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【キャリア解説】「平凡な看護学生」だった私が、富山に訪問看護ステーションを立ち上げるまで - vol.37

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【キャリア解説】「平凡な看護学生」だった私が、富山に訪問看護ステーションを立ち上げるまで - vol.37

2025.12.22

私は、救命救急センター・急性期病院・大学病院を経験し、その後は訪問看護ステーションの所長として働いていた元訪問看護師です。

救急や急性期の現場に立っていると、「忙しさに追われて、患者さんと“じっくり向き合う時間”が取れない」と感じたことのある看護師は、決して少なくないのではないでしょうか。

今、私たちを取り巻く医療環境は大きく変化しています。

人口減少・多死社会への突入、地域医療構想の加速、病床の転換・縮小、そして「ときどき入院、ほぼ在宅」というキーワードが示すように、医療と暮らしの境界線は急速に変わりつつあります。

制度や診療報酬が目まぐるしく動くこのタイミングで、私は看護師特定行為研修を修了し、病院勤務から訪問看護ステーションの立ち上げ・運営まで幅広いキャリアを歩んできました。

この記事では、そんな私自身の経験から、訪問看護のリアルとキャリアとしての可能性について率直にお話ししたいと思います。

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この記事のまとめ

この記事を読むと分かること

  • 急性期・救急から“在宅”へ視点が移った理由がわかる

  • 訪問看護のリアルと、そこで活きる看護師の専門性がわかる

  • 看護師としての“キャリアの可能性”が広がる

この記事は誰に向けて書いているか

  • これから働き方を見直したいと思っている方

  • キャリアに迷っている看護師の方

  • 訪問看護に興味がある方

キャリアシリーズ

医療職の非臨床キャリア戦略論シリーズ

  • vol.24:介護のお医者さん - ニッチを貫くわたしのキャリア論

  • vol.32:総合診療医、YouTubeと『暮らしの保健室』と:83万人に医学を届け、1人の「けんこう」に寄り添う

  • vol.33:リハビリを社会のインフラに:理学療法士が挑む “リハビリ難民”問題

医療職の非臨床キャリア戦略論:戦略コンサルタントが教える医療職の院外キャリアサバイブ術

  • vol.1:キャリアは「資格」ではなく「意志」で選べ

  • vol.2:SNSでは見えない院外キャリアの光と影を映す

  • vol.3:医療職の病院外キャリアに不可欠な「三つのマインドセット」とは?

執筆者の紹介

氏名:伊藤(木工)達也
所属:南砺市民病院
自己紹介:看護学修士、看護師特定行為研修修了(指導者講習修了)、ファイナンシャルプランナー3級、世界遺産検定2級。看護専門学校卒業後、市中病院で臨床をスタート。5年後、地元を離れ、千葉、東京の病院で働いたのち、栃木県の訪問看護ステーションで訪問看護師のキャリアが開始。同時に、自治医科大学看護師特定行為研修を受講。修了後に地元へ戻り、大学院修了後、訪問看護ステーションの管理者として勤務。2拠点立ち上げに携わった。厚生労働省 看護師特定行為研修リーフレット(在宅版)に掲載。約10年ほど多職種連携教育(とやまいぴー)の運営に従事。診療看護研究会 副会長として運営に従事。

編集者

氏名:菊池祐介
所属:mMEDICI株式会社
専門性:作業療法学修士。首都大学東京(現東京都立大学)・東京都立大学大学院を卒業後、病院勤務を経て専門学校・私立大学にて作業療法教育、地域共生社会の醸成に向けたリハビリテーション専門職の支援に対する研究に従事。現在は心身の健康とその人らしさの実現に向け、保険内外でのクライアント支援を展開している。作業療法の社会的意義向上を信念に、mMEDICI株式会社に参画。

監修者

氏名:廣瀬直紀
所属:mMEDICI株式会社
専門性:保健学博士・公衆衛生学修士。東京大学・東京大学大学院を卒業後、外資系製薬企業の疫学専門家として薬剤疫学・リアルワールドデータ研究を専門とする。日本・グローバルの双方で活動したのちに、全ての人がアクセス可能な一流の知のプラットフォームを作り、「知に繁栄を、辺野に豊穣を」実現すべく、mMEDICI株式会社を創業。

