
東京大学大学院で臨床疫学・経済学分野の教授を務め、1200本以上の論文を共著で出版してきた私の悩み苦しみながら走り続ける研究者人生。
かつては基礎研究が主流だった日本で、臨床疫学というあてどない独学の道に踏み出した一人の外科医でした。
私が駆け出しの研究者の頃、恩師の言葉―
「何でもいいから10年間ひたすら続けなさい。そうすれば世界のトップクラスになれる」
臨床経験があるから臨床研究もできる、と甘く考えていたのが大間違い。
臨床医学と疫学・統計学は、異なるディシプリンである。
不退転の覚悟で、臨床医から研究者に転身して12年、私は東大教授になった。
その間も、その後も、誰も進んだことがない道なき道を選び、戦いの最前線を駆け抜けてきた。
悩んで、苦しみ抜いて、突き抜ける。努力は決して裏切らない。
本記事は、臨床を続けながら研究を実践したい方や、RWD研究で成果を挙げたい医療従事者、そして研究の道を究めたい志を抱く方に向けたメッセージです。
専門家が不在の環境での猛勉強、ハーバード大学への短期出向で痛感した日米格差、そしてDPCデータを駆使した臨床研究の開拓まで、自ら道を切り拓いてきた軌跡を辿ります。
継続的に研究成果を出し続けるためのヒントや、研究者人生の「壁」を乗り越えるための心構えをお伝えします。
本シリーズは、パブリックヘルスの領域で活躍するプロフェッショナルが初学者に向けて自らの専門性を語る自伝シリーズです。その専門性に出会った原点や、挫折の先に見つけた希望、そして今も燃やし続けている信念について、熱量を込めて語り尽くします。
「パブリックヘルスの専門知とつながるWEBメディア」
パブリックヘルスの叡智が集まるメディアへようこそ。
スマホひとつで、あらゆる格差を超えて。
研究からキャリアまで、あなたのお悩みに専門家が熱く、やさしく、お応えします。
継続的に研究成果を出し続けるためのヒント
研究を極めるために必要な心構え
研究者人生の岐路に立ったときの身の処し方
臨床を続けながら研究を実践したいと願っている医療従事者
RWD研究で成果を挙げたいと考えている医療従事者
研究の道を究める志を抱いている方
vol.1:RWDのおかげで親に仕送りできるようになりました(mMEDICI株式会社/廣瀬直紀)
vol.3:医療や看護の価値をデータで語れるように(東京大学大学院医学系研究科 健康科学・看護学専攻 看護管理学/森田光治良)
vol.8:研究者の問いを支える - 生物統計家という仕事(長崎大学病院臨床研究センター/生物統計家/佐藤俊太朗)
vol.9:エビデンス原理主義者の戯言 - そう言われた医学生がエビデンスにこだわり創る側へ(東京大学大学院医学系研究科/精神科医/古川由己)
vol.10:科学の力で「働き方」を変える - 元官僚の社会疫学者の挑戦(慶應義塾大学総合政策学部/社会疫学者・医療経済学者/佐藤豪竜)
氏名:康永 秀生
所属:東京大学大学院医学系研究科臨床疫学・経済学
専門性:東京大学医学部医学科卒業後、6年間外科の臨床に従事。当時海外で興ったEBMに強い関心を抱き、臨床疫学の研究者を志して、東京大学大学院公衆衛生学博士課程に進学。疫学・統計学・医療経済学・医療情報学などを学ぶ。2006年に厚生労働科学研究DPCデータ調査研究班のメンバーとなり、多くの診療科の臨床家と共同でDPCデータを用いた臨床研究を幅広く展開。当時日本では未開拓であった大規模リアルワールドデータ(RWD)研究の先駆者となる。現在も各種のRWDを駆使して臨床各科との共同プロジェクトを多数推進し、年間100編以上、累計1200編以上(2026年9月現在)の原著論文出版を成し遂げている。
著書:
・超入門! スラスラわかる リアルワールドデータで臨床研究 第2版. 金芳堂. 2025
・必ずアクセプトされる医学英語論文 完全攻略50の鉄則 改訂版. 金原出版. 2021
・経済学を知らずに医療ができるか!? 医療従事者のための医療経済学入門. 金芳堂. 2020


1990年代初頭、医学生の頃、Gordon GuyattとDavid Sackettが提唱したEBM(Evidence Based Medicine)の概念が、私の琴線に触れた。
臨床疫学(Clinical Epidemiology)という学問の存在を初めて知った。
臨床医から研究者に転身するも、臨床疫学の専門家がいない日本で、あてどない独学の道に進むことを余儀なくされる。そんな中で所属教室の教授にかけられた「10年間ひたすら続けなさい」という言葉が、心の拠り所となる。
