
「先生、どうして医療統計学の道に進まれたのですか。」
これまで何度、この質問を受けたことでしょう。その度に私は、一人の恩師ではなく、人生の節目ごとに出会った多くの人たちの顔を思い浮かべます。
人生には、自分の力だけでは開けられない扉があります。誰かとの出会いが、その扉をそっと開いてくれることがあります。
振り返ってみると、私の人生は、まさにそんな出会いの連続でした。
本記事でお届けするのは、世界の恩師たちから受け取った「患者さんから問いを立てる」というClinical Epidemiologyの思想です。単なる解析手法ではなく、臨床の問いに誠実に答えるための「言語」としての考え方を紐解きます。
本シリーズは、パブリックヘルスの領域で活躍するプロフェッショナルが初学者に向けて自らの専門性を語る自伝シリーズです。その専門性に出会った原点や、挫折の先に見つけた希望、そして今も燃やし続けている信念について、熱量を込めて語り尽くします。
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Clinical Epidemiologyとは、患者から生まれた臨床の問いに科学的に答えるための「言語」であり「思想」であること
日本での研究基盤と教育への挑戦
AI時代における人とメンタリングの価値
臨床研究や医療統計の学び方に悩んでいる若手医師・医学部生・医療従事者
自分の専門性や今後のキャリア、進むべき道に迷っている方
後進の育成や教育に携わり、技術だけでなく「志や思想の継承」に関心がある指導者・研究者
vol.1:強く生きるには、専門性(mMEDICI株式会社/廣瀬直紀)
vol.3:医療や看護の価値をデータで語れるように(東京大学大学院医学系研究科 健康科学・看護学専攻 看護管理学/森田光治良)
vol.8:研究者の問いを支える - 生物統計家という仕事(長崎大学病院臨床研究センター/生物統計家/佐藤俊太朗)
vol.9:エビデンス原理主義者の戯言 - そう言われた医学生がエビデンスにこだわり創る側へ(東京大学大学院医学系研究科/精神科医/古川由己)
vol.13:研究者の道 - 最前線を駆け抜けろ! (東京大学大学院医学系研究科/臨床疫学・経済学教授/康永 秀生)
氏名:新谷 歩
所属:大阪公立大学大学院 教授
専門性:2000年に米国エール大学で生物統計学の博士号を取得後、テネシー州ヴァンダービルト大学で講師准教授を経て、2013年より大阪大学医学部臨床統計疫学寄附講座教授。2016年より現職。ヴァンダービルト在籍中は医師研究者の育成を目的とした臨床研究修士コースで10年以上150人に及ぶ医師サイエンティストの育成に携わる。日本REDCapコンソーシアム代表。 2022年9月にスタンフォード大学が発表した「世界で最も影響力のある研究者トップ2%」に生涯区分・単年区分両方で選出された。YouTubeでも医療統計に関する動画を多数配信し登録者は1万5千人以上。
著書:
・今日から使える 医療統計
・みんなの医療統計 12日間で基礎理論とEZRを完全マスター!
・みんなの医療統計 多変量解析編 10日間で基礎理論とEZRを完全マスター!
