
公衆衛生やデータサイエンスは大切な領域ですが、「専門家でないと敷居が高い」「自分には遠い存在だ」と感じている方も多いのではないでしょうか。
筆者のアイリス株式会社代表 沖山翔先生は救急医の経験を活かし、今は事業という立場からその敷居を下げるサイエンスの民主化を目指しています。
なぜ一人の医師が臨床を少し離れ、この地道な道を選び、何に情熱を注いでいるのか。
医療とデータ、技術の重なりに関心のある方へ、私の原点となる経験と信念をお届けします。
本シリーズは、パブリックヘルスの領域で活躍するプロフェッショナルが初学者に向けて自らの専門性を語る自伝シリーズです。その専門性に出会った原点や、挫折の先に見つけた希望、そして今も燃やし続けている信念について、熱量を込めて語り尽くします。
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なぜ、救急医が事業という道を選んだのか
「患者が患者を救う」とは、どういうことか
医療データやAIが、臨床以外の現場でどう活かされているか
臨床の現場に立ちながら、これから自分がどう歩いていくかを考えることのある方
臨床・研究・実業のどれか一つに絞り込まず、いろいろな関わり方に関心のある方
医療データやAIが、臨床以外の現場でどう活用されているかに興味のある方
vol.1:RWDのおかげで親に仕送りできるようになりました(mMEDICI株式会社/廣瀬直紀)
vol.2:女性の健康における社会課題へ挑み続ける(産婦人科専門医/重見大介)
vol.3:医療や看護の価値をデータで語れるように(東京大学大学院医学系研究科 健康科学・看護学専攻 看護管理学/森田光治良)
vol.4:全ての人を笑顔にするために - 医師が発信すべき理由、私の挑戦(京都大学消化管外科/山本健人)
vol.5:科学と感情のあいだで - 誤情報と偏見を越えるために(ハーバード大学医学部准教授・マサチューセッツ総合病院小児うつ病センター長/小児精神科医/内田舞)
vol.6:パブリックヘルスで「事業と社会の越境者」になる(Ubie株式会社 Head of Public Relations、Impact Officer/守屋祐一郎)
vol.7:エビデンスの向こう側に、患者さんの笑顔がある(ケンブリッジ大学臨床研究フェロー/内田梨沙)
vol.8:研究者の問いを支える - 生物統計家という仕事(長崎大学病院臨床研究センター/生物統計家/佐藤俊太朗)
vol.9:エビデンス原理主義者の戯言 - そう言われた医学生がエビデンスにこだわり創る側へ(東京大学大学院医学系研究科/精神科医/古川由己)
vol.10:科学の力で「働き方」を変える - 元官僚の社会疫学者の挑戦(慶應義塾大学総合政策学部/社会疫学者・医療経済学者/佐藤豪竜)
vol.11:しくみを生み、データを重ね、公衆衛生をひらく - 事業もまた医術である(アイリス株式会社/代表取締役CEO・医師/沖山翔)(本記事)
氏名:沖山 翔(おきやま しょう)
所属:アイリス株式会社 代表取締役CEO・医師
専門性:2010年東京大学医学部卒業。日本赤十字社医療センター救命救急科での勤務を経て、ドクターヘリ添乗医、災害派遣医療チームDMAT隊員として救急医療を実践。石垣島・波照間島の沖縄県立病院や診療所での勤務、また南鳥島・沖ノ鳥島(国交省事業)にて離島医・船医として総合診療に従事。国立研究開発法人 産業技術総合研究所 AI技術コンソーシアム医用画像ワーキンググループ発起人、救急科専門医、日本救急医学会AI研究活性化特別委員。2017年にアイリス株式会社を創業。代表取締役。AMED委員・東京都委員・筑波大学客員研究員として、産官学自治体のそれぞれの立場から医療・公衆衛生のDX・AI化に携わる。

医療の世界は、大切なのに、専門家でないととっつきにくい領域が沢山あります。公衆衛生や、それを支えるデータサイエンスも、その一つかもしれません。
統計や、プログラミングや、専門的な研究の作法。そうした「サイエンス」の作法には大きな価値がありますが、多くの人にとっては、どこか遠い存在でもあります。
救急医だった私は今、「事業という立場からその敷居を下げること」に取り組んでいます。専門家でない人でもデータを扱えるようにし、一人一人がサイエンスを活用し、押し広げる力を引き出していく。
それが、これからの公衆衛生を支えていくと信じています。
この記事は、私がなぜその道を選び、どんなことに情熱を注いでいるのか、その原点についての話です。医療とデータ、技術の重なりに関心のある方に届けば、これほど嬉しいことはありません。
はじめまして、沖山翔と申します。医師であり、今はアイリス株式会社という会社の代表を務めています。