RWD研究という日本では未踏の領域に足を踏み入れた後、RWD研究の総本山であるハーバードに単身で出向いた。世界的権威であるハーバード大学教授の手ほどきを受けつつ、研究環境の日米格差に驚愕した。
「日本の臨床疫学研究の裾野を広げねばならない」と奮い立つ。
私は現在、東京大学大学院医学系研究科公共健康医学専攻(School of Public Health, SPH)の臨床疫学・経済学分野の教授を務めています。
大学院では臨床疫学の講義・演習、医療経済学の講義、医療技術評価学の演習などを担当しています。臨床疫学講義では、臨床研究デザイン、統計的因果推論などを系統的に講義します。臨床疫学演習では、研究立案と計画書の作成方法や医学論文の書き方を実践的に指導します。
研究面では、大規模RWDを駆使し、多くの診療科の臨床家や経済学者たちとの共同研究により、臨床疫学研究、ヘルスサービスリサーチ、医療経済・政策研究を幅広く実践しています。
私は、東大理IIIに入学した当初から、臨床家ではなく医学研究者を志していました。
ところが医学部医学科に進学して、最初の壁にぶち当たります。とにかく基礎実験が苦手。顕微鏡を覗くと頭が痛くなる始末。動物実験も嫌いでした。
基礎の先生たちは、自分にはできないことをやっているという意味で尊敬しましたが、「自分が将来それをやるのは無理かな」と感じました。
一方で、高校生の頃から数学は大得意だったので、統計学などには興味がありました。医学部6年生の頃に出会ったのが、EBM(Evidence Based Medicine)の概念を初めて提唱したGordon GuyattおよびDavid Sackettらによる論文です。
「臨床疫学(Clinical Epidemiology)」という、臨床医学と疫学・統計学を融合した学問の存在を、その頃初めて知りました。
しかし当時日本では、医学研究というと基礎研究が主流でした。臨床系の大学院生もほぼ全員、基礎研究で学位を取得するというのが実情でした。私は将来の進路について大いに悩み、研修医の間だけ臨床を経験してから、また考え直すことにしました。
卒後は、外科の研修医になりました。現在のようなスーパーローテーションが始まる前です。一般外科の他に、胸部外科、小児外科、麻酔科を回ることができました。 臨床研修が終わったタイミングで、疫学・統計学の方面に進みたいと思っていました。
しかし、1年半の研修で臨床の面白さにはまってしまい、当初の予定は先延ばしにしました。
研修後、福島県の竹田綜合病院外科に赴任します。そこでは2年間で、アッペ・ヘルニア、胆摘、胃癌・大腸癌・乳癌の根治手術など数百例の手術を執刀し、最後に膵頭十二指腸切除術を1例執刀しました。
東大病院に移り、心臓外科で手術手技や術後管理を学び、呼吸器外科では肺がん手術や胸腔鏡手術の手技を学びました。
その後、千葉県の旭中央病院心臓外科で1年余りレジデントとして働きました。そこでは、開心術での人工心肺の確立、CABGのグラフト採取、心房中隔欠損症根治術などの術者を経験しました。
トータル6年間、寝る時間も惜しんで、臨床に没頭しました。当時培った臨床の知識が、私の生涯の財産となりました。
東大の外科では当時、臨床を5~6年ぐらい経験した後に、外科学専攻の博士課程に進学する、というのが普通の流れでした。そのタイミングで私は、「公衆衛生学の博士課程で疫学・統計学を勉強したい」と当時の心臓外科教授に伝えたところ、とても驚かれていましたが、意外とすんなり認めていただけました。
外科に残りたいという気持ちも強くあり、未練たらたらではありました。しかし、やはり自分はEBMや臨床疫学がずっと気になっていて、外科の仕事をしている間も、常に臨床疫学の論文に目を通していました。
悩み抜いた末の、初志貫徹。
当時、臨床医で疫学・統計学を知っている人はほとんどいなかったのです。臨床研究に疫学・統計学の知識は必須です。
私は、「臨床を知る疫学・統計学の専門家が、臨床家と一緒になって臨床研究をやっていく仕組みづくりが必要である」と強く感じていました。
不退転の決意で、東大の公衆衛生学教室の門を叩きました。
というのも、疫学・統計学は公衆衛生学に含まれる学問領域だからです。ところが、当時の公衆衛生学教室では、教授も准教授も産業保健が専門でした。荒記俊一教授(当時)は「鉛中毒」がご専門です。
私は教授に「鉛中毒は興味がありません」「臨床疫学をやりたいです」と正直に伝えました。
すると、教授はこうおっしゃいました。
「何でもいいから10年間ひたすら続けなさい。そうすれば世界のトップクラスになれる」
少し救われた気がしました。
しかし、ほどなく私は、第二の壁にぶつかります。