・あなたの臨床研究応援します〜医療統計につながる正しい研究デザイン,観察研究の効果的なデータ解析



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Yale大学で若い医師たちが一言一句を聞き漏らすまいと身を乗り出すAlvan Feinstein先生の講義を初めて目の当たりにしました。
内容すら十分に理解できていなかった私は、それでも「ああ、本当に偉大な人とは、こういう人なのだ」と震えるような感覚を覚えました。
そしていつか自分も、医学を学ぶ人たちの心に火を灯せる人になりたいと、確信したのです。
私は兵庫県の片田舎で育ちました。決して裕福な家庭ではありませんでした。両親も祖父母も本当によく働き、自分にできる仕事を一生懸命こなしながら家計を支えていました。
そんな姿を見ながら育った私は、子どもながらに「将来は豊かになりたい」と思っていました。
贅沢がしたかったわけではありません。お金の心配をせずに暮らせる人生に憧れていたのです。
数学が好きだった私は、大学では理学部で数学を専攻しました。卒業したのは、ちょうどバブル景気の真っただ中。特別な努力をしなくても就職先が見つかるような時代でした。
社会人になってからも、「何かをやりたい」という思いはありました。けれど、その「何か」が分かりませんでした。
自分の人生は自分で選び取るものだ――。そんな考えに触れ、会社を辞めたものの、次に進むべき道はまだ見えていませんでした。
「私は、この先どうやって生きていけばいいのだろう。」
人生で一番、先が見えなかった時期です。
しかし、人生とは不思議なものです。振り返ってみれば、道が見えなかったからこそ、色々な人々との出会いが、その後の私の人生を大きく動かしてくれたのだと思います。
最初の転機は、アメリカでした。
会社員だった頃、私はアメリカ・テキサス州オースティンへ派遣されました。そこで、忘れられない光景を目にしました。
ベトナム出身の若い女性エンジニア、マリアの前に、日本から出張してきた年配の男性技術者たちが並び、熱心に質問をしていたのです。
私は、その場で立ち尽くしてしまいました。
当時の日本では、若い女性に年上の男性が教えを請う姿など、ほとんど見たことがありませんでした。
年齢でもない。性別でもない。肩書でもない。
人を動かしていたのは、「専門性」でした。
「知識を持っている人の周りに、人は自然に集まる。」専門性とは、人を自由にするものなのです。
その光景は、30年以上経った今でも鮮明に覚えています。
もう一人、進むべき道が見えなかった私に光を与えてくれた女性がいました。
高校生の頃に出会い、大学時代にホームステイをさせてもらったリンダです。リンダは、ノースカロライナ州で初めて女性として生物学の博士号を取得した研究者でした。家庭を持ち、子どもを育てながら、研究者として第一線で活躍していました。
当時の私は、MBAへの留学を考えていました。その話をすると、リンダは少し考えてから、静かに言いました。
「MBAを学ぶ人はたくさんいます。」そして、「でも、あなたは統計学を学びなさい。」
思いもよらない言葉でした。
リンダは続けました。
「統計学は、これからますます必要になる学問です。そして、データを扱う仕事なら、女性も家庭と両立しながら長く続けることができます。」
そして最後に、こう言いました。
「どうせ目指すなら、頂点を目指しなさい。」
私は、その言葉を今でも忘れることができません。
誰かに人生を決めてもらったわけではありません。けれど、自分では見えていなかった未来を、二人の女性が見せてくれました。
マリアは、専門性が人を自由にすることを。リンダは、その専門性をどこに求めればよいのかを。
暗闇の中にいた私に、進むべき方向が少しずつ見えてきました。そして私は、アメリカで統計学を学ぶことを決意しました。
インターネットもない時代です。アメリカ中の大学へ願書請求の葉書きを送り、一つひとつ準備を進めました。
英語にも自信はありませんでした。医療統計学についても、ほとんど何も知りませんでした。それでも、不思議と迷いはありませんでした。
二人が示してくれた道を、一度歩いてみたい。
その気持ちだけで、私はアメリカへ渡りました。
Yale大学での生活は、想像以上に厳しいものでした。
