
【元厚労省薬系技官が教える 薬価のしくみ入門】高額薬は医療財政を破綻させるのか - vol.5
2026.05.29
はじめに
「オプジーボを肺がん患者5万人に使えば、年間1兆7,500億円。国民皆保険は破綻する」 との指摘が、2016年財務省の財政制度等審議会でありました。この試算は社会に大きな衝撃を与え、「薬剤費亡国論」という言葉まで生まれました。
あれから約10年。
結論から言えば、日本の医療財政は破綻していません。では、あの警鐘は杞憂だったのでしょうか。
今回は、高額薬と医療財政の関係を、解説していきます。
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- はじめに
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- この記事のまとめ
- この記事を読むと分かること
- この記事は誰に向けて書いているか
- 元厚労省薬系技官が語る 薬価の仕組み
- 執筆者の紹介
- 医療費と薬剤費
- 医療費は増え続けている。薬剤費は?
- 薬剤費はそれほど伸びていない
- 薬剤費が伸びていないのはなぜか
- オプジーボの変遷
- メラノーマでの収載
- 適応拡大で何が起きたか
- オプジーボの薬価推移
- 薬価制度抜本改革
- 4大臣合意と改革内容
- 「単価」だけで医療費は語れない
- 薬価×患者数×投与期間
- C型肝炎治療薬
- 特許期間中に稼ぎ、後発品に譲るという思想
- 新薬のライフサイクル
- 企業と行政の利害
- まとめ
- 参考文献
- 【オンラインスクール mJOHNSNOW入会受付中:7日間無料お試し】
- 【YouTubeラジオコンテンツ 耳から学ぶシリーズ】
この記事のまとめ
この記事を読むと分かること
医療費と薬剤費の伸びの関係
高額薬は薬剤費を押し上げているのか
オプジーボがもたらしたもの
この記事は誰に向けて書いているか
薬価に馴染みのない医療従事者、医療機関事務員の方
製薬などのヘルスケア関連企業に在籍していて、薬価に馴染みのない方
薬価改定のニュースをより深く理解したい方
元厚労省薬系技官が語る 薬価の仕組み
vol.1 薬の値段は「誰が」決めているのか
vol.2 なぜ3億円の薬が生まれるのか - 薬の値段の決まり方を徹底解説
vol.3 あの薬はなぜ"うまい棒"よりも安いのか
vol.4 ジェネリック医薬品は「安かろう悪かろう」なのか
vol.5 高額薬は医療財政を破綻させるのか(本記事)
執筆者の紹介
氏名:間宮弘晃(https://x.com/MamiyaHiroaki)
所属:立命館大学薬学部 准教授
自己紹介:薬科学博士(東京大学)、公衆衛生学修士(ハーバード大学)。岐阜薬科大学卒業後、厚生労働省に入省。医政局経済課(当時)で薬価の専門官として200品目以上の新薬の算定、診療報酬改定に携わる。その後、医薬局にて新型コロナウイルス感染症時の審査調整官、京都大学iPS細胞研究所への出向等を経て、2023年3月に厚生労働省退職。2025年4月より現職。1985年生まれ、岐阜県出身。

医療費と薬剤費
医療費は増え続けている。薬剤費は?
これまでは薬一つの薬価に着目することが多かったですが、今回は医療費全体の話からしたいと思います。まず、数字を確認しましょう。
2023年度の国民医療費は約48兆円でした 1)。また、2024年度の概算医療費も約48兆円となり、医療費は高水準で推移しています 2)。
医療費は増え続けているという皆さんの直感通り、国民医療費は2000年度以降、平均して年に約2%ずつ伸びてきました 3)。
この原因として、高齢化や医療の高度化が指摘されています。では、その中で「薬剤費」はどうなっているでしょうか。
ここが、多くの方のイメージとは異なるところです。

薬剤費はそれほど伸びていない
薬剤費はここ数年10兆円前後で推移しており、国民医療費に占める薬剤費の割合としては、おおむね20〜22%の範囲で推移しています 4)。
つまり、医療費全体は伸びているけれど、その中で薬が占める割合は、思ったほど膨らんでいない。
「高額薬がどんどん出てきているのに、なぜ?」と感じるかもしれません。ここに、薬価制度による「コントロール」が効いています。
薬剤費が伸びていないのはなぜか
日本では、新薬が承認されると、原則として薬価収載され、公的医療保険の中で使えるようになります。
政府の分析によれば、2011年から2019年の間、薬価改定がなかったと仮定した場合の薬剤費は年平均5.5%のペースで伸びるはずでした 4)。しかし実際には、年平均1%台の増に抑えられています。
このギャップには、主に三つの理由があります。
薬価改定(市場実勢価改定など)
vol.3で解説した、市場での実勢取引価格に基づく引き下げです。 一度の改定で、収載されている医薬品から4000億円程度の薬剤費が削減されています。後発品(ジェネリック医薬品)の普及
vol.4で見たように、後発品の数量シェアは今や約9割に達しています。 先発品の半額以下からスタートする後発品への置き換えが進むことで、薬剤費全体の伸びが大きく抑えられてきました。 後発品の普及により1兆円~2兆円の薬剤費削減効果があると言われています。再算定や長期収載品の薬価引き下げ(G1ルール等)