6年間臨床を経験した自分としては、臨床医学はそれなりに分かっており、その延長として疫学も簡単にできるだろう、と甘く見ていました。しかし、実際には臨床と疫学の方法論はまったく異なることに気が付きます。応用的な疫学・統計学を一から勉強しなければならないことを痛感しました。
しかし当時、東大だけでなく、日本中を探しても、世界に伍する臨床疫学者はいなかったのです。
私には、臨床医の頃に知り合い結婚した妻がいます。妻を連れて渡米し、ハーバードのSPHに留学も考えました。ところが折しも、妻が身ごもっていることが分かりました。身重の妻を連れて、あるいは日本に残して、アメリカくんだりまで行っている場合では無くなりました。
「日本で独学するしかない―――。」
そうと決まったら腹を括るしかありません。
私は連日、東大の図書館に通って、1日10本、論文を読み続けることを自らに課しました。洋書も読みまくりました。疫学・統計学だけでなく、経済学、社会学、政治学、倫理学、医療情報学など、図書館の本棚にある書物を右から左へ片っ端から読破し続ける毎日。
それを約3年間続け、1万本ぐらいの論文、300冊ぐらいの洋書を読んだ頃、私は悟りの境地に達します。
もはや怖いものはなくなりました。
今にして思えば、こんなやり方を人にはおすすめできません。勉強はもっと効率よくすべきでしょう。当時の私は、孤独な闘いの不安を打ち消すために、まるで修行僧のように苦行に挑まずにはいられなかったのです。
しかし、そこから得た知識やスキル、そして揺るぎない自信は、その後の自分の研究者人生における最強の武器となりました。
当時私は、「薬剤C型肝炎」に関する論文を書きました。徹底した文献の渉猟や読書の成果を生かした研究です。臨床疫学とは程遠い、医療政策学に分類されるような論文です。 その私の処女作は、Lancetに掲載されました。(Yasunaga H. Risk of authoritarianism: fibrinogen-transmitted hepatitis C in Japan. Lancet 2007;370: 2063-7)
その後縁があって私は、東大の医療情報学(大江和彦教授)の助教ポストを得て、そこで「外科手術のvolume-outcome relationship」に関する研究を行うチャンスを与えられました。外科系各学会との共同による全国レベルの多施設研究です。
ついに私は臨床疫学研究でデビューを果たしました。
さらに私は、助教時代の2006年に、厚労科研研究DPCデータ調査研究班のメンバーになりました。これが私のその後の方向性を決める重要な転機となったのです。
DPCデータというのは、全国千数百病院における年間約700万人の入院患者の詳細な診療履歴や医療費のデータを集めたビッグデータです。もともとはDPC病院の会計や医療経営に使われていたデータでした。厚生労働省は診療報酬点数を決めるためのツールとしてそのデータを使っていたわけです。
そこで私は発想を転換して、「DPCデータは臨床研究にも使える」と思い立ちます。 DPCデータには、レセプト情報の他に、身長・体重・喫煙歴・がんのステージ・意識レベルなど様々な臨床情報も含まれています。
私は、それまでほとんど誰もやっていなかった、DPCデータを用いた臨床研究で論文を書いて、Annals of Surgeryなどにアクセプトされました。すでに疫学や統計学の知識は十二分にある。データベースを縦横無尽に駆使して、いくらでも論文が書ける。
自信に満ち溢れていました。
しかし私はそこで、再び大きな壁にぶち当たります。 私が本当に目指すところは、日本に臨床疫学という学問を根付かせること。 臨床疫学の専門家が臨床家たちと一緒になって臨床研究をやっていく仕組みを作り、日本発の臨床エビデンスを量産することなのです。
一人でせっせと論文を書きまくるだけでは、私の理想には近づきません。
そこで私は、ハーバード大学に短期出向し、RWD研究の世界的権威であるJohn Ayanian教授の教えを乞うことにしました。運良く、Harvard Medical SchoolのHealth Care Policyという部門に客員研究員として迎えられました。
同部門は、アメリカの様々なRWDを駆使し、臨床疫学、ヘルスサービスリサーチ、医療経済・政策学などで桁違いの研究業績を挙げています。ハーバード大学で私は、驚きの連続を体験します。
まず、ファカルティの人数が圧倒的に多いのです。一つの部門に教授が何十人もいます。各教授が莫大な研究費を獲得し、それを原資に統計家や研究支援スタッフを数多く雇っています。大学院生や研究生は数えきれないほどいます。ファカルティは、頼めば親身に相談に乗ってくれ、若手研究者へのサポート体制が万全なのです。