英語で講義を受け、膨大な宿題をこなし、試験に備える。朝から晩まで勉強しても、周りの学生についていくのがやっとでした。
「私は本当にここでやっていけるのだろうか。」
そう思った日は、一度や二度ではありません。でも、当時の私はまだ知りませんでした。
この場所で出会う人たちが、医療統計学だけではなく、私の人生そのものを変えていくことを。そして、その人たちから受け取ったものを、いつか自分が次の世代へ手渡していくことになることを。
Yale大学へ留学した当初の私は、とにかく毎日を生き抜くことで精一杯でした。
英語で講義を受け、膨大な課題をこなし、試験に備える。1日が終わる頃には疲れ果て、「今日も何とか乗り切った」という思いだけが残りました。医療統計学という学問が、将来自分にとってどれほど大きな意味を持つのかなど、考える余裕もありませんでした。
そんな私に、統計学の見え方を大きく変えてくれた人がいました。
John Concato先生です。Johnは泌尿器科医であり、私が初めて出会ったClinical Epidemiologistでした。それまで私にとって統計学とは、データを解析し、P値を計算し、結果を導くための技術でした。
しかし、Johnが考えていたことはまったく違いました。
「患者さんにとって、本当に大切な問いは何だろう。」
「その問いに答えるには、どんな研究デザインが必要だろう。」
統計手法の話は、そのずっと後でした。
統計学から考えるのではない。患者さんから考える。
私は衝撃を受けました。
医療統計学とは、単なる計算の学問ではない。患者さんから生まれた問いに答えるために、臨床医とともに考える学問なのだ。
それまで私が抱いていた統計学のイメージが、根底から覆された瞬間でした。
ある日、Johnが私を1人の恩師の講義へ連れて行ってくれました。
Alvan Feinstein先生です。当時の私は、先生が「Clinical Epidemiologyの父」と呼ばれるほどの世界的な巨人であることさえ、よく知りませんでした。
講義室へ入ると、Robert Wood Johnson Clinical Scholars Programで学ぶ若い医師たちが静かに席についていました。
Feinstein先生が話し始めると、部屋の空気が変わりました。
若い医師たちは、一言一句を聞き漏らすまいと、息をのみ、身を乗り出していました。正直に言えば、当時の私には講義の内容を十分理解することはできませんでした。それでも、その場に満ちていた緊張感と熱だけは、はっきりと感じました。
「ああ、本当に偉大な人とは、こういう人なのだ。」
「いつか自分も、医学を学ぶ人たちの心に火を灯せる人になりたい。」
そう感じたことを、今でも鮮明に覚えています。
その後、Clinical Epidemiologyを学び続ける中で、私は少しずつFeinstein先生の教えの意味を理解するようになりました。
先生が教えていたのは、新しい統計手法ではありません。
患者さんを深く理解すること。そこから生まれる臨床の問いを、徹底的に磨き上げること。
Clinical Epidemiologyとは、患者さんを出発点として、医学の問いそのものを深く考える学問だったのです。
Yaleで博士号を取得した後、私はVanderbilt大学医学部で教員として働く機会をいただきました。
そこで直属の上司となったのが、Frank Harrell先生でした。回帰モデル、予測モデル、そしてRのrmsパッケージ。世界中の医療統計家に知られる研究者です。
しかし、私がFrankから学んだ最も大切なことは、統計手法そのものではありませんでした。
ある日、Frankはこう言いました。
「解析方法は、研究者が選びたいものを選ぶものではない。」
「臨床の問いが、解析方法を決めるんだ。」
この言葉は、私の胸に深く刻まれました。
Johnから学んだ「患者さんから問いを立てる」ということ。Feinstein先生から学んだ「その問いを磨き上げる」ということ。そしてFrankは、その問いに最も誠実に答えるために、統計手法を選ぶのだと教えてくれました。
統計学とは、研究者が望む結果を得るための道具ではありません。患者さんから生まれた問いに、科学的に答えるための「言語」なのです。
Frankから学んだもう一つの大切な考え方が、研究の再現可能性でした。
「人は必ず間違える。」