先発品でも一定金額以上が売れると、最大50%の薬価引き下げがされる再算定があります。 また、先発品の特許等が切れると、後発品が普及した先発品(長期収載品)は、vol.3で説明したG1/G2ルールにより段階的に薬価が引き下げられます。
こうした仕組みが複合的に働くことで、新薬が高額化しても、薬剤費の総額は一定の範囲にコントロールされてきています。
さらに、これらの削減額は、診療報酬の医科などの本体のプラス改定の財源として大きな役割を果たしています。
オプジーボの変遷
メラノーマでの収載
「薬剤費亡国論」で悪役となってしまったオプジーボの物語を、もう少し詳しく振り返ってみましょう。
オプジーボ(一般名:ニボルマブ)は、小野薬品工業が開発した画期的な免疫チェックポイント阻害薬です。本庶先生がノーベル賞を取ったので、ご存知の方も多いかもしれません。
2014年9月、世界に先駆けて日本で薬価収載されました。収載時の薬価は、100mg1瓶で72万9,849円。対象疾患は「根治切除不能な悪性黒色腫(メラノーマ)」で、推定対象患者は約470人でした。
患者数が極めて少ない希少疾患だったため、原価計算方式で高い薬価が算定されていました。対象患者が少ないほど、1人あたりの開発費の負担は大きくなるので、薬価は高くなる。
ここまでは、薬価制度の中で想定されたロジック通りでした。
適応拡大で何が起きたか
状況が一変したのは、2015年12月に、「切除不能な進行・再発の非小細胞肺がん」への適応拡大が承認されたことです。肺がんは日本で最も患者数の多いがんの一つです。
推定対象患者は一気に5万人規模に拡大しました。470人を想定した薬価が、5万人に使われる。単純計算で、年間薬剤費は約1兆7,500億円という冒頭の「亡国論」の数字は、こうして弾き出されたものです。
オプジーボの薬価推移
その後のオプジーボの薬価の推移を見てみましょう(100mg1瓶)。
2014年9月(収載時):72万9,849円
2017年2月(緊急的引き下げ):36万4,925円
2018年4月(用法用量変化再算定等):27万8,029円
2018年11月(四半期再算定):17万3,768円
一部、固定用量の変更に伴う用法用量の再算定があるため、単純計算はできませんが、収載からわずか4年で、薬価は約76%下落しています 5)。

薬価制度抜本改革
4大臣合意と改革内容
オプジーボの問題は、単なる一品目の薬価引き下げでは終わりませんでした。
政府は2016年12月、厚生労働大臣を含む4大臣の合意により「薬価制度の抜本改革に向けた基本方針」を策定します。そして2018年度、薬価制度は大きく変わりました。
主な改革内容を整理します。
新薬収載時の四半期再算定
年4回の新薬収載のタイミングで、既存薬の薬価を機動的に見直す仕組みが導入されました。 年間販売額が350億円を超える品目について、効能追加等で市場が拡大した場合や用法用量が変更された場合に、2年に1度の改定を待たずに薬価を引き下げられるようになったのです。最適使用推進ガイドライン
新しい高額医薬品について、どのような患者に、どのような施設で使うべきかを示すガイドラインです。 オプジーボは、このガイドラインの初の適用品目となりました。 「使える薬があるなら全員に使うべき」ではなく、「効果が期待できる患者に、適切な体制のもとで使う」という考え方を制度化したものです。 本ガイドラインの内容は、保険適用上の留意事項にも反映されます。 そのため、単なる参考資料ではなく、保険診療の中で「どのような患者に、どのような施設で使用するか」を実質的に規定する役割を持っています。毎年薬価改定
従来の2年に1度の改定に加え、改定のない年にも薬価を見直す「中間年改定」が導入されました。 vol.3でも触れましたが、実質的に薬価が毎年下がる仕組みが出来上がったのは、この抜本改革がきっかけです。
「単価」だけで医療費は語れない
薬価×患者数×投与期間
ここまで読んでいただいた方は、お気づきかもしれませんが、薬剤費亡国論の「1兆7,500億円」という数字には、前提が置かれています。
オプジーボの薬価が収載時のまま(73万円/100mg)であること
対象患者5万人「全員」に投与されること
「1年間」継続して投与されること
結果として、これらの前提が全て成立することはありませんでした。
薬価は下がります。全員に投与されるわけでもなく、最適使用推進ガイドラインで適切な使用が求められます。
薬剤費 = 薬価 × 患者数 × 投与期間
3億円の新薬が収載された際にも解説しましたが、この三つの要素を掛け合わせて初めて、実際の財政インパクトが見えてきます。高額薬の「単価」だけを見て議論しがちですが、全体を見た冷静な議論が必要となってきます。
「薬剤費亡国論」の議論は、結果として現実にはなりませんでしたが、高額薬の財政影響に警鐘を鳴らし、より持続可能な薬価制度へ見直す契機になったという意味では、一定の意義があったと言えるかもしれません。
C型肝炎治療薬
もう一つ、C型肝炎治療薬の「ハーボニー」の例を見てみましょう。
ハーボニーは1錠あたり約5万5,000円。12週間の服用で、95%以上の患者でウイルスが検出されなくなる持続的ウイルス学的著効が示された画期的な薬でした。1治療あたりの薬剤費は約465万円。