私たちは、AIを使った医療機器を作っています。のどを専用のカメラで撮影すると、AIがその画像や臨床情報等を解析して、インフルエンザや新型コロナの診断を支援してくれる機器です。
咽頭には、感染症の手がかりが沢山現れます。その見分け方には熟練した医師の目が必要なのですが、その匠の技をAIで再現しようとする試みです。国の承認を経て、保険が適用され、今では全国の医療現場で使われています。
もともと私は、救急医でした。一刻を争う現場で、患者さんの命と向き合う仕事です。その私が、なぜ臨床の現場を少し離れ、会社を経営する道に来たのか。少し遠回りに思われるかもしれませんが、そこには考えてきたことがあります。
医師のキャリアには、患者さんを診る臨床、医学を前へ進める研究、次の世代を育てる教育といった道があります。私はそこに加えて、「事業や実業を通じて臨床の現場に価値を届ける」という関わり方もあるのではないかと考えています。
どれか一つだけが正解というわけではありません。事業もまた、医師の歩き方の、一つの形なのだと思っています。
臨床と事業は、離れた世界に見えるかもしれません。けれど私にとっては、いずれも「目の前の人に、よりよい医療をどう届けるか」という同じ問いに向き合う仕事です。届け方が、診療から仕組みへと広がったのだと受け止めています。
私が医師として最初に選んだのは、救急の道でした。ドクターヘリに乗って現場へ飛び、離島の診療所では、島にたった一人の医療者として患者さんを診ていた時期もありました。命の最前線は、確かにやりがいに満ちた場所でした。
けれど同時に、一人の医師にできることの限界も、私は繰り返し感じていました。
それを痛感したのが、ある離島での出来事です。
交通事故で大けがをした患者さんが、運ばれてきました。輸血をしなければ助かりません。けれど、その島には輸血用の血液の備えがありませんでした。
本土の病院へ運ぶ時間もない。数時間のうちに、血液が必要でした。
その時、島中に呼びかけて献血が募られました。その後すぐに、健康な島の人たちが、病院の前に列を作ってくれたのです。おかげで、その命は救われました。
患者さんを救ったのは、医師ではなく、島の人々です。
私は、「医療とは、医師個人の力だけでなく、人と人、仕組みのつながりで動いているのだ」と考えるようになりました。そして、そのつながりを、もっと多くの人に届く形にしたい。そう思うようになったことが、今の道へと歩き出す原点になりました。
当時はキャリアを考える中、厚労省の医系技官の説明会に足を運び、国境なき医師団の医師向け説明会に参加しました。そんな中で、この時代に「仕組み」を作る方法の一つとして起業があると思い、その道を選びました。
今でも週末は臨床の現場に立ってはいるのですが、起業前に離島や、また東京の救命救急センターの現場で感じたことや感覚は、今も私の中に残っています。
状況を見極め、限られた条件の中で、今できることを一つずつ積み重ねる。一人で抱え込まず、周囲の力をどうつなぐかを考える。
事業に向き合う今も、そのマインドは活きているように思います。
事業や実業というと、もしかしたら華やかなイメージを持つ方もおられるかもしれません。けれど、私たちが日々やっているのは、とても地道な臨床研究です。
AIは、魔法のテクノロジーではありません。その性能は、どれだけ質の高いデータに支えられているかで決まります。だからこそ私たちは、地道にデータを積み重ねることに、多くの時間をかけています。
具体的には、累計で100超の医療機関にご協力をいただきながら、多施設共同の前向き研究を進めています。手間も時間もかかりますが、信頼できるデータを作るには、この積み重ねが欠かせません。
なぜ、一つの病院だけでなく、沢山の施設に協力していただくのか。それは、1箇所のデータだけでは、どうしても偏りが出てしまうからです。様々な地域の、様々な患者さんのデータが集まることで、初めて、より確かなことが見えてきます。
また、研究で大切なのは、データの数を増やすことだけでもありません。何を確かめたいのかを最初に言葉にし、その問いに必要な記録を、同じ考え方で積み上げていくことが求められます。
集めてから考えるのではなく、問いと計画があって、初めてデータが意味を持つ。その順序を守ることも、日々の仕事の大きな部分です。
こうして集めたデータはただ貯めておくだけではありません。そこから何か新しいことが見出せないかを分析し、仮説を立てて検証していく。そして、機械学習によるAIモデルが、様々な現象を、どのくらいの精度で予測できるのかを確認していきます。
その一つ一つのデータの向こう側には、実際に診療を受けた患者さんがいます。だからこそ、分析する側の目線だけで数字を見てはいけないと考えています。