訪問看護という、地域の医療資源

訪問看護は、看護師として身につけてきた能力を最大限に活用できる実践の場です。

現場のスタッフとしての立場では、臨床の知識・技術はもちろん、医療介護マネジメント、緊急対応の判断力、診療報酬・介護報酬・障害福祉報酬など実践的に学ぶことができ、また、管理職になると採用・育成・経営など幅広い経験を積むことができます。

そして、こうした経験を積み重ねることで、訪問看護ステーションを地域を支える医療資源として、確かなものにしてゆくことができます。

1.これまでのキャリアについて

看護師を志したきっかけ

私はもともと看護師を目指していたわけではなく、高校時代は理工学系への進学を予定していました。

その進路を大きく変えたのは、高校3年生の12月。自宅で父が突然倒れた出来事でした。

自宅に自分一人しかいない中で119番通報し、救急隊の指示に従いながら必死に対応したあの日ー

これが私にとって「医療に携わる最初のきっかけ」となりました。

そして、救急室で看護師の伯母に状況を説明した際、「看護師に向いているのではないか」と勧められます。

思えば当時、「救命病棟24時」や「コードブルー」といったテレビドラマが好きで、救急医療に関わる看護師に漠然とした憧れがあったのかもしれません。

父が倒れたという出来事と、伯母にかけられた一言が、私が看護師を目指すきっかけとなりました。

こうして、受験日が間近に迫る12月に、焦りながらも看護学校の受験に向けて準備を始めることとなったのです。

(幸い父は大事に至らず、現在は老後生活を楽しんでいます。)

看護師としてのやりがいを与えてくれた、一通の手紙

その後、ぎりぎりの成績で合格した看護学校。

急なきっかけで志した進路選択であったこともあり、入学当初は明確な目的意識を持つことができませんでした。当時は訪問看護という存在さえも知らず、自分が将来、訪問看護師の道に進むことなど想像だにしていませんでした。

「あれを学びたい」「これをやりたい」
といった意欲もなく、日々のテストや実習をどう乗り越えるかばかりを考える平凡な学生生活を送っていました。

そんな中、臨床実習でのとある患者さんとの出会いによって転機が訪れます。

呼吸器疾患を患うその患者さんは、歩くとすぐに息切れをしてしまうような方でした。ベッドサイドで対話を重ね、入院前や退院後の生活の悩みを伺い、対応策を調べて資料を作成し、入院中に一緒に実践しました。

思いがけず、実習終了時に感謝の手紙をいただいたのです。

医療系学生なら誰もが経験するであろう、些細な出来事ことかもしれません。しかし、将来の目標も抱けずに、実習の日々を「可もなく不可もなく過ごそう」などと考えていた私に、大きなモチベーションを与えてくれるかけがえのない出来事となったのです。

病気を抱えながら生活する人と関わり、その悩みを解決に導くことは、“患者さんを、病気を患う前の生活に近づける支援である”と、看護の本質に気づいた大切な体験でした。

その後も、実習中に様々な患者さんから手紙をいただく機会がありましたが、その一つ一つを実家のレターボックスに大切に保管しています。

救命救急センターで働くために

国家試験合格後は三次救急病院に就職し、脳外科・内科・心臓血管外科・呼吸器外科・ICU・救命救急センターをジョブローテーションしました。

所属病棟に在籍していた救急認定看護師の先輩に、救命救急センターで働きたい旨を相談したところ、「まずは救命処置ができることが必要」と助言をいただき、一次救命処置を学ぶためにBLSプロバイダーコースを受講しました。

ここでの学びは、「救急医療を学ぶことが面白い・楽しい」と心の底から感じさせてくれるものでした。

心臓マッサージの根拠や人工補助換気の具体的な方法、薬剤投与に関する知識などを学ぶことができ、すぐに臨床に活きる知識・技術に、強く魅力を感じたのです。

その後さらに救急医療の学びを深めたいと思い、周囲にも資格保有者が多くいたことも後押しとなり、ACLS(Advanced Cardiovascular Life Support)、JPTECインストラクター、INE(Interventional Expert Nurse)といった資格を取得していきました。

