率いるリーダーシップを学ぶ、貴重な経験をさせてもらいました。
教育者としての道 - 臨床留学の夢と挫折、その先に見えた光
練馬光が丘病院の総合診療科で、指導医としての第一歩を踏み出しました。
同時に、自分が憧れた指導医たちが海外で見てきた景色を、自分でも見てみたいという思いから、米国医師免許(USMLE)の勉強を開始し、2〜3年かけて取得しました。
その後、臨床留学支援と総合内科立ち上げの実績で知られる筒泉貴彦先生のいる愛仁会高槻病院に移り、京都大学大学院 医療経済学分野の研究生として臨床研究を始めました。
妻と相談し、卒後年数や育児・家庭の事情も考慮した上で、一発勝負で挑んだ米国臨床留学の夢は、最終選考まで進んだものの叶いませんでした。
まるで概念的に一度死んだような感覚を覚え、深い挫折感を味わいました。振り返ると、指導医になってからの4〜5年間を留学準備に全振りしていたため、同期たちが専門医を取得し、症例報告やその指導、大学院進学、臨床研究など着実に前進していた一方で、私は「何も持っていない」と強く感じていました。
これから国内で何をしていくのか、自分が情熱を注ぎ続けられることは何かを考えました。そんな中、ふと思い出したのは――新谷歩先生の言葉ではありませんが「そうだ、教えるの好きだった」ということでした。
そして導き出した答えが、キャリアとしてまだ十分に確立されていない「総合内科」の道なき道を、自ら切り拓き、ロールモデルを目指すというものでした。
院内ではさまざまなプロジェクトのリーダーを経験し、医療安全委員会を主導する中で、患者さんだけでなく「病院を治す」視点も育まれました。
さらに院外では、雑誌『Hospitalist』の編集委員や、米国内科学会(ACP)日本支部の理事に就任する機会をいただきました。
そして、自らの診療から生まれた臨床疑問にもとづき、日本の総合内科・ホスピタリストの有用性を示す研究、リアルワールドデータ研究、医療の質改善(QI)プロジェクトの研究にも取り組むようになり、研究対象の広がりと深みを実感するようになっていきました。

2023年、米国内科学会(ACP)年次総会のEarly Career Physician部門で、DPCデータを用いた研究を発表した際の写真です。Convocation Ceremonyでは、米国内科学会上級会員(FACP)の称号を授与されました。この学会をきっかけに、現ACP日本支部長より学会理事就任のお声がけをいただきました。
総合内科の立ち上げ - 院内と地域に新たな風を
2024年度、慢性腎臓病と透析診療に注力してきた急性期〜亜急性期病院である井上病院に、総合内科立ち上げのために招聘されました。
そこで期待された役割は、高齢化が進む院内および地域の医療ニーズに応えること、低迷していた病床稼働率を回復させ、老朽化した病院の新築に向けた一手を打つことでした。
ローテーションで来てくれる専攻医に加え、自院でNP2名を新たに雇用していただき、少数精鋭で総合内科の立ち上げに取り組みました。
院内の診療体制を整え、近隣の総合病院や介護福祉施設と連携する中で、紹介患者数が徐々に増加。異動1年目の冬には、病院史上最高の病床稼働率と単月黒字を達成することができました。
現在、診療科設立2年目。さらに新たな取り組みに挑戦しています。
終わりに
今回は、臨床の現場で自らを磨き続けた日々を中心にお伝えしました。
次回の記事では、臨床・教育・研究をどうつなぎ、どのように道をひらいていくのか、そして「ロールモデルを目指す」という覚悟についてお話しします。
同じ場所に立つ他の誰とも違う、あなたらしさの文脈や背景の中から、どのようにキャリアを築いていくのか――そのヒントになれば幸いです
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