ハーバードと東大、アメリカと日本。彼我の差に、私は暗澹たる思いを抱きました。
日本に戻る機内で、「何とかせねば」と焦燥の念にかられつつ、帰国しました。
その後私は、多くの診療科の臨床医たちに声をかけ、共同研究プロジェクトを立ち上げました。2013年に東大SPHの教授に就任してからは、その動きをさらに加速させました。
DPCデータ以外にも様々なRWDを入手し、研究の幅を広げていきました。いくつかの学会に協力し、多施設前向きレジストリーの構築支援とデータ分析支援も行ってきました。SPHでは臨床疫学の系統講義と演習を担当するとともに、研究室配属の学生を多く受け入れ、即戦力の若手研究者を育成してきました。
日本の大学は、テニュアのポストが限られます。そこで、企業との産学連携講座を設置し、特任教員のポストを用意し、有能な臨床疫学者を登用してきました。京都大学・九州大学などの先生たちと一緒に、日本臨床疫学会を立ち上げ、機関誌Annals of Clinical Epidemiology(ACE)を発刊し、初代編集長に就任しました。
近年は厚生労働省が、NDBをはじめとする多くの公的なRWDを立ち上げています。それらの利活用を推進するために、研究会やセミナーを開催し、一般向けの指南書を出版しました。
忙しくて勉強の時間がなかなか取れない臨床医の方々のためにも、日本語で書かれた平易な解説書は重要です。 これらの取り組みはすべて、日本で臨床研究に取り組む研究者の裾野を広げることが目的です。
これまで私は、1200本以上の論文を共著で出版してきました。それらは全て、多くの論文を読んできたから達成できた成果だと感じます。論文がアクセプトされるのは、訓練してきたことがちゃんとできているだけの話です。
私は大学を卒業してから、臨床でも研究でもいろんな経験をし、その中で自分が一生をかけてもいいと思う仕事を見つけられました。そのような仕事を見つけるのは簡単なことではありません。
しかし、とりあえずは目の前の勉強をしっかりやって、「これだ」というものが見つかったら、後はそれにしがみついて取り組んでいくというのが大事だと思います。誰しも、経験や努力の積み重ねの中で、ライフワークの糸口を掴めるでしょう。
私のこれまでの研究者人生は、道なき道の連続でした。誰も歩んだことがない進路を見つけ出し、戦いの最前線を駆け抜けてきました。
研究に王道はありません。
努力を怠らず、目の前に現れたチャンスを逃さず、確実に掴んでいけば、必ずどうにかなるでしょう。
努力は必ず報われます。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力とは呼べないでしょう。
人生には、いろんな「壁」が現れます。
しかし、本当の「壁」は、自身の心の中にもあるのかもしれません。
「自分には越えられない」「力が及ばない」――。その考えが、最大の壁なのです。

mJOHNSNOWはスペシャリストが提供する医学研究講座にスマホで、スキマ時間にアクセスできる医学研究オンラインスクールです。
継続率97%の高いクオリティで、累計2,023名を超える仲間が入会し、初学者向けの因果推論、疫学、統計学、データ解析、RWDなどをスペシャリストから学んでいます。
講義はすべてオンデマンド化されるので自分のペースで学びを進められ、研究・キャリアの悩みは365日いつでもチャットで相談可能。安心の定額制で、満足いくまで学び放題です。
【参加者の声】
・地方在住で学ぶ場がなく困っていましたが、大学院に行かないと学べないようなことを仕事の合間に学ぶことができ大満足です(40代女性 医師)
・フォローアップが手厚く、オンデマンドで分かるまで学べるのが初学者にとってとても助かっています(30代男性 製薬企業社員)
・低価格なのに見切れないほど多くの講座が受講でき、どれも質が高いです(40代女性 大学研究者)
詳細を見る
vol.1:RWDのおかげで親に仕送りできるようになりました(mMEDICI株式会社/廣瀬直紀)
vol.3:医療や看護の価値をデータで語れるように(東京大学大学院医学系研究科 健康科学・看護学専攻 看護管理学/森田光治良)
vol.8:研究者の問いを支える - 生物統計家という仕事(長崎大学病院臨床研究センター/生物統計家/佐藤俊太朗)
vol.9:エビデンス原理主義者の戯言 - そう言われた医学生がエビデンスにこだわり創る側へ(東京大学大学院医学系研究科/精神科医/古川由己)
vol.10:科学の力で「働き方」を変える - 元官僚の社会疫学者の挑戦(慶應義塾大学総合政策学部/社会疫学者・医療経済学者/佐藤豪竜)