だからこそ、人が手で数値を書き写す工程をできるだけなくす。データの読み込みから解析、図表、報告書まで、すべてプログラムによって再現できるように設計する。
今日では広く知られるようになった考え方ですが、Frankは20年以上も前から、その重要性を繰り返し語っていました。この教えは、後に私が日本へ帰ったとき、大きな意味を持つことになります。
Vanderbiltでは、もう1人、その後の私の活動に大きな影響を与える同僚と出会いました。
Paul Harris先生です。後にREDCapを開発し、世界中の臨床研究のあり方を大きく変えることになる人です。
ある日、Paulが私に言いました。「Ayumi、こんなのを作ってみたんだ。」見せてくれたのが、まだ生まれたばかりのREDCapでした。
当時は、ごくシンプルなデータ収集システムでした。しかしPaulには、すでにその先の未来が見えていました。
世界中の研究者が、スイスアーミーナイフのように自由に使える研究ツールにしたい。臨床研究の工程をすべて誰かに任せるのではなく、研究者自身が考え、設計し、ツールを使いこなす。その過程で研究者自身が学び、力をつけていく。
Paulが目指していたのは、単なる便利なソフトウェアではありませんでした。研究者自身に「研究する力」を渡すことだったのだと思います。
Vanderbiltでは、Master of Science in Clinical Investigation(MSCI)の教育にも携わりました。受講生の多くは、医学部を卒業し、数年間の臨床経験を積んだ若い医師たちでした。
このプログラムでは、世界中から第一線の研究者を招いて教育を行っていました。その一人が、臨床予測モデル研究を牽引するKarel Moons先生でした。Karel先生とともに講義を担当しながら、私は改めて気づきました。
一流の研究者とは、一流の教育者でもある。しかし、それ以上に私の心を動かしたのは、学生たちの変化でした。
最初は研究方法も統計学も十分に知らなかった若い医師たちが、統計学を学び、自らClinical Questionを立て、研究を設計し、データによってその問いに答える。
臨床医が、Physician Scientistへと変わっていくのです。
その姿を何度も目の当たりにするうちに、私の中に一つの思いが生まれました。
統計学は、統計家だけのものではない。
統計学とは、医療人が医学を理解し、患者さんから生まれた問いに科学的に答えるための「言語」なのだ。
だから、「統計を教える」ということも、単に解析手法を教えることではありません。一人の医療人が、自ら問いを立て、考え、患者さんの未来を変える研究者へと成長していく。
「統計を教える」とは、その最初の一歩を支えることなのだと思うようになりました。
私は、統計専門家に統計を教えたいのではない。
医療人に統計を教えたい。統計という「言語」を身につけることで、患者さんのために自ら問いを立て、研究できる医療人を育てたい。
それが、今も続く私の教育の原点になりました。
プロジェクトや研究活動の傍ら、私の人生に最も大きな影響を与えた医師であり、最高の友人となったのが、Wes Ely先生です。Wesは集中治療医学の第一人者であり、ICUせん妄研究を通して世界の集中治療を変えてきた医師です。
けれど、私がWesを尊敬している理由は、その業績だけではありません。Wesは、いつも患者さんの話をしていました。
「論文を書くために患者さんがいるのではない。」
「患者さんのために研究がある。」
そして、ある日、こんなことを話してくれました。
「目の前の患者さんを救うことは、もちろん医師として最も大切な仕事だ。」
「でも、臨床研究には、その先がある。」
「一つの研究が世界を変えれば、まだ見ぬ患者さん、世界中の患者さんの命を救うことができる。」
その言葉を聞いたとき、それまで恩師たちから学んできたことが、一つの線としてつながったような気がしました。
Johnが教えてくれた、「患者さんから問いを立てること」。
Feinstein先生が教えてくださった、「患者さんを深く理解し、臨床の問いを磨き上げること」。
Frankが示した、「その問いに最も誠実な統計手法を選ぶこと」。
Paulが実践した、「世界中の研究者とツールと知識を共有すること」。
そしてWesが教えてくれた、「臨床研究は、まだ見ぬ世界中の患者さんの未来を変えることができる」ということ。