発売後、年間売上は1,000億円を超え、当時の特例拡大再算定により大幅に薬価が引き下げられました。しかし、ここで注目すべきは別のポイントです。
ハーボニーは、12週間の服用で治療が完了し、その後は薬が不要になります。
かつてC型肝炎の治療では、インターフェロンを含む治療を長期間続けても、十分な効果が得られないケースがありました。長期にわたる通院や入院、肝硬変・肝がんへの進行に伴う医療費を考えると、「短期間で治す高額薬」は、長い目で見ればむしろ医療費を抑制する可能性があります。
つまり、薬の「単価の高さ」と「財政への影響」は、必ずしもイコールではないということです。
特許期間中に稼ぎ、後発品に譲るという思想
新薬のライフサイクル
ここまで、薬価がさまざまな仕組みによって引き下げられていく過程を見てきました。改めて、新薬の「一生」を俯瞰してみましょう。多くの新薬では、収載時に相対的に高い薬価が設定されます。
特許で保護されている期間中は、市場を独占し、研究開発にかかった莫大なコストを回収します。そして特許が切れると、後発品(ジェネリック)が登場し、価格は一気に下がる。
市場は先発品メーカーから後発品メーカーへと徐々に引き継がれていきます。
「特許期間中にイノベーションのコストを回収し、特許切れ後は安価な後発品に市場を譲る」
この思想は、意図的に設計されてきたものになります。
企業と行政の利害
この思想は、製薬企業にとっても行政にとっても、一定の合理性があります。
企業の視点 特許期間中に開発投資を回収し、得た利益を次の研究開発に回す。 長期収載品に頼り続けるビジネスモデルではなく、次々と新しい薬を生み出す「創薬型」へとシフトする。
行政の視点 イノベーションを適切に評価し、特許期間中は高い薬価を維持する。 ただし、特許切れ後は速やかに後発品に切り替えることで、薬剤費を抑制する。
G1ルール、選定療養や後発品の初収載ルールなどは全て、「特許が切れたら市場を譲る」方向に制度を動かす仕組みです。
2018年の薬価制度抜本改革の基本方針にも、「革新的新薬を評価しつつ、長期収載品の薬価をより引き下げることで、高い創薬力を持つ産業構造に転換する」とされています 6)。
そのため、ある1地点のみを見て安い高いと論じるのではなく、ライフサイクル全体を見て薬剤費を論じていくことが大切です。
まとめ
今回のポイントを整理します。
高額薬は確かに存在するが、薬価制度で薬剤費の伸びは抑えられている。
オプジーボの薬価は収載から4年で約76%下落しており、当初懸念された1兆7,500億円規模の年間薬剤費には至らなかった。
薬剤費は「薬価×患者数×投与期間」で決まる。単価だけで医療財政への影響は論じられない。
もちろん、医療財政を圧迫する高額薬が今後出てくる可能性もありますが、制度全体を見て冷静に議論していくことが重要になってきます。
次回(vol.6)では、直近の2026年度の薬価改定の変更点を取り上げます。
参考文献
厚生労働省. 令和6(2023)年度 国民医療費の概況. https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-iryohi/23/index.html
厚生労働省. 2024年度 医療費の動向(概算医療費). https://www.mhlw.go.jp/topics/medias/year/24/dl/iryouhi_data.pdf
第一生命経済研究所. 国民医療費は過去最高の48兆円超に. https://www.dlri.co.jp/report/ld/534226.html
内閣府 経済財政諮問会議. 国民医療費、薬剤費等の推移(改革工程に関するワーキング・グループ資料). https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/reform/wg1/20230428/shiryou1_part5.pdf
厚生労働省. 「使用薬剤の薬価(薬価基準)」の一部改正について(オプジーボ点滴静注の薬価改定、平成29年2月1日適用); 厚生労働省. 市場拡大再算定品目及び用法用量変化再算定品目について; 厚生労働省. 用法用量変化再算定品目について.https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=00tc2338&dataType=1&pageNo=1
厚生労働省. 平成30年度 薬価制度の抜本改革の概要. https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12400000-Hokenkyoku/0000114381_2.pdf
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元厚労省薬系技官が教える薬価のしくみ入門 - なぜ薬価はさがるのか、そして諸々
vol.1 薬の値段は「誰が」決めているのか
vol.2 なぜ3億円の薬が生まれるのか - 薬の値段の決まり方を徹底解説
vol.3 あの薬はなぜ"うまい棒"よりも安いのか
vol.4 ジェネリック医薬品は「安かろう悪かろう」なのか
vol.5 高額薬は医療財政を破綻させるのか(本記事)
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