必要と思われる資格を取得した後、更に救急医療の現場でキャリアを積みたいと考え、当時、国内で最も心臓カテーテル治療件数の多い病院へ転職することとなりました。

2.訪問看護を志したきっかけ

患者の日常生活への関心

救急医療の現場で“バリバリ”働く中で、資格取得や経験値の積み重ねが純粋に楽しく、目の前の成長を追い求める日々を過ごしていました。

しかしある時、ふと立ち止まってこれまでの道のりを見つめ直す瞬間が訪れました。

その時に、「救急が繁盛する社会とは、本当に望ましいのだろうか」「これまで手紙をくれた患者さんたちが緊急入院することなく、幸せに生きていける世の中の方が良いのではないか」、そんな問いが胸の奥で膨らんでいったのです。

救急の現場では、心臓カテーテル治療を繰り返す人も多く、私の頭には自然と「自宅では、どんな生活を送っているのだろう?」という視点が浮かぶようになりました。

こうして考えを巡らせるうちに、「自宅で暮らす人々を支えたい」という思いが芽生えたのです。

無医村に医療インフラを届けたい

当時の私は、「新しいつながりがほしい」「熱量ある人に出会いたい」という純粋な好奇心から、様々な医療・看護系団体のセミナーや全国集会に足を運んでいました。

全国から集まった多くの看護師の、“自分の想いを軸にキャリアを切り開こうとしている姿”を目の当たりにし、私自身も強く刺激を受けたのを覚えています。

そんな中、とある看護師集会で、診療所と訪問看護ステーションを開業している看護師との出会いがありました。

その方が語る「無医村に、医療インフラを届けたい」ビジョンに強く共感し、その行動力に心から尊敬の念を抱くことになります。

私は、その組織で訪問看護を始めたいと志願しました。

3.訪問看護師としてのスタートと、更なるステップアップ

栃木県の訪問看護ステーションで訪問看護師として新たなスタートを迎えた私は、訪問看護の実践や、現場ならではの"礼儀作法”、様々な制度について学びながら、「自宅で暮らす人々を支える」という目標を実践する、充実した日々を過ごしました。

また、訪問看護の現場に身を置きながらも、看護師として更なる研鑽を続けたいという思いから、同時期に自治医科大学 看護師特定行為研修センターにも入学することになります。

看護師特定行為研修での研修に取り組む中で、褥瘡などによって壊死した組織を除去する「デブリードマン」という処置に関心を抱きます。

医療機関において、看護師によるデブリードマンの実施は珍しいものではありませんが、在宅医療において訪問看護師がデブリードマンを実践することは、その当時はまだ希少なものでした。(当時、訪問看護師の中で看護師特定行為研修修了者は全国で5名しかいない状況でした。)


「訪問看護師によるデブリードマンを“希少”なままにせず、もっと社会に広げなければ」と考え、学会発表を通じた情報発信や、看護関連の団体のインタビューを受けるなどのアクションに取り組みました。

幸いにも、日本で看護師登録者数が最も多い看護系情報サイト(看護roo!)や全国訪問看護事業協会でのインタビューを受けました。また、現在の日本訪問看護財団HPにも情報を掲載いただき、認知を拡大するために邁進していました。


しかし、「これで本当に、訪問看護師によるデブリードマンを社会に広げ、社会貢献できているのか?」という思いを拭うことができずにいた私は、「もっとエビデンスを世の中に発信するために、医学研究について体系的に学ばなければ」を感じました。

こうして、特定行為研修修了後に、地元富山の大学院への進学を決意します。

大学院では医学研究について学びを深めながら、2年半の間に、学会発表3回、共同研究4件、修士論文1本と、必死に経験を積み重ねました。

本業と大学院との両立で、思い出すと“キャパオーバー”な日々を過ごしましたが、研究者としての素地を養うことができたと思います。

4.地元・富山に訪問看護ステーションを

大学院在学中に、とある訪問看護の企業の方との交流を深めることとなりました。

その方と企業のビジョンや富山で訪問看護を展開する構想について議論を重ねる中で、「地元・富山に訪問看護ステーションを立ち上げ、地域に貢献したい」との想いから、この企業への就職を決意します。

大学院修了後、私は富山県のその地域において、最も若い訪問看護ステーション所長として訪問看護ステーションの立ち上げに取り掛かりました。


立ち上げのために、地域の人口、医療介護サービスや既存のステーションの調査、広報、物件探し、人財探し、申請書類作成、県庁や市役所での質疑応答など、あらゆる業務に奔走しました。

なんとかステーションを立ち上げた後には、職場のルールや業務効率化のための仕組みづくり、スタッフの育成やメンタルサポートなど、休む間もなく組織づくりに向き合いました。


