
「疫学」と聞くと、多くの人は難しい数式や統計、感染症などを思い浮かべるかもしれません。
しかし、本来の疫学は「人がどう生き、どう健康でいられるのか」を考える学問です。
本連載では、パブリックヘルスの世界へ転生した女医「Mちゃん」が、日々の出来事や人生の小さな気づきを入り口に、疫学というレンズを通して社会や世界を見つめます。
身近なテーマから疫学の考え方に触れる、やさしい疫学エッセイです。
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vol.1 Mちゃん、無謀なRCT組むのやめたってよ(本記事)

臨床医として日々患者さんと向き合うかたわら、少し前にうっかりパブリックヘルスという異世界に転生してしまったワーママ。mJOHNSNOW1期生。mJの山のようなお宝オンデマンド動画を周回してスキルを習得しながら、疫学を「割り切れない感情をどうにかして割り切りたい時の標準装備」として密かに愛用している。小難しい顔した疫学を、少しだけ身近に感じてもらえたら嬉しい。
カレーはライス派、納豆にはネギ入れるタイプ、ルパン三世なら断然次元が好き。
自分と誰かを(ネガティブに)比較することくらい無駄な時間はない、ということは皆わかっているはずである。それでも人はどうしても常に周囲を見渡し、誰かのスペックと自分のそれとを比べてしまうことを止められない。
それで苦しむ。
不要な苦悩を脳が自ら生み出してしまう。
人間とは元々そんな感じの生き物であることもわかっているけれど、でも、もし、比較に疲れ泣きそうな気持ちで毎日働いている方がいるとしたら、その美しい首を自分自身の手で締め上げないでほしい。
比較は疫学の基本だ。しかし、それは正しい比較でなくてはならない。
林檎と蜜柑を比べるなと、我らが統計女王、新谷先生も日々おっしゃっているではないか。
それなのにどうして、自分のこととなると林檎と蜜柑どころか、ブロッコリーと雨粒(上手い比喩が最後まで思いつかなかった…)くらいの距離感で比較してしまうのか。
その両者の共通点は、「物質」であるということだけ。色も形も用途も誰かに役立つ舞台も異なるのだ。
「それなら、私はブロッコリーじゃなくて雨粒の方がいいかも」
──そう言いたくなる気持ちは、よーーーくわかる。
でも、そのフェーズは数十年前にとっくに完了しているでしょう?
Table1はすでに確定済みなはず。
私はずっと、マイケル・ジャクソンは自分を誰かと比べて苦しむことはなかったのかなと妄想していた。
キングな殿上人すぎて、そもそも他人と自分とを比べようなんて発想はなさそうだ。
それでも、もしかしたら、「僕にはスティービー・ワンダーのような美しいメロディセンスはない」と思い悩んでいたかもしれない。
人は誰だって比較から逃れられない。SNSが登場してからはなおさら。他人の業績も実家も配偶者も子供の進学先も容姿も誰かのタフネスも、自分が持っていないものすべてがキラキラ輝いて見える。
しかし、終わったことと今から変えられることを明確に切り分ける必要がある。
欲張らず、かつ貪欲に。
あなたが今、スマホ片手に泣きそうな気持ちで眺めているものは、バイアスも交絡因子も山盛りな、研究者として決して設定してはならない比較群ではないだろうか。
ただ、ここで「比較するのは昨日の自分」としたり顔で落とすのも退屈だ。比べることから完全には逃れられないのだとしたら、正しい比較群とはどこに?
そんなに面白みとしては変わらないかもしれないが、私はここで「妄想上の理想の自分」という比較群を強く推したい。
そして、RCTを組めない時の一手を思い出してほしい。
TTE、Target Trial Emulation。
叶わない理想の試験を頭の中で設計し、手に入るデータで「あたかも理想の試験を実施したかのように」模倣する手法である。
妄想の勝利。
もしかしたら、この世のどんな研究よりも重要かもしれない比較に、騙されたと思ってこの手法のエッセンスを部分的に取り入れてみてほしい。
イメトレ大事なのは周知の事実、考えて考えて、もういいかなと思ったところでさらに考えてみる。
まるでもうひとりの自分が、素知らぬ顔して目の前に立っているかのように。毎日どんなふうに仕事を回し、どんなお洒落をして、どれだけの報酬を得ているのか。
それらは決して手の届かないRCTではない。すでに手が届きかけた理想だ。
だから理想の自分を思い浮かべる時は、「今日いつもよりビジュいいな」と鏡の前で小さく喜ぶ日の自分がおすすめである。
キーワードは「ちょっとイケてる自分」
そしてその「ちょっとイケてる自分」は、日々地味にバージョンアップされてゆく。ニヤニヤしつつ10年続けてみたら、意外に結構遠いところまで運ばれているに違いない。
そもそもこれがもし医学研究のフィールドなら、レビュワーに秒で一刀両断されるくらいの不適切な比較で苦しむなんて不毛だ。そんなもので鬱々とした夜を過ごすくらいなら、これまで学んできたTTEの手法を勝手に応用すれば良い。
脳内にこれ以上ないくらい鮮明な「ちょっとイケてる対象群」を設定し、「現在の自分」とそっと比べてみる方が、よっぽど楽しそう。
比較から逃れられない性ならば、せめて正しく比べたい。

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