私は、統計手法だけを学んだのではありませんでした。
患者さんから問いを立て、その問いを磨き、科学的に答え、その知識を世界と共有し、まだ見ぬ患者さんへ届けていく。「Clinical Epidemiology」という、一つの思想を学んだのです。
そしていつしか私は、こう考えるようになっていました。
世界の恩師たちから受け取ったこの思想を、日本へ持ち帰ることはできないだろうか。
それが、自分に与えられた次の役割なのではないだろうか。
Vanderbilt大学での生活は、とても幸せなものでした。
家族にも恵まれ、素晴らしい仲間たちと仕事をし、世界最高峰の環境で研究と教育に携わる。気がつけば、アメリカでの生活は20年以上になっていました。家族で相談し、土地を探し、間取りから一つひとつ考えて建てた家もありました。
私は、このままアメリカで暮らしていくのだと思っていました。
けれど、心のどこかに、ずっと日本のことがありました。
John、Feinstein先生、Frank、Paul、Wes。世界の恩師たちから学んだClinical Epidemiologyの思想を、日本にも伝えたい。
患者さんから問いを立てること
その問いを科学的に磨き、誠実に答えること
研究者自身が研究する力を持つこと
そのための環境を、日本にもつくれないだろうか。そう考えるようになりました。
しかし、帰国を決断するのは簡単ではありませんでした。アメリカには、仕事も、仲間も、家族との暮らしも、そして大好きな家もありました。
2年以上、迷い続けました。
ある日、夫に冗談半分に言いました。
「誰か、この家に火をつけてくれないかな。」家さえなくなれば、迷わず日本へ帰れるのに。それくらい、私たちは悩んでいました。
アメリカに残れば、これまで築いてきた人生を続けることができる。日本へ帰れば、何が待っているのか分からない。
二つの人生が、目の前にありました。そして私は、日本へ帰りました。
帰国して、最初に驚いたことがあります。
日本の臨床研究の現場では、まだ紙の症例報告書が広く使われていました。紙に記録されたデータをExcelへ転記し、人の手でチェックする。アメリカではREDCapを使い、データ収集から管理、解析へとつながる研究環境を経験していた私には、大きな衝撃でした。
Frankの言葉が頭に浮かびました。
「人は必ず間違える。」
人が間違えないように注意するのではなく、できるだけ人が間違える工程そのものをなくす。PaulがREDCapを作った理由も、FrankがReproducible Researchを徹底していた理由も、改めてよく分かりました。
世界最高峰の研究環境とは、優秀な研究者が集まっている場所というだけではありません。研究者が、本当に考えるべきことに集中できる環境なのです。
大学からの帰り道とぼとぼ歩きながら、私は毎日のように歌を歌っていました。
『翼の折れたエンジェル』。
アメリカでは、データがあり、研究を支える仕組みがあり、Clinical Questionがあれば、それを研究へとつなげていくことができました。ところが日本に帰ると、統計家がどれほど解析技術を持っていても、その力を十分に生かせるデータや研究基盤が整っていない。
「統計家の翼となるべきデータが、日本にはない。」
そう感じたのです。
「日本に帰って、私の翼は折れてしまった。」そんな気持ちでした。
でも、やがて考え方が変わりました。
日本の臨床家に力がないわけではありません。患者さんを深く理解し、素晴らしいClinical Questionを持ち、研究への情熱を持っている人はたくさんいる。
足りないのは、その人たちが飛ぶための環境なのではないか。
だったら、その環境を作ればいい。そう思うようになりました。
そこで、Vanderbiltで学んだ研究環境を、日本でも一つずつ形にしていきました。
Paulたちが開発したREDCapを日本へ広げる。
Rを使った再現可能な解析環境をつくる。
できる限り人の手作業を減らし、研究の工程を自動化する。
そして何より、Clinical Epidemiologyという考え方を伝える。
しかし、環境を整えるだけでは十分ではありませんでした。どれほど優れたシステムがあっても、それを使う人が育たなければ、研究は変わりません。
そこで私は、教育に力を注ぐようになりました。
大学院の授業だけではありません。