結果が予想と異なるときには、その違いを切り捨てるのではなく、なぜそうなったのかを考え直す。データに謙虚であることは、患者さんの現実に謙虚であることでもあると思います。
起業は、正直なところ、うまくいかないことのほうがずっと多い毎日です。立てた仮説が外れることも、期待した通りにいかないことも、日常茶飯事です。
それでも、そのトライアンドエラーを一つずつ重ねていくことでしか、前には進めません。派手さはありませんが、この地道な積み重ねこそが、医療を少しずつ確かなものにしていくのだと思っています。
そして、うまくいかなかった試みも無駄になるわけではないのです。何が足りなかったのか、どの前提を見直すべきかが分かれば、それが次の仮説につながります。
臨床研究は、一度の分析で鮮やかな答えを出す仕事ではなく、問いを少しずつ確かなものにしていく営みなのだと、日々取り組むほどに感じます。
こうした研究を進める中で、私たちが特に注力している工夫が、一つあります。それは、社内の誰もが、専門知識がなくてもデータを扱えるようにしていくことです。
通常、大きなデータを分析するには、SQLやPythonなど専用の言語を書ける専門家が必要になります。データベースに「こういう条件のデータを取り出してほしい」と命令するための言葉です。けれど、こうしたコードを書けるのは、エンジニアやデータサイエンティストなど、限られた人たちだけです。
一方で、社内には、そうした専門家ではないメンバーも沢山います。医療者も、事業を作る担当者も、それぞれが現場で感じている問いを持っています。現場の問いは、現場にいる人が、一番よく知っているものです。
もし、その一人一人が、自分の関心に沿って自由にデータへ触れられたら、現場はもっと豊かになるはずです。これまでは、そうした問いが生まれても、専門家に意図を説明し、分析を依頼し、結果を待つ必要がありました。
専門家に依頼すること自体が問題なのではありません。ただ、問いと確認の間に距離があると、「まず自分で見てみる」ことのハードルは高くなります。その距離を短くすることが、私の目指すところでした。
そこで私たちは、専門家でないメンバーでも、SQLを書かずに、普段の言葉で問いかけるだけで分析ができるように、仕組みを整えました。大量のマルチモーダルなデータ基盤と、私たちが独自に開発したLLM(大規模言語モデル)のシステムを組み合わせた、社内用の解析プラットフォームです。
使い方は、とてもシンプルです。知りたいことを、普段の言葉のまま投げかける。すると、裏側でLLMがその問いをデータベースへの命令に翻訳してくれて、答えが返ってくる。専門家でなくても、データに手が届く。そういう環境を、私たちは社内に作り始めています。
ここで目指しているのは、専門家を必要としない状態ではありません。それぞれのメンバーが自分の問いを確かめ、その先により深い分析や慎重な判断が必要になった時に、専門家と一緒に考えられる状態です。入り口を広げることで、専門家の知識も、より難しい問いに向けられるようになる。そんな関係が理想だと考えています。
この変化は、思っていた以上に大きなものでした。これまで「エンジニアや臨床統計の専門家に頼まないと分からない」と諦めていたことを、自分の手で確かめられる。
データが、一部の人だけのものではなく、みんなのものになっていく。その手応えを、私たちは日々感じています。
自分で数字を確かめられるようになると、最初の答えで終わらず、次の問いが生まれます。
この違いはどこから来るのか、別の見方をするとどうか。
そのような小さな往復が、データを「誰かが使うもの」から「自分の仕事を考えるためのもの」に変えていくのだと思います。仕組みを作るだけでなく、問いが育つ環境を作ることも大切なのだと思います。
私は、こうした仕組みは、これからの公衆衛生にとってAIがもたらし得る新たなブレイクスルーになるかもしれないと思っています。
公衆衛生学は、一人一人の病気そのものではなく、社会全体の健康を、仕組みで支えていく分野です。私たちの暮らしを足元から支える、大事な土台のようなものではないでしょうか。
けれど同時に、公衆衛生は、疫学や統計といったサイエンスに支えられていて、専門家でない人には、少し敷居が高く感じられる分野でもあります。数字やデータの扱いが難しく、「自分には関係のない、専門家の世界だ」と感じてしまう人も、少なくないかもしれません。
その敷居を下げ、専門家でない人たちの力を引き出していく。公衆衛生を、一部の専門家だけのものにせず、社会のみんなに開いていく。この民主化こそが、私が「情熱」を注いでいるテーマです。
先ほどお話しした社内の仕組みも、その小さな一歩だと考えています。