この慌ただしい立ち上げ期の中で、私が最も大切にしていたのは人財探しでした。

  • 困難に一緒に飛び込んでくれる仲間

  • 細やかなサポートができる仲間

  • 創造的なアイデアをくれる仲間

  • チームを明るくしてくれる仲間

  • 忍耐強い仲間

それぞれが異なる強みを持ち、その強みがチームで活きる瞬間を見ることは、管理者としての何よりの喜びでした。

正直なところ、採用面接だけでは人の強みは見抜けません。

“一緒に働く中で気づく本人も気づいていない強み”を発見し、それをチームの力へ変えていく――。

そのプロセスこそが、管理者としての一番の楽しみでした。

5.訪問看護ステーションの成長への挑戦

立ち上げ後の大きな目標は、「1年以内の黒字化」でした。

公立病院勤務では、赤字・黒字を意識することはほとんどありませんでしたが、訪問看護の現場では違います。

日本では、年間2,500件の新規ステーションのうち約半数が休止・閉業に追い込まれるという厳しい現実があります。

経営と現場の両立を図るために、私たちが実践したことは多岐にわたります。

  • 日・月単位の訪問件数目標の設定

  • チーム全体での目標共有

  • 1on1で個人の関心を把握

  • ミーティングで悩みを共有し全員で解決

  • 他事業所への見学で“良い実践”を学び続ける

  • 所長である私が率先して営業・講演活動を担当

訪問看護にとって営業は、“地域から必要とされる存在になる”ための大切な仕事です。

スタッフによる営業にも力を入れつつも、所長である私自身が地域の講演会など精力的に取り組み、ステーションの利用者拡大につながるように働きかけていました。

その結果、1期目で地域で2番目の利用者数、2期目には地域で1番の利用者数を抱えるステーションに成長しました。

利用者数から見ての「地域で最も頼りにされるステーション」という実績を残せたことは、立ち上げからスタッフ一丸となって取り組んできたことの最大の成果となりました。

6.そのキャリアを目指す人へのメッセージ

これまで、救急医療、訪問看護、特定行為研修、大学院、訪問看護ステーションの立ち上げと、多様な経験を積みながら歩んできました。

最近では、10年以上続けてきた看護師特定行為の研究会や地元の多職種連携教育の運営に力を注ぎ、次世代育成に力を注いでいます。

様々な事業の運営に携わる中で痛感するのは、「自分自身もまだまだ未熟で、学生さんや若い看護師から学ぶことは本当に多い」ということです。

次世代を担う人たちと共に学びながら、看護の仕事を通じて地域がもっとwell-beingな社会になる未来を心から願っています。


また、仕事とは関係のないような“自分の興味”にも素直に向き合うことも大切にしています。

例えば、資産管理や将来設計を学ぶため、ファイナンシャルプランナー資格を取得したり、旅行好きが高じて世界遺産検定を受験したのもその一つです。

こうした学びはキャリアと直接関係がないようにも思えますが、回り道に見えることも楽しみながら、自分らしいキャリアを築いていきたいと思います。


もしもあなたが、「人とのつながりって、なんかいいな」と思うことができ、細いつながりを少しずつ太く大きくしていく過程を楽しめるのならば、訪問看護はきっとあなたに向いている世界です。


訪問看護は、暮らしを支え、人生に伴走し、地域に貢献できる仕事。

臨床現場の忙しさの中で失われがちな“その人らしい暮らしを支える”という、看護の本質に向き合うことができる現場です。

少しでも興味があるなら、ぜひ一歩踏み出してみてください。その一歩が、あなたの新しいキャリアの始まりになるはずです。

思い出の一枚
私が栃木県で訪問看護師として働き始めた時期。失語症(言葉を発せられない)を患っている方でしたが、毎度訪問時に身振り手振りでコミュニケーションをとってくださった、思い出深い訪問の一枚です。

本人・家族の承諾を得て掲載

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  • vol.21:脳外科医×起業家が見据える次世代医療:全ての医療従事者にビジネスマインドを

  • vol.27:MPHホルダーの内科医 - 専門性の掛け算で、"一億人に一人"の人材へ

  • vol.30-1:ある総合内科医の15年 (前編) - 学びを求めて飛び込んだ、建築途中の病院へ

  • vol.30-2:ある総合内科医の15年 (前編) - 臨床・教育・研究をつなぎ、ロールモデルを築くまで

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