医師、看護師、薬剤師をはじめとする医療人を対象にした講演やセミナー
統計学の書籍
YouTube
リスクなく試せる実践的な演習と、Rを使った実践的な教育
できるだけ多くの医療人が、統計を「専門家にお願いするもの」ではなく、自分たちが医学を理解するための言語として使えるようにしたい。
それが私の目標になりました。
現在は、医学部の学生にも統計学を教えています。彼らがこれから医師となり、患者さんと向き合い、医学論文を読み、いつか自分自身のClinical Questionを持ったとき、統計という言語が、その問いを研究へとつなぐ翼になってほしい。
AIによって、プログラミングも統計解析も、かつてとは比べものにならないほど身近になりました。これまで専門家にしか扱えなかった技術を、誰もが使える時代になりつつあります。
だからこそ、「私は若い人たちに、技術そのものよりも、その技術を何のために使うのかを伝えたい」と思っています。
私自身が、世界の恩師たちからそう教えてもらったからです。
日本に帰ったとき、私は自分の翼が折れたと思っていました。けれど、いつしか私が考えるようになったのは、自分の翼のことではありませんでした。
若い医療人が、自分自身の問いを持ち、それを研究へとつなげていくために、私は何ができるのだろう。
それが、日本に帰った私が新たに見つけた、自分の役割でした。
今、私たちはAIという大きな変化の中にいます。統計解析も、プログラミングも、文献検索も、かつてとは比べものにならないほど容易になりました。
私自身、AIを毎日のように使っています。でも、学生たちにはこう伝えています。
AI is not my decision maker. AI is my thought partner.
AIは、私の代わりに決断するものではない。私と一緒に考えてくれる存在なのだ、と。
どれほどAIが進歩しても、
「患者さんにとって、本当に大切な問いは何か。」
「自分は、何を明らかにしたいのか。」
その問いを立てるのは、人間です。そして、その問いにどう向き合い、何のために研究するのかを決めるのも、人間です。
以前、Wes Ely先生の講演を聴いていたときのことです。
Wesが聴衆に問いかけました。
What is the greatest discovery in the 21st century in medicine?
21世紀の医学における最大の発見とは何でしょうか。
私は心の中で考えました。
新しい治療法だろうか。画期的な医学的発見だろうか。
しかし、スクリーンに現れた答えは、まったく違うものでした。
The greatest discovery is MENTORING.
最大の発見は、Mentoringである。その言葉が、強く心に残りました。
Wes自身にも、人生を変えた恩師がいました。Gordon Bernard先生とBob Dittus先生です。
若い頃のWesは、まずGordon先生のもとでARDSの研究に参加しました。最初から自分の研究テーマを与えられたわけではありません。研究チームの一員として働き、研究の進め方を学び、論文を書き、一つずつ成功体験を積んでいきました。
そして、研究者として歩き始めたWesに、Gordon先生は問いかけました。
「次は、君自身の研究を始めなさい。」
「君は、生涯をかけて何を明らかにしたいのか。」
「研究者として、どんな帽子をかぶりたいのか。」
その問いをきっかけに、Wesは自分自身のClinical Questionを探し始めました。そしてたどり着いたのが、ICUにおける鎮静とせん妄でした。
後に世界の集中治療を変えることになる研究テーマです。もう1人の恩師、Bob Dittus先生からは、こんな言葉を教えられたそうです。
「統計解析の結果で揺らぐようなテーマを選んではいけない。」
研究とは、単に有意差を見つけることではない。
一つのClinical Questionを持ち、それを長い時間をかけて明らかにしていく営みなのだ、と。
私はこの話を聞きながら、不思議な気持ちになりました。それは、私が世界の恩師たちから教わってきたことと、同じだったからです。
患者さんから問いを立てる。その問いを深く考え、磨き上げる。そして、その問いに最も誠実な方法で答える。
恩師たちは、統計手法や研究方法を教えてくれただけではありませんでした。
「あなたは、何を問い続ける人になるのか。」