民主化とは、専門性を軽く見たり、誰もが根拠なく結論を出したりすることではありません。分からないことに自分で近づける入り口があり、必要なところで専門家の知識と出会える。その往復が開かれていることが、私は民主化だと考えています。
敷居を下げることと、確かさを守ることは、両立できるはずです。
私自身は、公衆衛生学を大学院などでアカデミックに、専門領域として修めたわけではありません。それでも、この分野に少しでも立ち入ることができたのは、時代が大きく変わったからだと思います。
今は、データサイエンスや機械学習を、独学で学べる環境が、驚くほど整っています。YouTube動画で自学自習をすることも出来ますし、また例えば、Google傘下で開かれるKaggle(カグル)という、データ分析の腕を競い合う世界的なコンペティションのプラットフォームがあります。
実際のデータと課題に触れながら、世界中の人たちの手法から学ぶことができる。他にも、優れた教材が、次々と生まれています。こうした学びの場の良さは、知識を読んで終わるのではなく、実際の課題の前で自分の理解を試せることにあると感じています。
思うような結果が出なければ、自分が何を分かっていないのかが見えてくる。他の人の考え方に触れることで、同じデータからも違う問いが生まれることに気づきます。学ぶことと試すことが分断していないのです。
専門家でなくても、意欲さえあれば、深く学んでいける。独学で踏み込める余地が、大きく広がっているのです。5年前、10年前には、とても想像できなかったことだと思います。
この変化こそが、サイエンスを民主化していく、大きな追い風になっていると感じています。
古代ギリシャの医師、ヒポクラテスの言葉に、「人生は短く、医術の道は長い(Art is long, life is short)」というものがあります。アイリス(Aillis)の社名の由来です。
一人の医師が、生涯に向き合える患者さんの数は、限られています。どれだけ懸命に働いても、その手が直接届く範囲には、限りがある。けれど、医術そのものは、世代を超えて、永く受け継がれ、続いていきます。
私は、目の前の1人を治すこと以上に、より多くの人が健康で、自分の人生に納得して過ごせることを願っています。そのために選んだのが、事業という道でした。
「一人では届かない範囲にも、仕組みを通じてなら、価値を届けられる」と考えたからです。
データとサイエンスの敷居を下げ、公衆衛生を、専門家だけのものから、みんなの手に届くものにしていく。
派手なことではないかもしれません。それでも、この地道な挑戦を続けていくこと。それが、救急医だった私が見つけ、今も胸の中で燃やし続けている道です。
目の前の患者さんに直接向き合う医療と、仕組みを通じて広く届ける医療との間に、上下はないと思っています。どちらも、人の健康と生活を支えるために必要な仕事です。
私はこれからも、臨床で得た感覚を忘れずに、事業とサイエンスの側から、その一端を担っていきたいと考えています。

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vol.1:RWDのおかげで親に仕送りできるようになりました(mMEDICI株式会社/廣瀬直紀)
vol.2:女性の健康における社会課題へ挑み続ける(産婦人科専門医/重見大介)
vol.3:医療や看護の価値をデータで語れるように(東京大学大学院医学系研究科 健康科学・看護学専攻 看護管理学/森田光治良)
vol.4:全ての人を笑顔にするために - 医師が発信すべき理由、私の挑戦(京都大学消化管外科/山本健人)
vol.5:科学と感情のあいだで - 誤情報と偏見を越えるために(ハーバード大学医学部准教授・マサチューセッツ総合病院小児うつ病センター長/小児精神科医/内田舞)
vol.6:パブリックヘルスで「事業と社会の越境者」になる(Ubie株式会社 Head of Public Relations、Impact Officer/守屋祐一郎)
vol.7:エビデンスの向こう側に、患者さんの笑顔がある(ケンブリッジ大学臨床研究フェロー/内田梨沙)
vol.8:研究者の問いを支える - 生物統計家という仕事(長崎大学病院臨床研究センター/生物統計家/佐藤俊太朗)
vol.9:エビデンス原理主義者の戯言 - そう言われた医学生がエビデンスにこだわり創る側へ(東京大学大学院医学系研究科/精神科医/古川由己)
vol.10:科学の力で「働き方」を変える - 元官僚の社会疫学者の挑戦(慶應義塾大学総合政策学部/社会疫学者・医療経済学者/佐藤豪竜)
vol.11:しくみを生み、データを重ね、公衆衛生をひらく - 事業もまた医術である(アイリス株式会社/代表取締役CEO・医師/沖山翔)(本記事)