そのことを教えてくれていたのだと思います。
私は今、学生たちにRも教えます。統計解析も、プログラミングも教えます。そして、これからはAIも使いこなしてほしいと思っています。
でも、本当に伝えたいことは、その先にあります。
技術を使って、何を問うのか。
その問いは、患者さんのためになっているのか。
そして、その問いに誠実に向き合っているのか。
それこそが、私が恩師たちから受け取ったものだからです。
そんなことを考えていたある日、忘れられない出来事がありました。
私が1年生のときに統計学を教え、その後3年生になった1人の医学部生が、今度は約100人の1年生を前にして話をしていました。
彼は、後輩たちにこう言いました。
「統計とは、医学を理解するための言語です。」
そして続けました。
「今はまだ実感が湧かないかもしれません。でも、医学論文を読むために英語が必要なように、統計もまた、医学を理解するための言語なのです。僕は1年生の時にはそれが分かりませんでした。でも3年生になり、もう一度統計を学んだとき、その意味が分かりました。今では、本当に学んでよかったと思っています。」
私は、その言葉を聞きながら鳥肌が立ちました。それは、私が学生たちにずっと伝えてきた言葉だったからです。
Statistics as a Language for Clinicians, for Better Medicine.
統計とは、単にデータを解析するための技術ではありません。医学を理解し、患者さんから生まれた問いに科学的に答えるための「言語」なのです。
その考え方の源流には、Feinstein先生をはじめ、世界の恩師たちから受け取ったClinical Epidemiologyの教えがありました。
でも、その日、私が何より嬉しかったのは、その言葉が私の口から語られたのではなかったことです。かつて私の授業を受けた学生が、自分の言葉として、次の世代の学生たちへ伝えていた。
その姿を見たとき、私は心の中で静かにつぶやきました。
「ああ、バトンが渡った。」
その瞬間、Wesの言葉の意味が、初めて本当に分かったような気がしました。
“The greatest discovery is MENTORING.”
Mentoringとは、知識を教えることだけではありません。一人の人生に何かを残すこと。そして、その人が受け取ったものを、いつかまた次の誰かへ手渡していくこと。
私は、世界の恩師たちによって人生を変えていただきました。
Johnから。
Feinstein先生から。
Frankから。
Paulから。
そしてWesから。
彼らから受け取ったものは、知識や技術だけではありませんでした。
患者さんから問いを立てること。
その問いを深く考えること。
科学に誠実であること。
そして、自分が得た知識や力を、次の人へ渡すこと。
気がつけば、それを受け取った学生が、今度はそのまた次の世代へ、同じ思いを伝えていました。
人生には、自分の力だけでは開けない扉があります。私自身、何度も誰かにその扉を開いてもらいました。
マリアが、専門性という生き方を見せてくれた。
リンダが、統計学という道を示してくれた。
そして、世界の恩師たちが、Clinical Epidemiologyという思想を教えてくれた。
私は、たくさんの人から翼をもらって、ここまで飛んできたのだと思います。だから今度は、私が次の世代へ翼を渡したい。
その小さな翼は、これからも学生から学生へ、研究者から研究者へと受け継がれていくのでしょう。そして若い人たちは、その翼で私を超え、私には見ることのできない未来へ飛んでいく。
その先には、まだ見ぬ未来の患者さんがいます。
もし私が、この人生で何か一つ、恩師たちへ恩返しができるとしたら、それは論文の数でも、偉大な賞でもありません。
世界の恩師たちから受け取った「患者さんのために問いを立てる心」を、次の世代へ手渡していくこと。それこそが、私にとって教育であり、研究であり、そして人生そのものなのだと思っています。
これからも、1人でも多くの若者に翼を渡したい。そして、その翼で私を超えて、まだ見ぬ未来へ飛んでいってほしい。
それが、私が恩師たちから受け取った「翼」を、次の世代へ渡すということなのです。

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